第36話 外周区実習
外周区へ向かう道は、王立魔術学院の中で見てきた白さとは少し違っていた。
王都アルヴェリアは、どこまでも白い街だと思っていた。
中央にそびえる白塔。
整えられた石畳。
等間隔に並ぶ魔術灯。
壁面を走る銀の導管。
学院の窓から見える中心街は、朝の光を受けるたび、まるで傷ひとつないもののように輝いていた。
けれど、外周区へ近づくにつれて、その白さは少しずつ薄れていった。
石畳の継ぎ目には黒ずんだ補修跡がある。
壁の導管には、別の金属で継ぎ足したような部分がいくつもあった。
魔術灯は点いているものの、中心街のものほど光が安定していない。
昼間だというのに、淡い光が時折ちらつき、遅れて息をするように明滅していた。
ユリスは列の後ろの方を歩きながら、その景色を黙って見ていた。
外周区実習。
今日の授業は、王都外周部の生活結界や水路結界、魔術灯、魔力導管などを見学し、都市魔術が実際の暮らしの中でどのように働いているかを学ぶ課外実習だった。
学院を出る前、リーゼル・エルフォードは穏やかな声でそう説明した。
魔法は、訓練場の中だけにあるものではない。
魔法は、灯りを点ける。
水を流す。
壁を守る。
病人を運ぶ道を照らす。
家の中へ冷たい風が入りすぎないよう、薄い生活結界を張る。
それは派手な魔法ではない。
けれど、人が暮らしていくには欠かせない魔法だった。
「中心街と比べると、随分違うな」
近くを歩いていた生徒が、小声でそう言った。
「古いだけだろ。外周区だし」
「でも、魔術灯、さっきから少し変じゃないか?」
ひそひそとした声が耳に入る。
ユリスは返事をしなかった。
変だ、とは思った。
けれど、それをただ古いからだと片づけることはできなかった。
魔術灯の光が揺れるたび、胸の奥に小さな違和感が残る。
何かがどこかで詰まり、別の場所へ押し出されているような、そんな感じがした。
「フォルク」
前方から低い声が飛んだ。
ガルディア・ヴァイスだった。
金髪を肩口で揺らし、黄色い瞳でこちらを見ている。
普段の実技場よりも、今日のガルディアはさらに険しい顔をしていた。
「周囲を見るのは構わん。だが列から離れるな」
「はい」
「ここは訓練場ではない。何かが壊れても、床を張り替えれば済む場所ではないからな」
その言葉に、ユリスの喉が少し狭くなった。
訓練場では、床に反動線が引かれている。
測定室には閉鎖式測定用結界がある。
暴発しても、余剰魔力や反動は分散層へ逃げる。
壊れるとしても、壊れていいものへ逃がされる。
けれど、ここにはそれがない。
石畳の下には、生活のための導管が通っている。
水路には人々の水が流れている。
壁の向こうには、誰かの家がある。
自分が何かを起こせば、その結果はここに出る。
そう考えただけで、杖を握る手に余計な力が入った。
「緊張してる?」
隣からリナ・クラウゼが覗き込んできた。
オレンジ色の短い髪が、外周区の風にふわりと揺れる。
いつも通り明るい声だったが、その目は少しだけ心配そうだった。
「まあ……少し」
「少しって顔じゃないよ、それ」
「そんなに?」
「うん。今のユリス、魔術灯より暗い」
「ひどいな」
「でも、ちゃんと見てる顔でもある」
リナはそう言って、少しだけ笑った。
その言葉に、ユリスは返事ができなかった。
見ている。
そうなのかもしれない。
今までなら、怖いものから目を逸らしていた。
自分の魔法が何を壊すのか、考えたくなかった。
けれど今は、見なければならないと思っている。
どこが弱いのか。
何が壊れそうなのか。
どこへ反動が流れそうなのか。
それを知らないまま魔法を使うことが、一番怖い。
一行が最初に案内されたのは、外周区の住宅通りだった。
中心街のように広くはない。
道幅は、馬車が一台通ればいっぱいになるほどだった。
家々の壁も白一色ではない。
