第28話 秘策、オルト=クロード
――クローベリアの私室。
そこに俺はいた。
あれやこれやと椅子に座らされている。
目の前には動揺し頭を抱えているクローベリアと、その侍女がいた。
「すまない、オルマ。君を巻き込んでしまって」
心底申し訳なさそうに謝るクローベリア。
その目には、今にも零れ落ちそうな大つぶの涙があった。
こう間近で見ると思う。
この女性はまだ若干十五歳の女の子なのだろう。
繊細で、たった一つの綻びで崩れ落ちてしまう脆い思春期の女の子だ。
今日まで尽くしてきた婚約者に見覚えのない理由で断罪され、王家との大きな亀裂が奔った。その戦犯として扱われ、彼女の感情は図れないほどに淀んでいるだろう。
同時に巻き込んではいけない平民に、助けの目を向けてしまった。これにより平民はほぼ間違いなく処刑台行きが確定している。
王族に剣を向けるとは、この国では御法度である。
それらの重責に、彼女は今にも潰れてしまいそうだった。
「飴ちゃんいります?」
ポケットにあった飴を、俺は渡した。
彼女の顔が一気に赤く染まって、ぽっと頭から湯気が出ながら飴を受け取った。
なるほど、合点がいった。
俺が描いていたシナリオが、どこで崩壊してしまったのか。
クローベリア=ルシルフ公爵令嬢という女性が、本来恋心を抱くルインではなく、その友人Aである俺に恋をしてしまったのだ。ルインはそれを知っていたからこそ、俺をあの場で無理やり前に押し出したのだろう。だが、どの状況で彼女が俺に恋をしたのかが本当にわからない。
たったの数回の会話でこうなるものだろうか。
いや……思春期の女性なんてそんなものか。
思春期を舐めていた俺の責任だな。
だったらもう――この運命を受け入れるしかない。
まだ俺が死神に負けたと決まったわけではない。
なぜなら、俺はまだ生きている。
生きているということは、あのとき手袋を取って決闘を受け入れたのは正解だったのだろう。
拾わなければ、あの場で不敬として切り捨てられてもおかしくはなかった。
俺はもう一度考える。
負けイベントを、生存ルートに変える方法を。
先駆者たちが見つけたハーティー生存ルートの本来の目的を。
そうだ、まだ俺には可能性が残されている。
そもそもなぜ王太子を追放する必要があるのか。
なぜルインを騎士団長に成り上がらせる必要があるのか。
この二つが達成できれば、十分俺の生存に可能性はある。
どれだけ運命に縛られていたとしても、ここはゲームを元にした異世界だ。
本来のゲームと異なる挙動や詳細な変化は必ず起こるものである。
そう頭の中が整理できると、いくつか可能性のある生存ルートが見えきた。
「クローベリア様、一つ隠していたことがあります」
「なんだ?」
「この状況を打開できる秘策です。俺、実は強いんです」
見栄を切って、俺は立ち上がる。
やるからにはとことんだ。
とことん俺は悪者になってやる。
誰に恨まれようと関係ない。
俺の持ちうる全ての手札を使う。
どんな手を使ってでも、生き残ってやる。
◆◆◆
――翌日。
俺は指定された会場にやってきていた。
そこは決闘が行われる際に使用される、国家に認められた正統な闘技場であった。
会場内には学生だけではなく、この国の重鎮である貴族の当主までもが顔を出していた。
王太子による婚約破棄、そして過去ずっと王国に重宝されてきたルシルフ公爵家との間に亀裂が入るかもしれない――と情報を聞きつけやってきたのだ。
これは国の根幹を揺るがす、まさに乱痴気騒ぎだ。
もちろん注目されるのは平民の俺ではなく、王太子とクローベリアの関係である。
「オルマ……本当に大丈夫なのか?」
控室で待機している俺に対し、心配そうに見つめてくるクローベリア。
俯いていた俺は、彼女の顔を見上げて気がついた。
クローベリア=ルシルフ、彼女はこんな顔をしていたのか――と。
