第17話
ヨシカは右手に手袋をはめると、灰の上に布をかぶせ、石で留め、できる限り飛び散らないように対処する。トミーは腰を抜かしていた。
「あなたはイチョウの木もいまも、平気で木に触っている。サギランはきちんと胸のなかにあるままです。さあ、早く山を下りて」
ヨシカが立ち上がると、トミーは叫んで震えた。
「わかった。わかった、戻る。だから俺に触らないでくれ!」
ヨシカは傷つくことはなかった。怯える男は何も知らない。知らない人間が知っている人間を真に傷つけることはできない。それがヨシカが得た、心の理由だった。
「触らない。大丈夫です。帰りましょう」
トミーが頷きながら立ち上がると、ヨシカはふもとへ向かって歩き出す。
「ロ、ロイ、行くぞ」
トミーはヨシカに対して恐怖の距離をあけてから、後ろに続いた。けれど、部下が動く気配がなく、すぐに立ち止まった。
「ロイ、どうした?」
異変にヨシカもふり向く。
「自分は山に残ります。トミーさんだけ先に戻って、ワシノス隊長に伝えてください。お世話になりました、と」
「意味がわからん、どうしたお前?」
トミーは困惑に乾いた笑いもらした。ロイは赤毛を一瞬揺らし、拳銃をにぎると、銃口をヨシカに定めた。
「ヨシカといったな。キシャの石のところまで共に来てもらおう」
ヨシカは動かず、拒絶をわざわざ口にすることもしなかった。銃口とヨシカの間にトミーが入り、ロイと対峙する。
「どういうつもりだ。無抵抗な人間にそれを向けるとは、備衛隊として到底許されんぞ」
「わたしには、違う上司がまだいるんですよ」
トミーは即座に推断し、怒りで全身を逆立たせた。
「モリスか?ホリーか?」
「秘密です」
トミーは憤り、拳銃を抜く。
「衆愚伺いのべらぼうめが!」
濃い、緑が舞う。
その場の誰もが、鮮やかなはためきに視線を奪われた。着地したコチはそのまま足を蹴り、トミーを横転させた。手を土で汚させる時間も与えず、コチは立ち上がり脇腹を蹴り飛ばした。トミーは勢いよく声を上げながら、斜面を転がり落ちてゆく。すかさずコチはロイの方へ踵を返す。威嚇の銃弾が飛ぶ。コチは短剣を抜いた。猩々緋の刀身がまがまがしく光る。背中を向けたままヨシカに叫んだ。
「逃げろ!」
ヨシカはトミーが転がり落ちていった方へ駆けだそうとするが、背後からぞっとした悪寒に襲われ、足を引き止められた。見えない姿を知るのも許されず、ヨシカは首に腕をまわされ、右手をつかまれ身動きができなくなった。ロイは露骨に嫌な顔をした。
「オハラ」
「久しぶり。ロイ」
オハラはヨシカの首元から、見知り合いに猫目を怪しく細め、笑みをやった。そして心底楽しんで、わざとがましくいった。
「まさか訓練生時代、真面目がピカイチだったあのロイが、ホリーのワンちゃんになるなんてね。弱みでも握られた?」
「うるせえ」
図星を突かれたロイの苛立ちは素直なものだった。なのでオハラも、素直に同情をしてやった。
「なんにせよ、俺たちはタヌキの化かし合いに付き合わされているってことだよね」
「あなた、なんで」
ヨシカの声が掠れる。
「俺、優しいから伝えておくけど、クロスさんは俺がこれから君にすることを知らないよ。あの人は前からカラ喰いの生け捕りには反対していたからね。ミハルさんがね、七年前にこの村の誰かががサギランを失くしたことに勘付いた。その誰かを捜して、こうやって捕まえにきた。手術なんて必要ない、キシャの石が入る空の殻をもつ人間をね」
はめられた。浅はかすぎた。村人たちが考えるより、問題は絡まり合い、深かった。焦ったヨシカがオハラから逃れようとすると、腕の力が強くなりヨシカは息苦しさに顏をしかめた。
「殺さないよ。死人になったら役に立たない」
「くそっ」
ロイが吐き捨て、踏み出すとコチが再び襲いかかる。その横を矢のごとく駆けてきたコクーがオハラに飛びつくと、唸りながら耳に噛みついた。その隙にヨシカは緩まった拘束から抜け出した。オハラはコクーの尻尾を掴むと投げ飛ばした。コクーは木に叩きつけられた。
「コクー!」
コチが絶叫し、生涯きっての憎悪に目をひん剥くと歯ぎしりをした。頭巾の裾をたなびかせ、オハラに刃をふり上げ襲いかかるが、かわされにかわされ、後ろへと逃げられる。ヨシカは走り、すべりこんで、コクーのそばへしゃがむ。目は開けないが、耳が微かに動いた。ヨシカはほっとし、優しく抱え上げた。その足元に、銃弾が飛んだ。ヨシカがふり向くと、ロイはオハラとやりあうコチの方へ銃を向けた。
「俺はどっちにあたっても困らない。けど君は、マツバ族にあたれば困るだろう?」
飛んできたナイフの衝撃でロイの手から拳銃が落ちた。
「え」と、ロイが一驚する。
コチは頭巾をほどきながらロイの背後にまわると、それで首を絞めた。
「殺しちゃ駄目よ!」
ヨシカが慌てて叫ぶ。ロイは腰の剣を抜くと背後の敵を突く。コチの頬を刃がかすめる。コチは頭巾をロイの首からほどくと、下がる。立ち上がったヨシカの前にオハラが立ちはだかる。左耳から血が流れていたが、耳は取れていないようだった。ヨシカは身構えた。
「わたしは石を飲みませんよ」
「させたくないことをさせるのが、俺の仕事。それにヨシカちゃんにだっていいことはある」
「いいこと?」
疑わしさしかない朗報にヨシカは問い返した。だが、オハラは空を見上げた。ヨシカも警戒しながら上を見たが、青空だった。
「夜が来やがった」




