第31話 正しさの隣で
「今日はここまでだ」
ガルディアの声で、実技場のあちこちの光が消えた。
生徒たちが杖を下ろす。
「今日の課題で分かったはずだ。基礎魔法は、簡単な魔法ではない。簡単に見えるところまで削られた魔法だ」
ガルディアは第一組を見渡した。
「大きな魔法を撃てる者が優れているとは限らない。小さな魔法を乱さず終えられる者が、必ずしも実戦で勝つとも限らない。だが、自分の魔法の前後を知らない者は、いずれ味方を巻き込む」
その言葉に、ユリスの胸がわずかに沈む。
「次回は、二人一組での制御演習を行う。相手の魔力に干渉せず、自分の発動を維持する訓練だ。組み合わせはこちらで決める」
生徒たちの間に、小さなざわめきが広がった。
誰と組むのか。
誰が上手いのか。
誰とならやりやすいのか。
そんな声が、あちこちで漏れる。
ユリスは杖を腰に戻しながら、無意識に息を吐いた。
疲れた。
測定とは違う疲れだった。
数字で見られるのではなく、授業の中で自分の乱れを自分で見る疲れ。
それは嫌なものだった。
けれど、不思議と逃げ出したいほどではなかった。
少なくとも、今日はひとつだけ分かった。
火になる前は、確かにある。
まだ見失う。
まだ止められない。
でも、何も見えなかったわけではない。
「ユリス」
呼ばれて振り向く。
そこにレオンが立っていた。
カイルとエリオットは少し後ろにいる。カイルはまだ何か言いたげだったが、エリオットが静かにその様子を見ていた。
「何だ」
ユリスが答えると、レオンはまっすぐこちらを見た。
「昨日、セリア嬢と何をしていた」
見られていたのか。
ユリスの喉が、少しだけ細くなる。
セリアが隣で目を細めた。
ユリスは少し迷ってから、正直に答えた。
「特訓だよ」
「何の特訓だ」
「……成功する前を見る練習」
自分で言っていても、ひどく分かりにくい説明だった。
レオンの眉が動く。
「意味が分からないな」
「俺も、まだ全部分かってるわけじゃない」
「分からないものを、ノルフェイン嬢は見ているのか」
今度はエリオットの声だった。
薄青の瞳が、ユリスではなくセリアを見ている。
セリアは静かに答えた。
「分からないから見るのよ」
「なるほど」
エリオットはそれだけ言って、口を閉じた。
カイルが不満そうに鼻を鳴らす。
「危ないだけじゃないのか、そんなの」
「カイル」
レオンが短く止める。
カイルはまた黙った。
レオンはユリスへ視線を戻す。
「ユリス・フォルク」
「何だ」
「次の組み合わせがどうなるかは知らない。だが、もし俺と組むことになったら」
レオンの声が、少し低くなる。
「結果だけで済ませるな」
その言葉は、嫌味にしてはまっすぐだった。
ユリスは胸の奥に重さを感じた。
ごまかしているつもりはない。
そう言いたかった。
けれど、言えなかった。
結果だけが残る。
その裏で何が崩れたのか、自分でも分からない。
それを、ごまかしではないと胸を張って言えるほど、ユリスはまだ自分の魔法を知らなかった。
「……分かってる」
ユリスはそう答えた。
レオンはわずかに目を細めた。
「ならいい」
それだけ言って、背を向ける。
カイルが慌てて後を追った。
「レオン、いいのかよ。あいつにあんな――」
「黙れ」
短い声が落ちる。
カイルは不満そうにしながらも、それ以上は言わなかった。
エリオットだけが一度こちらを振り返った。
ユリスと、セリアと、そして足元の反動線を順に見てから、静かにレオンの後を追う。
実技場に残されたユリスは、しばらく動けなかった。
結果だけで済ませるな。
それは、ガルディアの「結果に逃げるな」とよく似ていた。
違う口から出た言葉なのに、同じ場所へ刺さった気がした。
