第3話 口伝スキル、変顔の術
この世界には、三百以上の都市や街がある。
その中でも街の中に口伝スキルが隠されているのは、たったの五つの都市しかない。
負けイベント街であるこのメーツ=ボウツォ辺境街は、その一つに入る。しかも知識さえあれば誰でも手に入れられる、比較的取得の簡単な口伝スキルが隠されている。
それを今から強奪しにいこうと思う。
強奪と表現したのには訳がある。
カイスト歴370年――つまり今から十五年後に、この国で「貴族の首狩り」と呼ばれる殺人鬼が現れる。彼はこの街で偶然見つけた口伝スキルで、カイスト王国の汚職を浄化しようと活動した英雄的な存在だ。と同時に、快楽殺人者でもある。
快楽殺人鬼が手に入れる前に、健全な俺が強奪してしまおう……という魂胆だ。
「ばぶう」
夜が更けると、ワンコがいつも通りミルクと布を咥えてやってきた。
俺はミルクを受け取ってごくごく飲み干すと、ワンコの頭をわしゃわしゃ撫でまわした。これでもかというくらい嬉しそうに、尻尾を振っている。やっぱり「おぎゃ」が彼の名前になったようで、おぎゃというとさらに喜んでいる。
いつもより念入りに撫でまわす。
なにかを察したのか、徐々にワンコの尻尾が大人しくなっていく。
今日が最後だと気づいたのだろうか、本当に聡いワンコだ。
この一年弱、ワンコには本当にお世話になった。
だから最後に一つだけ、お別れのプレゼントをあげようと思う。
今の俺が出せる最大のプレゼントで、俺には必要がないものだ。
俺はありったけの魔力を口元に込めて、口を開く。
『街の南にある西壁のレンガが三つだけ黄色い家の地下に行っておいで。家主は朝七時から九時の間に必ずパンを買いに外出するからさ。その家の地下にある96と書かれた小瓶を飲み干すといいことがあるよ。地図はこの壁に掘ってある。いい? 番号は96だよ?』
一気に話すと、さすがの俺も疲れた。
なかなか魔力を使った発音というのは骨が折れる。
「わん!」
(また会おうね、ワンコ。いつか恩を返しにくるからさ)
そう心の中で誓い、俺はミルク瓶片手に路地裏からようやく脱出するのであった。
推定年齢一歳弱、俺はスローライフに向けた一歩目を踏み出した。
おむつ代わりのふんどし一丁なのは、まあ仕方ない。
◆◆◆
夜にもなると、路地裏の通りには娼婦や酔っ払いたちで溢れる。
いわゆる遊郭や街娼と呼ばれる地域だ。
その中で俺はゆっくりと走る牛車を見つけ、荷台にこっそりと忍び込む。
揺られること一時間ほど、ようやく目的地の場所が見えてきたので、御者に悟られないようにひょいっと荷車から降りた。
たどり着いた先は、メーツ=ボウツォ辺境街の中央にある貴族が住む特権街区だ。
普通であればこんな貧相な孤児が入れる場所ではないが、そこはちょっとした裏技だ。南街区にあるボロい雑貨屋のおばあさんと仲良くなると、特権街区への侵入方法を教えてくれるクエストがゲームでは発生する。なので、俺はすでにその方法を知っていたわけだ。
その方法は、定期的に貴族街区に出入りする御者を利用することである。
誰にも見られないように早速路地裏に隠れ、目的の豪邸まで向かって歩いていく。
目的地には、すぐに到着した。とある貴族の敷地、その外周を覆う柵の外側にある小さな墓地――の傍にあるこじんまりとした苗木だ。
そこで、俺は口元に魔力を込めて呟く。
『ただいま、アーリー・クラウン。フスダラの木には血を、クズには刃を立てることを誓いにきた。他には誰もいない』
その言葉と同時に苗木に触れると、苗木がゴゴゴゴッと蠢き始める。
太い根が地面から無数に生えてくると、芝生だった地面に大きな穴が開いていく。気づけば小さな洞穴ができていた。中を覗き込むと、そこには根で作られた階段が造られていて、さらにその奥には木製の扉が見える。
(本当にゲームと同じなんだ)
この光景を見て、俺は一つの確信を得た。
今までは赤子ゆえになかなか確認できなかったが、この世界は間違いなくツーリェ・フロンティアと同じルールで動いている。つまり、俺はこのままのんびりと生きていれば間違いなく、負けイベントという名の運命に抹殺される。
改めて自分の悲運を知った俺はしょんぼりとしていた。
ただスローライフを送りたいだけなのに、毎日処刑台に向かって一歩一歩歩いているような気分になる。
赤子らしくないことを考えながら、俺は階段を降りていく。
奥にある扉には、無数の煉瓦がランダムで埋め込まれていた。
記憶通りに煉瓦を押し込んでいくことにした。最初は煉瓦の右下が欠けたもの、次にそこから上に三つ左に四つ進んだ煉瓦、そこからさらに下に七つ右に八つ進んだ煉瓦……と順序通りに、合計三十七個の煉瓦を押し込む。覚えているか不安だったが、俺の記憶力はまだまだ現役のようだ。
