第25話
夜が明けて、出発前、ワシノスは朝の田園を眺めていた。隣にそっと、クロスが来ると並んで同じように風景を眺めた。
「恐怖と欲で世界がまわっていないなら、俺の欲しいものは手に入らないな」
ワシノスがぼやいた。クロスは何もいわない。
「騒ぎを起こすためだとはいえ、お前にひどいことをいった。人をまとめる立場にあるものとしてあるまじきこと。まことに申しわけなかった」
クロスは我慢できず、吹き出した。
「律儀ですね」
「俺は人生で一度しか泣いたことがない」
「話が好き勝手飛びますね。それに、それは嘘でしょう」
「俺は大人になって一度しか泣いたことがない」
ワシノスはいい直した。
「漂流して、国に戻って来たときだ。血反吐を吐いて、内側も外側ももみくちゃになって帰ってきた。帰りたいところに帰って来られた喜びで、むせび泣いた。俺はこの国を失いたくない」
ワシノスはこぶしを握りしめる。
「備衛隊の金も人も、また減るだろう。もっと困った人へまわせと」
「困ったことのない人間なんてこの世にひとりもいないのにね」
親身なクロスの態度に、ワシノスは驚いた。
「わたしも、国の未来に対する不安な考えは同じです。けれど、カラ喰いは絶対にいけないんです。絶対的な恐怖は、けして兵器にしてはいけない」
「何もいえん。俺にはほかの方法がわからん」
ワシノスは正直に吐露した。
「わたしも考えましょう。わたしもあなたほどではないが多少は血を吐いて、成り上がった身です。役に立てるでしょう。それに、モリスはあなたが嫌いではない」
ふたりに風が吹きぬける。ワシノスは嬉しさに瞳を輝かせた。そして、クロスの手を取ると握りしめた。痛い、とクロスが叫んだが、お構いなしだった。
「では、肝胆相照らし合おうではないか!」
「そこまでは」
クロスはぎこちなく遠慮した。
「なんでだよ!」
「あ、帰る準備が整ったみたいですよ!」
クロスが逃げ出す。
「おい、クロス!待て!」
ワシノスが追いかける。風は強く吹いている。
顎に大きな湿布を貼ったロイは備衛隊の馬車ではなく、オハラとナトリーが乗った馬車に乗り込んだ。
「お前なんでこっちに乗るんだよ」
左耳に大きなガーゼを貼ったオハラは理由がわかっていたが、からかうために聞いた。ロイは嫌な顔をしたが、追い出されたら困るため喧嘩はできない。
「気まずいからに決まってるだろう。ああ、備衛隊やめないとな」
ロイは自業自得とはいえ落ち込み、ナトリーの隣に座りこんだ。
「そもそもなぜあなたが、ホリーのスパイに?」
ナトリーがたずねる。ロイは下唇を突き出し、ぼそぼそと白状した。
「惚れた女が、花院の議員の奥さんだった」
「つつもたせか!」
オハラは愉快になった。
「うるせえっ!俺はもう一生恋ができないかもしれない」
オハラは足をじたばたさせてさらに下品に笑った。ナトリーは優しくロイの背中をなでた。
「にぎやかですね」
ミハルが顔を出し、馬車に乗った。
「え、ミハルさんもこっち?行きより馬車が狭くなるのやだな」
オハラは我儘に嘆く。
「わたしもロイさんと事情は同じです。堪えてください」
ミハルは飄々とオハラの隣に座った。クロスも馬車に乗り込もうとすると、ヨシカに呼びとめられた。
「クロスさん」
ヨシカのスカートにユーマがしがみついている。恥ずかしがってヨシカから離れない。
「しょうがないな、ほら」
メイがユーマを抱え上げると、クロスのところまで連れていった。
「ほら」
メイが急かす。ユーマは恥ずかしがりながら伝えた。
「けがしたとき、おんぶしてくれてありがとうございました」
クロスはほほえむ。
「わざわざお礼をありがとう。あ、お菓子がある。お友達とお食べなさい。ナトリー、あの箱を取って」
クロスはヨシカの方を見た。ヨシカは少しだけ笑みを浮かべ、手を振ると、帰ってゆくものに背中を向けた。そして、村長と話しているワシノスの元へいった。
「お世話になりました。勉強不足で参ったこと、反省いたします」
「あなたにもあなたの良心があるのでしょう。それでも、わかり合えることはできない」
村長は穏やかにきっぱりと伝えた。ワシノスも頷くわけにはいかず、肯定も否定もしなかった。そのまま、ヨシカの方を向いた。
「部下を助けてくれてありがとう。君にサギランがないことは都で広まらないようにする」
ヨシカは頷いた。けれど村の外の人間に知られてしまったことで、この先のことを覚悟していた。
「何がどうなっても、わたしはこの村で生きていきます」
「わかった。覚えておく」
「隊長、いつでも出発できます」
トミーが呼びに来た。ヨシカに気つくと、きまずそうにした。けれど、すぐに背筋を伸ばし、一礼をした。
「すぐいく。それでは、お元気で」
「そちらもお気をつけて」
ヨシカがいった。
「無事なお帰りを」




