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走れメロス、が終わらない  作者: 芦名 雅


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第6話 もう歩きたいメロス


何百回目かの朝、メロスは、もう走る気力すら湧かなくなっていた。


「もう、無理だ」


村を出て、街道の途中まで来たところで、メロスは、足を止めた。


「どうせ、また間に合わない。何百回やっても、結果は同じだ」


そう呟いた瞬間、メロスの足は、前ではなく、後ろへ向いていた。


「帰る」


自分でも、その決断に驚いていた。


だが、止まらなかった。


メロスは、来た道を、そのまま引き返し始めた。


村に戻ると、妹が、驚いた顔で駆け寄ってきた。


「兄さん、どうしたの。忘れ物?」


「いや……もう、市には行かない」


「え?」


理由は、言えなかった。


セリヌンティウスのことも、王との約束も、妹には、何一つ話していない。


話せば、心配させるだけだと思っていた。


「兄さん、市に用事があるって言ってたでしょう。行かなくていいの」


「もう、いいんだ。疲れた」


メロスは、力なく、地べたに座り込んだ。


「頑張っても、頑張っても、意味がない。それなら、もう頑張らない方が、楽なんじゃないかって」


弱音が、次から次へとこぼれ落ちた。


妹は、しばらく、兄の姿を、黙って見下ろしていた。


何があったのかは、分からない。


だが、目の前にいる兄が、自分の知っている兄と、まるで違う人間のように見えた。


そして、次の瞬間。


パン、と乾いた音が、響いた。


妹が、兄の頬を、思い切り叩いていた。


「……え」


メロスは、呆然と、頬を押さえた。


妹の目には、涙が浮かんでいた。


「そんなの、兄さんじゃない」


震える声だった。


「何があったのかは、知らない。話してくれないなら、それでもいい」


「……」


「でも、私の知ってる兄さんは、どんなに辛くても、途中で投げ出すような人じゃなかった」


妹の言葉が、メロスの胸に、深く突き刺さった。


「頑張っても意味がないって、誰が決めたの。行きかけて、引き返してきただけでしょう。今日は、まだ何も終わっていない」


――今日は、まだ何も終わっていない。


その一言が、メロスの中で、鈍く反響した。


確かに、街道を戻ってきた今、村へ帰り着いただけで、進んだ距離は、行きと帰りで、差し引きゼロだった。


「俺は……」


メロスは、ゆっくりと立ち上がった。


叩かれた頬が、じんじんと熱かった。


だが、その熱は、不思議と、力になった。


「すまない。今の言葉、忘れる」


「兄さん」


「行ってくる。今度こそ」


メロスは、踵を返し、もう一度、街道へと駆け出した。


その走りは、これまでのどのループとも違っていた。


計算尽くでもなく、投げやりでもなく、ただ、まっすぐに。


事情を何一つ知らないままの妹の一喝が、何百回にも及んだ諦めの淵から、メロスを引きずり上げていた。


その日は、最短距離も、秒刻みの計算も考えなかった。


ただ、セリヌンティウスが待っている。その事実だけを胸に、メロスは走った。


だが、一度村へ引き返した時間は、あまりにも大きかった。


どれだけ足を動かしても、夕陽は容赦なく沈んでいく。


遠くにシラクスの塔楼が見えた時には、刑場から鐘が響いていた。


「くそ……!」


間に合わなかった。


世界が白く塗りつぶされる。


そして、また羊小屋の薄明。


雨の音を聞きながら、メロスは、しばらく起き上がらなかった。


妹の言葉を思い出した。


――今日は、まだ何も終わっていない。


あの言葉は、「必ず成功しろ」という意味ではなかった。


成功するかどうかも分からない今日を、それでも途中で投げ出すな、と言ったのだ。


「俺は、いつから勘違いしてたんだ」


いつしかメロスは、友との約束を守るためではなく、この三日間を「攻略」するために走っていた。


失敗しない道。最短の道。確実に勝てる道。


そんなものばかりを探して、走る理由そのものを見失っていた。


それに、何百回もの失敗は、何も残さなかったわけではない。


濁流の流れ方。山賊の踏み込み。坂で乱れない呼吸。足を置けば崩れる土。


肉体は朝ごとに戻っても、覚えたことまで消えはしない。


「近道を探す必要なんて、なかったのかもしれない」


同じ道を、昨日までとは違う自分が走ればいい。


メロスは、静かに草履の紐を結び直した。そして、走り出した。


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