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第37話 補修区域

 通りを抜けると、小さな広場に出た。


 中心には古い井戸があり、その周りで子供たちが遊んでいた。


 木切れで作った車輪を転がす子。

 布を結んだ小さな風車を持って走る子。

 水路の方から吹いてくる風に向かって、笑いながら手を伸ばす子。


 学院の制服を見つけると、子供たちは一斉にこちらを見た。


「学院の人だ」


「魔法使い?」


「杖持ってる!」


 興味津々の声が上がる。


 生徒たちの中には、少し困った顔をする者もいた。

 レオンの取り巻きであるカイルなどは、どう反応すればいいのか分からないように眉を寄せている。


 リナはすぐに笑って手を振った。


「こんにちは」


 子供たちは一瞬だけ驚き、それから嬉しそうに手を振り返した。


 ユリスは、その様子を見て、少しだけ目を細めた。


 ニナを思い出した。


 村で走り回っていた妹。


 転んで膝を擦りむいても、泣きながら「泣いてない」と言い張った妹。


 ここにいる子供たちも、王都の子供というより、村の子供たちに近く見えた。


 王都は大きい。


 白くて、遠くて、自分には関係のない場所のように思っていた。


 けれど外周区の広場には、笑って走る子供がいる。


 洗濯物を干す人がいる。


 魔術灯のちらつきを気にしながらも、いつも通り店を開ける人がいる。


 ここも、誰かの暮らす場所なのだ。


「外周区は、王都の外れではありません」


 リーゼルが静かに言った。


 ユリスは顔を上げた。


 リーゼルは生徒たちではなく、広場と、その先に続く水路の方を見ていた。


「ここも王都です。中心街の白い塔を守るためだけに魔術があるのではありません。こうした場所で暮らす人たちの灯りや水や家を守ることも、都市魔術の役割です」


 その言葉を聞いたとき、ユリスの胸の奥に、重いものが落ちた。


 守る。


 その言葉は簡単だ。


 でも、何を守るのか。


 どこまで守るのか。


 そのために、何が傷ついているのか。


 今日見るものは、たぶんそこなのだと思った。


 広場の端で、さっき風車を持っていた男の子が、水路の方へ駆けていくのが見えた。


 そのときはまだ、ただの遊びに見えた。


 風に押された布の風車が、くるくると回っている。


 子供の笑い声が、外周区の古い石壁に跳ね返った。


 リーゼルが資料を閉じる。


「では次に、水路結界の補修区域へ向かいます」


 その言葉に、ガルディアが生徒たちを見回した。


「ここから先は足元が悪い。列を崩すな。水路には近づきすぎるな」


 生徒たちは頷いた。


 ユリスも頷きながら、もう一度広場の方を見た。


 子供たちは、まだ笑っている。


 その笑い声が、なぜか少しだけ胸に残った。


 水路結界の補修区域に入ると、空気が少し変わった。


 道の脇に水路が見える。


 中心街の水路より幅は狭い。

 白い石で囲まれているが、所々に古い灰色の石が混じっている。

 水は流れているものの、表面にはかすかな白い光が滲んでいた。


 水そのものが光っているわけではない。


 水路の内側に刻まれた結界線が、水面越しにぼんやり見えているのだ。


「水路結界は、流量の調整、浄水、逆流防止、そして外部からの魔力汚染を抑える役割を持っています」


 リーゼルは水路脇に立ち、手元の資料を軽く掲げた。


「中心街の水路は、白塔側の管理術式と連動しているため、かなり安定しています。ですが外周区では、古い結界線や生活導管と接続している箇所も多く、定期的な補修が必要になります」


「先生」


 生徒の一人が手を上げた。


「中心街と同じ設備にしないんですか?」


 リーゼルは少しだけ間を置いた。


「理論上は可能です。ですが、都市全体の設備を一度に入れ替えるには、人手も費用も時間も必要になります。それに、古い設備を使い続けなければならない理由もあります」


「理由?」


「ここには、中心街では見えにくい魔力の流れが集まりやすいのです」


 その言葉に、ユリスは水路を見下ろした。


 見えにくい流れ。


 聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなる。


「魔力は、使えば消えるわけではありません。魔法が成立したあとにも、余剰魔力や反動は残ります。通常は術式の内部で処理されるか、反動線や結界の分散層によって薄く逃がされます。ですが、都市規模では、それらの流れが複雑に重なります」


