第5話
バンバーから頼まれた郵便物のなかに、リヒト・オバラ宛の書留があった。ヨシカは午後にすぐ、ふもとの館に訪れた。ふもとの館は五角形の平屋である。外壁はみどり色で屋根は紺色。ドアは艶やかに光る黒色である。ヨシカはドアノックを叩いた。
「郵便屋です。書留が来ています」
はーい、と返事が聞こえた。どたばたと慌てた足音が聞こえてきてドアが開いた。袖にレースが付いた白いエプロンを着た男が出てきた。
「あれ、いつもの人と違う」
この男がオハラだとヨシカはすぐにわかった。くっと上がった目尻に、零れそうな大きな瞳が無遠慮にこちらを見つめる。顔も小さければ、鼻も口も小ぶりだった。それに細く柔らかそうなふんわりとした髪質。イオリのいうとおりまさに、猫だった。
「今日は代理で。サインを」
ひとつ猫らしくないのは姿勢だった。猫背とは程遠く、サインをしているときも背筋はまっすぐだった。ペンを持つ左手の親指にオハラは銀の魚の指輪をしていた。その魚が診療所の壁に飾ってある絵と同じ魚だった。
「あれ、あなたは今朝の」
奥からクロスが出てきた。ヨシカは気まずそうにした。
「旦那、傷が痛むからって寝てたんじゃないんですか」
オハラがヨシカにサインを返しながらいった。
「腹が空いて目が覚めた」
「今から作りますから。台所が苦手って不便ですね」
「申し訳ない。サラダなら作れるよ」
「サラダは作りません」
クロスはオハラの背中越しからオハラが受け取った手紙を覗いた。
「ヨシカさんは郵便屋だったの?」
「いえ、村の便利屋みたいなことをしています」
あっと、オハラが思い出したように声を上げた。
「診療所のとこの娘さんだっけ?」
「なんでオハラがそんなことを知っている」
クロスが不思議がる。
「ナトリーさんから。あの人情報にマメでしょ?」
「へえ。でも便利屋さんか。わたしの頼みも聞いてくれる?」
クロスは軽々しく陽気にいった。無機質な半月の仮面に似合わない人懐っこい笑みを浮かべている。それでもヨシカは隠さず困った顔をした。
「困ったことがありましたら、まずは村長へお願いします。都からの人は特別ですから」
「そうですよ。俺らはよそ者なんですから。村人に遊び半分でちょっかい出さないでください」
オハラがクロスをたしなめる。
「ただでさえ朝、村長さんに怒られちゃったんですから」
「キシャ山に入ったのはあなたですか?」
ヨシカは思わずオハラに聞いた。オハラはこぼれそうな瞳をさらにあふれ出させて、きょとんとした。
「えっと、違うよ。俺じゃない」
オハラは首を振った。
「ナトリーさんっていう残りのひとり。ムカエギの花が咲くのを間近で見たいからって、」
「それならふもとのムカエギでも充分に見られます。山のなかのムカエギも、ふもとのムカエギも同じ木です」
クロスとオハラが顔を見合わす。仲間がキシャ山に入ったことをヨシカが不快に感じているのは一目瞭然だった。クロスは咳払いをすると、ヨシカに優しく語りかけた。
「あれだけいわれていたのに、勝手に山に入ったのはまことに申し訳なかった。すまない。だが、わたし達はマツバ族の彼と話がしたい。大切な話なんだ」
ヨシカはクロスと目を合わせなかった。
「イユイ村の人々は外から来る人を邪険にしているわけではありません。昔はよく、カラ喰いを見るために、都から人が来ていたそうです。コウさんが村長になってから都からの客はあなた方がはじめてです。あなた達がカラ喰いの被害に遭わず、無事に帰られることを村の人は皆、願っています」
そっけない態度でヨシカはクロスをつきはなした。それでもクロスはひるまなかった。
「カラ喰いも見てはみたいが、我々はマツバ族の協力が欲しくて、」
「キシャ山に入る者は村から追い出さなければならない」
クロスは口をつぐんだ。空は雨もよいをしている。
「それがずっと守らなければならないこの村の掟です。彼はいま、終わる一族のことを静かに受けとめているのです。どうかこれ以上荒らさないで。失礼します」
ヨシカは走り去るとあっという間にクロス達から見えなくなった。
「足が速い女の子ですね」
オハラは感心していたが、クロスはずっと難しい顔をしていた。
ヨシカは帰りにふもとのムカエギに寄った。今朝置いたカゴはちゃんとなくなっていた。山の奥を見ると、人影を見つけた。目を凝らすとそれはマツバ族のコチだった。ムカエギの花で染めた頭巾とマントを身にまとっている。頭巾で頭と鼻から下を隠しているため、見えているのはコクーと同じアメジストの瞳だけだ。ヨシカは叫んだ。
「ごめんなさい。都の人が勝手に山に入ったこと。村長とわたしがいっておいたから」
コチはヨシカを数秒見つめ、何もいわず頭巾の裾を揺らし去って行った。それからしばらくして雨が降り始めた。
夜になってもやまない雨のなか、ヨシカは夜着の白いワンピースのまま庭に出ると夜空を仰ぎ、こうこうと雨を受けた。雨はヨシカの肌をすべり、消える。少しして庭にヨシカを見つけたエトウが、診療所の窓を開けた。
「ヨシカ、ほどほどにしておきなさい。からだが冷える」
雨のざわめきに慰めを終える。
「もう寝るわ」
ヨシカは離れに戻ると、ワンピースを脱ぎ捨て、そのままベッドにもぐり込んだ。




