②個人的体験における自我の喪失ープロローグ
「自由」とは何なのか。
それを知るものはいない。
いまだかつて自由になり得たものなどいないし、
知り得たもの、経験できたものもいない。
解放されたことのあるものなどいない。
実際には、誰一人として「自由」というものを知らないのである。
それでも、人間は常に自由へと、解放へと向かってしまうものなのではないだろうか。
どのような状況にあろうとも、自分を抑圧するものから自由になろう、
解放されようという方向に向かってしまうものなのではないだろうか。
現状からの脱却、過去からの脱却、そして自分からの脱却、いずれも自由へ、解放へと向かうことにつながるのだ。いや、そこへ向かおうとすることそのものが、自由なのだとも言えるかもしれない。
また、ここで重要なのは、そこへ向かおうとすることであり、結果として自由になり得るか、解放され得るかとうかということは重要ではない。実際に自由になり得るか、解放される得るかどうかは分からないし、不可能かもしれない。が、その未知の「自由」へ向かおうとする行為、行動そのもの、その過程が重要なのだ。
欲望が満たされることではなく、欲望が進む過程、欲望の在り方、そしてその欲望から生ずるもの、昇華していく様子を見るべきなのだ。さらに、その過程において様々なことを煩悶し、思いを巡らせるということが重要なのだと言える。 そこに意味があると言ってもよいだろう。
意味などない、どこにも存在しないという人もいるだろうし、もちろんそれは真実だろう。 しかし、それが真実と充分に知りながらも、人間は結局意味を求めてしまうのだ。
人間は意味を求める病にとりつかれている。
つづくー