 リーゼルの声は穏やかだった。


 けれど、話している内容は軽くなかった。


「中心街では整えられている流れも、外周区では乱れとして見えることがあります。今日、皆さんに見てほしいのは、魔法が起こした結果だけではありません。その後、何が残り、どこへ流れていくのかです」


 ユリスは思わず息を呑んだ。


 成功したあとに、何が残るのか。


 その言葉は、自分に向けられているようだった。


 視線を少し横へ向けると、セリアが水路の結界線をじっと見つめていた。


 銀色の髪が風に揺れている。

 表情はいつも通り冷静だったが、青い瞳だけは水面の奥に沈む白い線を逃さず追っていた。


「セリア?」


 ユリスが小さく呼ぶと、セリアは目を離さないまま答えた。


「少し、流れが重いわ」


「重い?」


「水の流れじゃない。水路結界の下を通っている反動処理の線よ。補修はされているけれど、継ぎ目が多い。ひとつ乱れたら、隣まで引っ張る形になっている」


「危ないのか?」


「今すぐ壊れるわけではないと思う。ただ――」


 セリアはそこで言葉を切った。


 その視線が、水路の先にある古い小橋へ向いた。


 水路の上に、細い橋板が渡されている。

 補修区域らしく、近くには立ち入りを禁じる簡易札が立てられていた。

 けれど、その向こう側で、さっきの子供たちがまだ遊んでいた。


 布の風車が、風に押されて転がる。


 それは石畳の上を跳ね、簡易札の脇をすり抜け、古い橋板の上で止まった。


 小さな男の子が、それを追いかけて走り出す。


「駄目」


 セリアの声が、低く鋭く落ちた。


 男の子が橋へ足をかける。


「そこから動かないで!」


 セリアが叫んだ。


 子供は驚いて顔を上げた。


 その瞬間、古い橋板が嫌な音を立てた。


 乾いた音ではなかった。


 湿った石の内側で、何かが割れるような鈍い音だった。


 橋板の下を走る白い結界線が、一瞬だけ濁る。


 男の子の足元が崩れた。


「きゃあっ!」


 遠くで誰かが悲鳴を上げる。


 子供の体が傾き、小さな手が橋の縁を掴んだ。


 その下で、水路が光っていた。


 水ではない。


 古い結界線が、水面の奥でねじれている。

 白く濁った光が渦を巻き、落ちかけた子供の足を引くように伸びていた。


「まずい」


 ガルディアの声が低く落ちた。


 次の瞬間、水路脇の導管が膨れ上がった。


 石壁の隙間から、青白い光が漏れる。

 外周区の家々へ伸びる生活導管だ。

 そこへ水路結界の乱れが逆流しかけている。


「リーゼル、生徒を下げろ! 導管が裂ける!」


「全員、後退してください!」


 リーゼルが両手を広げた。

 淡い緑と白が混じった防護結界が、生徒たちの前に展開される。


 ガルディアはすでに導管の前へ踏み込んでいた。

 杖を抜き、黄色い瞳を細める。


「動くな! 今近づけば流路に巻き込まれる!」


 ガルディアの魔力が導管へ叩き込まれる。

 膨れ上がった導管が、内側から暴れようとするのを無理やり押さえ込んでいた。


 レオンが前へ出た。


「俺が橋を支える!」


 赤い魔力が杖先に集まる。


「やめて!」


 セリアの声が鋭く飛んだ。


 レオンの動きが止まる。


「無理に力を加えたら流路が弾ける! あの子ごと奥へ引き込まれるわ!」


「なら、どうする!」


 レオンの声には焦りが滲んでいた。


 セリアは答えなかった。


 答えられなかったのではない。


 見ていた。


 水路の奥でねじれる結界線。

 導管へ逆流しかけた濁った魔力。

 橋の縁にしがみつく子供。

 そのすべてを、同時に見ていた。


 リナが杖を構えた。


 淡金色の光が、彼女の手元から伸びる。


「せめて、体を安定させる!」


 補助魔法の光が子供へ向かう。


 だが、水路の上に差しかかった瞬間、淡金色の線が乱れた。

 濁った魔力の渦に引っ張られ、光が細かくほどけていく。


「届かない……っ」


 リナの顔が強張った。


 子供の指が、一本、橋の縁から外れた。

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