古い石に新しい石を継ぎ足した跡があり、窓枠には洗濯物がかけられ、軒先には小さな鉢植えが並んでいる。
王都というより、村に近い匂いがした。
けれど、ただの村ではない。
家々の壁には、細い魔力線が這っていた。
扉の上、窓の縁、屋根の角。
目を凝らさなければ見落としてしまいそうなほど薄い白い線が、それぞれの家を包んでいる。
「これは生活結界です」
リーゼルが足を止めた。
「強い攻撃を防ぐためのものではありません。風を弱め、雨水の染み込みを抑え、夜間に小さな獣や魔力汚染を近づけにくくするための、暮らしに根づいた結界ですね」
生徒たちが家々を見回す。
セリアはすぐに、ある家の壁へ視線を向けた。
「……あそこの結界線、三度は補修されているわ」
小さな声だったが、リーゼルには聞こえたらしい。
「よく見えましたね、ノルフェイン」
「線の太さが違います。最初の術式に、後から別の術者が重ねている。繋ぎ目の処理も少し古いです」
「その通りです」
リーゼルは穏やかに頷いた。
「外周区では、同じ術者が長く管理し続けられるとは限りません。古い結界に、新しい補修を重ねる。壊れた部分だけを直す。そうやって暮らしを守っている場所も多いのです」
ユリスは、その家を見つめた。
壁の白い線は、学院で見る結界とは違っていた。
まっすぐではない。
綺麗でもない。
途中で太くなり、細くなり、少し曲がりながら、それでも家を囲んでいる。
完璧ではない。
けれど、確かに守っている。
そのことが、妙に胸に残った。
次に向かったのは、小さな魔術灯の並ぶ通りだった。
昼間なので灯りは必要ないはずなのに、いくつかの魔術灯は淡く点いていた。
完全に消すのではなく、低い出力で維持しているらしい。
ただ、その光は中心街のものほど安定していない。
明るくなったかと思えば、少し遅れて弱くなる。
呼吸の乱れた人間の胸のように、光が不規則に揺れていた。
「魔術灯の出力が揺れています」
リーゼルが説明する。
「魔術灯は、光属性の基礎魔法である灯光を応用した都市設備です。個人がその場で光を灯すのではなく、地下の導管から供給される魔力を受け、灯具の内部術式で灯光系の光へ変換しています」
ガルディアが導管の継ぎ目を指した。
「見るだけにしろ。触れるな」
その声に、近くにいた生徒たちが少し下がる。
導管は壁沿いに伸びていた。
白銀色の金属で覆われているが、一部だけ色が違う。
後から補修した部分らしい。
ユリスは、そこに目を留めた。
新しい金属と古い金属の間に、細い黒ずみがある。
わずかだが、そこだけ魔力の流れが滞っているように見えた。
「灯光って、授業で習う光の魔法だよな」
ユリスが呟くと、リーゼルが頷いた。
「ええ。ただし、個人が使う灯光と都市設備の魔術灯では構造が違います。個人の灯光は、自分の魔力をその場で光へ変える魔法。魔術灯は、導管から送られてきた魔力を灯具側で受け取り、安定した光に変換する仕組みです」
リーゼルは、ちらつく魔術灯を見上げた。
「だから導管の流れが乱れると、灯りにも揺らぎが出ます。光そのものが弱いのではなく、光へ変換される前の魔力供給が安定していないのです」
ユリスは、魔術灯の淡い光を見上げた。
光は点いている。
消えてはいない。
けれど、安定しているとも言えない。
それが、外周区という場所そのものに見えた。
「中心街では、あまりこういう継ぎ目を見なかったな」
思わず呟くと、隣にいたセリアが答えた。
「中心街にないわけじゃないわ。ただ、見えにくい場所に通しているのよ。管理も早い。だから表には出にくい」
「じゃあ、ここは」
「表に出ているだけ」
セリアは淡々と言った。
「壊れやすいから見える場所に置いているのか、見える場所にしか置けないから壊れやすいのか。たぶん、両方でしょうね」
その言葉は、少し冷たく聞こえた。
けれどユリスには、セリアが外周区を見下しているようには思えなかった。
むしろ、見ないふりをしていない声だった。