思えば、この世界ではずっと人のことを、シナリオの進行を左右するコマのように考えていた。将棋盤でコマを動かすように、目的に従ってコマが適切な歩みをするか、それを盤上で眺めていた。
そんな俯瞰した視点で生きてきた。
だからこそ彼女の顔がどうとか、瞳の色が何色とか。
気づいたのは、今日が初めてだった。
「君の瞳は、黒曜石のような色をしていたんだな」
突然の誉め言葉に驚いたのか、クローベリアはまた赤面した。
こんなにも顔に血が上りやすく、表情がわかりやすい女性だっただな。
「きゅ、急に何を言い出すのだ! 君はいま死地に挑もうとしているのだぞ! もちろんそんなことさせないよう私は裏で手を回しているが、絶対に回避できるとは言いきれない……」
「俺は絶対に死なない。それが俺の運命だから」
「カッコつけたって結果は――」
「剣を用意してほしい。これくらいの大きさで頼むよ、クローベリア」
最後に彼女へ、俺は願いを言った。
剣があれば、すべてが解決する。
剣は俺にとって――運命を捻じ曲げる唯一の武器だから。
◆◆◆
闘技場の表舞台に出ると、わっと野次が飛び交った。
「頑張ってください、ジューン殿下!!」
「下がれ、野蛮な平民め!」
「身分不相応な凡人に鉄槌を!!」
「あいつパフェの無銭飲食野郎じゃねぇか! 金返せ!」
王太子を擁護する野次が多数だが、平民を嘲笑う言葉もちらほらと聞こえてくる。
暇な学生だなあ、と思った。
そんな暇があるならば魔術の一つでも覚えればいいものを。
いや、時間がないと常に思っているのは俺だけか。
常に死神に鎌を向けられて、それがいつ振り下ろされるかわからない恐怖の中で、今まで生きてきた。もしかしたら明日にはその鎌が下されて、運命によって処刑されるかもしれない。
そんな不安な日々を送った結果、時間は有限であるという認識が強くなったのだろう。
その不安を書き消すために、俺は強くなったのだ。
もしシナリオが正常に進行しなかったときのために、俺は暗黒領域で力を着けた。
運命を捻じ曲げるだけの力を必要としたのだ。
目の前には乱痴気騒ぎを起こした張本人、カイスト=ジューン王太子がいる。
「どうやら君とは演習試験で一緒の班だったようだね。知らなかったよ、君のような平凡な見た目の学生とクローベリアが親しかったなんて」
「数回しか話したことないですけどね」
「そうなのか……いささか噂というのはあてにならないな」
相変わらず爽やかな表情で話しかけてくる王太子。
彼は剣の柄に手をかけ、少し真剣な表情になった。
「始まる前に聞いておきたいことがある。なぜ君は昨日、手袋を取ったんだ。平民が次期国王である私に対して不敬なことをしたらどうなるか、賢い君がわからないわけではないだろ」
「そうするしかなかったからだ」
「…………さっきからその不遜な言葉遣い。もう諦めたのかな、人生を」
「そうかもな。俺は今日をもって学校を去るからな」
「覚悟は決まってる……そう捉えることにするよ。好意なのか、正義感なのか――クローベリアに対するその気持ちを悔いるといい」
「残念だけどどっちでもない。生存本能だ」
「それは矛盾している。まあそんなことはどうでもいい。王太子として、守りたいものを俺は守るだけだ。最後にもう一度聞くよ、君はなんのために戦う?」
「生きるためだよ。さっさと始めよう、雨が降ってきそうだ」
「いいだろう。審判、開始の合図を」
王太子が審判へ声をかけると、審判は拡声魔術を使用した。
『これよりカイスト=ジューン王太子と、クローベリア=ルシルフ公爵令嬢の代理であるオルマとの決闘を執り行う』
どわっと、会場の熱気が跳ね上がった。
観客にとってみればただの余興なのだろう。
ほとんどが王太子派、俺を応援している奴など――。
(ほんと、仲間ってのはいいね。部活以来だよ、こういう熱い気持ちになるのは)
