①個人的体験における自我の喪失ープロローグ
紀元二千年という年月が過ぎている今、あらゆるところで、あらゆるものが複雑化、多様化している。どんなものでも時間を経て、成長するにしたがって複雑化し、多様化するのは当然のことでもある。進歩とはそういうものだとも言える。
だから、それが単にネガティブなものだとは思えない。ただ、そのような中では、何かを積極的に理解しようとすることは、時には非常な労苦と時間を要することがある。つまり、様々なことが分かりにくくなってしまうのた。例えば、組織化が進み、全てが管理・制度化され、機構が複雑化していくと、社会生活において、何が問題なのか、どこが課題なのか、が見えにくくなってしまう。それが、理解しようとする姿勢を邪魔し、視界を狭めてしまうのだ。複雑さや多様性が見るべきものを見えにくくさせてしまっている。だからといって、目をふさいでしまってよいわけでもない。
足元を見つめながら、そして具体的な明日のことを思うことができない現代、生存そのものが危ぶまれている現代においても、変わらず根本に流れ続けているものが、ひとつある。それは、むしろ、そのような時代であるからこそ、思い起こしたいものー
「人間とは」「自由とは」ー
何を考えるにしろ、どのような方向・方法で考えるにしろ、最終的に辿り着くところは、そこなのである。
全ての学問、否、そのような教義なものではなく、全ての思考、日常生活の中の末梢的思考、そして超現実・脱日常化した哲学的思考も、全て、人間の思考というものは、一つの点に行きつく。
「人間とは何かー」
どんな志向もここに向かって進んでゆくのである。そして「自由とは何か」
この問いへと向かっていくのである。
ーつづくー




