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第24話

 カラ喰いの夜が明けた午後、けが人もいたためイユイ村の人々は、もう一晩、都の人々の滞在を許すことにした。ワシノスはイチョウの木の下に虚無を抱いて座っていた。憔悴したワシノスに隊員はかける言葉が見つけられず、そっとしておいた。

「隣、いいですか?」

 それを知ってか知らずか、ミハルがワシノスに声をかけた。ワシノスは懐かしみを込めて、ミハルを見上げ、すぐ下を見た。

「好きにしろ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 ミハルは隣に腰掛けた備衛隊の怪我のない者達は、お詫びにと薪割りをしていた。畑の手伝いに駆り出された者もいる。

「お前が裏切るとは思わなかったよ」

 ワシノスが静かにいった。

「何をすれば、裏切りになるのか、もうわからなくなりました。でも憎んでいるものはずっと変わりません」

 ミハルは淡々といった。ワシノスは薪割りをしている部下達を眺めたままだった。

「すいません」

 クロエがおずおずとワシノスに声をかけた。そばには本を抱えたユーマがいた。

「この子がお願いがあるみたいで」

 ワシノスはユーマの抱いている本をじっと見た。

「ほら、ユーマ。自分で頼みなさい」

 クロエに背中を押され、ユーマは小さい声でお願いごとをした。

「サインください」

 ユーマの持っていた本は、ワシノスが漂流した過去をしたためた、自伝だった。ワシノスは笑顔をつくり、割れ物に触れるかのように、自分の書いた本を受け取った。ワシノスはユーマの名前と、自分の気取ったサインをでかでかと書いた。

「この子、この本を読んでいるときは、大人しくしてくれるんです」

 クロエが教えた。ワシノスは笑顔で頷くことしかできなかった。ユーマはサインの書かれた本を受け取ると嬉しそうに、頬を赤らめた。本を抱え直すと、ユーマは前髪を上げて、インクで描いた傷をワシノスに見せた。ミハルは目を見開いた。ワシノスはユーマの頭を力強くなでた。

「ちゃんと読んでくれたんだな。ありがとう。けど、本当に怪我はしないように、少年」

 ユーマは照れたように頷いた。クロエは礼をいって、はしゃぐユーマを連れて帰った。その背中を見送ると、ワシノスはミハルをふり返り、眼鏡を奪い、前髪を上げた。ミハルの額には傷があった。描いたものではない、本物の傷跡。ワシノスはミハルから手を離し、眼鏡を差し出した。

「最初見た時からわかっていたよ。名前が違ってもな」

 ミハルは眼鏡を受け取ると、かけ直した。

「よく生きて、この国まで来れたな」

「死ぬかと思いましたよ」

 ミハルは笑った。

「逃亡か?スパイか?」

 ワシノスは聞かなければならないことを寂しそうに聞いた。

「父は戦争に協力するのが嫌で、わたしを連れて命からがら、あの孤島へ逃げてきました。あなたに話していませんでしたか?」

「深くは互いに聞かなかった。君ら親子は命の恩人。それだけだ」

「父は死にました。わたしは正しい父を追い込んだ祖国を、憎んでいます」

「そうか」

「カラ喰いの力で、祖国の人間が全員死んでも構いません。そう思っています。でも、あなたがこの国で不利な立場になるは嫌です。それだけです」

 ワシノスは沸き立つ感情に、唇を震わした。

「あなたは父の最後の友人です。死ぬ間際まで、あなたとの思い出を楽しそうにぽつりぽつりとあの孤島で、話していました。わたしは、トミーさんのようにあなたの思想に純粋に寄り添うような、そんな慕い方はできません。あなたが都で、陥れられないように、死なないようにするために、わたしはあなたを何度だって裏切りますから。覚えておいてください」

 ミハルは立ち上がる。

「また、」

 やっとワシノスは声を出した。

「懐かしい話をしたい」

 ワシノスはいった。ミハルは目頭を眼鏡の上から隠れるように抑えて、離す。返事を待たすには、長すぎる時間が過ぎた。

「ぜひ」

 待たせた分、ミハルはいい返事をして再び座った。

「ぼくらの思い出話は、世果ての地でするには、うってつけですからね」




「門限は夜になる前だったけど?」

 診療所のベッドに横たわるヨシカにメイはいった。開いたドアの向こうは天気のいい午後だ。

「間に合ったでしょ」

 屁理屈にメイはヨシカの頬を強くつねった。

「いたたたたっ」

 引っ張って離すと、大きなため息を漏らした。ヨシカは頬をなでた。

「よかった」

 メイは心の底からこぼした。ヨシカは笑った。

「うん」

「ゆっくりしなよ。おいしいパン、家から盗んで来るわ」

「怒られないでよ」

「はいはい。風、入れた方が涼しいでしょ。ここ、開けとくから」

 メイは診療所を出て行った。

「よかった。元気そうで」

 イオリがそばに来ると、椅子に座った。

「すごく疲れたけどね。もう少し寝る」

 ヨシカはイオリの横顔を見つめる。

「イオリも元気がなさそうね。エトウ先生が戻って来たら、寝た方がいい」

 イオリは顔を振った。

「そういうんじゃないんだ」

 イオリは正直に言った。

「ヨシカは、人生が憎くなることはないか?」

 その問いに、ヨシカはなぜか死んだ母親のことを思い出した。

「わたしの母親はこの世の果てみたいな田舎が嫌で、弱いからだで、都へ出たんだって。でも、戻って来た。わたしをお腹に宿して。父親を誰にも教えることはなかった。願望と違ったんじゃないか、不本意だったんじゃないかって、わたしは思うけど、エトウ先生の話じゃ、わたしのお母さん、一秒たりとも後悔したことないんだって。行きたいところへ行って、戻りたいところに戻った。母はきっと強かった。強ければ、人間どこでも生きていけるんだと思う。でも、生きていきたくないところで生きたくない。いたいところに、いたい。わたしはこの土地がいい。理由なんてわざわざ口にしたくないほどに」

 でも、とヨシカは繋げた。

「サギランがないから、ここじゃないと息苦しい生活になるっていうのが想像できてる。どこでだって生きていけるなんて嘘。乗り越えられる試練しか人生にはないなんて片腹痛い。自分のからだが、神様からのギフトだとも思わない。生まれ付きの人生は、誰にだってある。私は、特別なんかじゃない。ねえ、イオリ」

 イオリは横顔からゆっくりと傾き、真正面でヨシカの笑顔を受け止めた。

「わたしは、誰の後ろめたさにならないぐらい、好き勝手にやってるからね」

 診療所に風が吹き込んだ。

「そっか」

 イオリの背中に見えるドアの向こうは、大きく開いたままで、青空が輝いていた。



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