そんな野次の嵐の中で、俺はつい笑っていた。
同じ一年生として入学し、ボロ平民寮で毎日苦楽を共にした仲間たちだけは、俺の勝利を願ってくれていたのだ。表情を見れば一目瞭然だ。声は出せずとも、みんな俺を応援してくれている。
『ジューン王太子の勝利は、婚約破棄を意味する。対して――クローベリア=ルシルフ公爵令嬢は何を望まれる?』
審判の問いかけに、クローベリアも拡声魔術を使って答える。
「王立魔術学校一年Dクラス、ルインに騎士団早期入団の許可を」
まさかの要望に、会場はどよめいた。
これは俺が事前にクローベリアに依頼した、勝利した暁の報酬である。
彼女自身も同意してくれている。
すでにこの婚約関係は破棄されたも同然なので、どんな要望でも構わないと言ってくれた。
クローベリアの言葉に、特別席で警備をしていたガリアス騎士団長が立ち上がる。
『許そう』
たった一言、それだけを言って再び座った。
これで決闘は成立した。
あとは俺と王太子の決闘で、すべてが決まる。
『それでは両者構えて――始めッッッ!!』
審判の合図によって、決闘の火蓋は落とされた。
勝負は一瞬で決まった。
開始と同時に王太子が剣を引き抜くと、最強の一閃を振りぬく。
俺はそれに突っ込み――胸を貫かれていた。
「グフッ…………見事だ、馬鹿王子」
致死量の血反吐を吐き、俺は地面に伏せていた。
◆◆◆
勝負は呆気なく終わった。
対戦相手のオルマはまるで自分が死ぬことを望んでいたかのような戦い方だった。
俺の剣に向かって突進をする。
抵抗することなく、心臓を貫かれた。
防ごうとするそぶりは見せていたが、その腕に力は入っていなかった。
「あっぱれだ……これが君の秘策か」
俺が決闘を申し込んだ時点で、すでにクローベリアの立場は危うくなっていた。
それを払しょくするには、それ以上の衝撃を観衆に与えればいい。
決闘で人が死ぬことはまずない。
そうしないように、数えきれないほどの騎士団員や回復魔術師がそばで控えているのだ。
だが、彼は心臓を一突きされて即死であった。
実際にこうして未来ある学生が死ねば――クローベリアの汚名を書き消すほどの話題性になる。
彼は自分の死をもって、クローベリアを守ろうとしたのだ。
衝撃と尊敬を同時に感じていた――そのときだった。
雲が霞んだ。
強者だけが感じる圧力に、俺は空を見あげていた。
そこには一人の男が宙に浮いていた。
俺たちを静かに見下ろしていた。
男の素顔はわからない。
だが、その手には重々しく、神々しさも感じる黒剣が握られていた。
腹に轟くような低い声で――そいつは言った。
『我が野望のために、王に相応しくないその男の命をいただきに来た』
男の鋭い眼光は、俺に向かっていた。
ただ見られているだけなのに、全身の震えが止まらなくなっていた。
(俺が怯えているだと? 次期国王の俺が?)
距離は相当あるはずなのに、猛獣と同じ檻にいれられているような――そんな感覚を抱いていた。一歩間違えれば、殺されるのではないかと錯覚する存在感を感じていた。
気づけば、そばには叔父であるガリアス騎士団長が駆けつけていた。
騎士団長は、空に浮かぶ奴に向かって拡声魔法で聞き返す。
『何者だ』
その問いに対し、その男は口角を上げていた。
勢いよくすぅーっと息を吸い込む。
これでもかというくらい、大きく息を吸い込んだ。
そうして、底冷えするような声で言った。
『我が名はオルト=クロード』
その名を告げると、何かが雲を突き破って出てきた。
「あれは……」
「ガリアス王兄殿下、あれをご存じなのですか?」
「失われた古城――そう文献で見たことがある。確か勇者の遺物だったか」
空に浮かぶ紺と白を基調とした城。
それがカイスト王国の上空に現れた。
一体何が起こっているのか。
俺は、自然と剣を握る手を強めていた。