「気にしているのね」
セリアが言った。
「レオンが?」
「あなたもよ」
「……そりゃ、気にするだろ」
ユリスは小さく息を吐く。
「正しいのは、たぶんあいつだからな」
レオンの魔法は正しかった。
大きな魔力を扱いながら、乱さず、余った力を逃がしていた。
セリアの魔法も正しかった。
必要なだけの魔力で、必要な結果だけを起こし、余りをほとんど残さなかった。
自分だけが違う。
火はつく。
結果は出る。
でも、その前後が分からない。
「正しいことと、向き合うべきことは違うわ」
セリアが言った。
「レオンの魔法は正しい。あなたの魔法は正しくない」
「はっきり言うな……」
「でも、正しくないから見なくていいわけではない」
セリアはユリスの足元を見た。
さっき、反動線とは別の場所が小さく震えたあたりだ。
「今日のあなたは、発動前の違和感を見ようとした。消えた後の反動がどこへ行ったかも、少しだけ気づいたはずよ」
「気づいたっていうか……変なところが震えたのは分かった」
「それでいいわ」
「いいのか?」
「今はね」
セリアの声は静かだった。
「次は、それを選べるようにする」
ユリスは顔を上げた。
「選ぶ?」
「反動の逃げ道よ」
セリアは当然のように言った。
「訓練室や実技場には反動線がある。分散層もある。多少乱れても、結界や床の術式が受け止めてくれる」
「……外だと?」
「外には、都合よく受け止めてくれる線がないわ」
その一言で、ユリスの胸が少し冷える。
いや、冷えるというより、息が浅くなった。
「余った魔力も、飛ばした負荷も、消えない。流れやすい場所へ逃げる。古い石畳の亀裂、水路の継ぎ目、弱った結界線、魔力導管の細い場所……弱いところほど、先に傷つく」
弱いところほど、先に傷つく。
ユリスはその言葉を、胸の中で繰り返した。
「じゃあ、俺が外で魔法を使ったら……俺が見てない場所が壊れるのか」
「可能性はあるわ」
セリアはごまかさなかった。
「だから、逃げ道を作る練習をする」
「練習って、まさか」
「今日の放課後、小訓練室に来て」
「またか」
「もちろん」
即答だった。
ユリスは思わず額に手を当てる。
「少しは迷ってくれ」
「迷う理由がないわ」
「俺にはある」
「何?」
「……疲れる」
「必要な疲れよ」
セリアは淡々と言った。
その言葉に、ユリスは苦笑するしかなかった。
けれど、嫌だとは言えなかった。
今日の授業で分かってしまったからだ。
火になる前を見るだけでは足りない。
火が消えた後も見なければならない。
そしていつか、火の裏で何が壊れるのかを選ばなければならない。
それができなければ、レオンの言う通りだ。
結果だけで済ませていることになる。
「分かった」
ユリスは杖を握り直した。
「行くよ。放課後」
セリアは少しだけ目を細めた。
「いい返事ね」
「褒めてるのか?」
「ええ。今日は少しだけ」
「少しだけかよ」
「昨日よりは増えたわ」
それは褒めているのだろうか。
ユリスにはよく分からなかったが、不思議と悪い気はしなかった。
実技場の外では、午前の光が白い校舎を照らしている。
授業も特訓も始まったばかりだ。
それが怖くないと言えば嘘になる。
けれど、測定室でただ見られていたときとは違う。
レオンはユリスを正面から見た。
正しくないものとして。
理解できないものとして。
それでも、目を逸らさずに。
ユリスは学院標準杖に視線を向ける。
火になる前を見る。
火が消えた後を見る。
結果だけで済ませない。
その三つを、胸の中で繰り返す。
放課後の特訓は、たぶん今日の授業よりもっと疲れる。
けれどユリスは、不思議と逃げたいとは思わなかった。