少しだけ嬉しくなった。
(運命は受け入れる……だが、無駄死にだけはごめんだね。必要な口伝スキルは片っ端から手に入れておく。十五年後の来たる日に向けて)
そう改めて決意を固め、最後の煉瓦をぐっと押し込む。
間もなく、扉がゴゴゴゴッと音を立てて開いていった。
(あったぞ……口伝スキル【雲隠】)
書斎のようなその小部屋の壁には、古くくたびれた巻物が飾られていた。
しかし普通の書斎にはないものもいくつか、ここには飾られていた。
毒の入った無数の小瓶、光を反射しない真っ黒な装束、数えきれないほどの飛び道具、国の重要な拠点や隠し通路の地図が記された精巧な地図など――それらは暗殺者が重用するものばかりである。
この書斎にはこんなバックストーリーがある。
三百年前の建国間もない当時、多くの貴族がパーティーの最中に突然死する事件が多発した。
彼らの死亡と同時に、数えきれないほどの汚職資料が街内に掲示され、そこには告発文とも捉えられる警告文が記されていた。その影響で、カイスト王国の消すべき闇は浄化されたのだ。
最も重要なのは――その犯人はいまだ捕まっていない。
だが、この書斎に入ると犯人の正体がわかる。
名前をアーリー・クラウン、特筆することのない平凡な見た目の男爵の三男だ。
彼はこのカイスト王国を正そうと、一人奮闘した――隠れた英雄なのだ。彼はサイコパスなどでもなく、純粋な正義感によって行動を起こした青年だった。
クラウンはこの口伝スキル【雲隠】を生涯を懸けて開発し、習得した化け物でもある。
この口伝スキルの特徴は、使用者の存在感を限りなく消せる。
確か、口伝スキルのゲーム設定はこうだ。
生涯を懸けて技量が頂点に達した者、神に行いを認められた者は、世界に一子相伝の偉業を残す――という設定だ。つまり、めっちゃ頑張った英雄は世界に名前を残し続けられるということなのだ。
その英雄たちの偉業の成果である口伝スキルを習得するため、俺は壁にかかっていた巻物を手に取る。中身を開くと、そこには彼の生涯と、継承の熱い意志が書かれていた。内容を読んでいると文字がぐるぐると回転しはじめた。気づけばその墨は一つの小さな黒い塊になり、俺の額に吸い込まれていく。
(ほう、これは面白い)
本来のゲームでは、システムウィンドウで口伝スキルの獲得を認識できる。
だが、今回は体の中に強制的に取り込むという現象が起きた。
使い方は感覚的にわかった。脳内に焼き刻まれたという表現が近いかもしれない。
早速試してみる。
口伝スキル【雲隠】発動。
発動を感じた瞬間から自分自身でも、自分が吐く息遣いが聞こえなくなった。
試しに足をじたばたしてみるが、足音すらまるで聞こえない。
おぎゃ、っと声を発してみるも、声を発した感覚はあるのにまるで音は聞こえない。
体温も極限まで抑えられており、自分自身で自分の体温を認知するのがやっとなレベルみたいだ。
他にも試してみたくてうずうずしていた。
足早に部屋を出て、堂々と貴族の門番の元に近づいてみた。
門番は、まるで俺の存在に気がついていない。
目の前でほぼ全裸の赤子がいるというのに、真剣な眼差しで辺りを警戒している。
試しに変顔をしてみたが、彼の眉毛や視線は一度もこちらに向くことはなかった。
これで確信を得た。
この世界でのスキル効果は、ゲーム時の効果と変わらない。
使い方はボタンをポチポチするのが、発動を意識することに変わったが些細な違いだ。
よし、これで次の計画を実行できる。
この世界にある優秀な口伝スキルを集める旅に出よう。
優秀な口伝スキルを最も効率よく収集できる場所がある――そこを人類は暗黒領域と呼ぶ。
この世界の暗黒領域とは、現代で言う宇宙みたいな存在である。宇宙も常に拡大し続けていると言われている通り、暗黒領域には「果て」という概念が存在しない。常に新たな発見ができるマップのことを指す。そんな暗黒領域だが優秀な口伝スキルがごろごろと眠っている、まさに財宝眠る土地というイメージだ。
さあ、旅に出るときがきた。
一つあればチートと呼ばれても不思議ではない口伝スキル。
その中でも優秀な能力をかき集め、蟲毒のような存在になってやろう。
打倒負けイベントを掲げたからには、やりすぎなんてことは絶対にないはずだ。
(本格的に行動開始だ――あっ)
その前に書斎にあった暗殺グッズもらえるだけもらっていこう。
やったね、さすがに全裸は寒いと思っていたんだ。
これで一年弱続いたふんどし生活も終了だ。




