七星の頂と、殺到するスカウト
国家宝物庫の重厚な金属扉が、背後で静かに閉ざされる。
漆黒の戦闘服『幻影の黒布』を身に纏い、両腕に絶対破壊不可能なアーティファクト『崩星の籠手』を装備した湊は、見違えるような威圧感を放っていた。
ただそこに立っているだけで、極限まで高められたステータスが周囲の空気を震わせている。
昨日まで安アパートで鶏胸肉をかじっていた青年の面影は、もはやどこにもない。
「これで装備の不安は完全になくなりましたね。さあ、地上へ戻りましょう」
雪乃と共にVIP専用エレベーターに乗り込み、ダンジョン管理庁の中央本部ロビーへと戻ってきたその時だった。
「――雪乃。報告は聞いているぞ」
広大な大理石のロビーのど真ん中で、二人の行く手を遮るように立つ大柄な男がいた。
仕立ての良い高級スーツの上からでもはっきりと分かる、鋼のように分厚い筋肉。歴戦の猛者特有の、研ぎ澄まされた刃のような鋭いプレッシャーを全身から放っている。周囲の職員たちが、恐れをなして遠巻きに道を開けていた。
「神宮寺さん……」
雪乃が小さく、しかし僅かな緊張を含んだ声でその名を呼んだ。
「その男が、お前がメインパーティを抜けてまで組むと決めた新しい相棒か?」
神宮寺と呼ばれた男は、鋭い鷹のような目で湊を睨みつけた。
彼は、日本でも有数の有名ギルド『蒼天の剣』の副ギルドマスターであり、これまで雪乃のサポートを務めてきたSランク探索者、神宮寺迅だ。
「ええ。彼こそが、私と共に深層を攻略するための唯一のパートナーです」
雪乃が淀みなく答えると、神宮寺の額に青筋が浮かんだ。
「ふん。数年ぶりに誕生した25人目のSランクだとは聞いている。だが、昨日までただの荷物持ちだったようなポッと出の素人に、うちの最高戦力であるお前の背中を任せられるか。……俺の目で確かめさせてもらう!」
神宮寺はスーツのネクタイを乱暴に緩めるや否や、床を蹴って猛然と湊へ肉薄した。
ダンジョン外とはいえ、Sランク探索者の本気の踏み込みだ。大理石の床がひび割れ、空気が爆発するような轟音と共に、闘気でコーティングされた巨大な右拳が、湊の顔面めがけて容赦なく振り抜かれる。
それは、分厚い鋼鉄の扉すらも紙屑のように消し飛ばすほどの威力を秘めた、歴戦の重戦士による必殺の一撃だった。
「危ないっ……!」
雪乃が鋭い声を上げたが、湊は一切表情を変えなかった。
(速い。でも、今のステータスのままでも十分目で追える。それに……)
湊は回避することなく、ただ静かに右手を前に出した。
漆黒の『崩星の籠手』が、神宮寺の渾身の拳を正面から迎え撃つ。
――バツンッ!!
衝撃波すら起きなかった。
周囲の人間が吹き飛ばされると覚悟して目を閉じたが、ロビーにはただ、乾いた衝突音が響いただけだった。
湊の籠手は、神宮寺の拳が持つ圧倒的な運動エネルギーを「完全に」吸収し、一歩も後退することなく、まるで飛んできた羽毛をキャッチするかのように無造作に受け止めてみせたのだ。
「なっ……!?」
神宮寺の顔に、信じられないものを見るような驚愕が走る。自分の全力の一撃が、微動だにせず止められたという事実が理解できないようだった。
「神宮寺さん、と言いましたか。お仲間を心配するお気持ちは分かりますが、急に殴りかかってくるのは少し物騒だと思いますよ」
湊は拳を包み込んだまま、極めて丁寧な、しかし一切の隙がない静かな口調で告げた。
その言葉と、底知れない湊の絶対的な実力を直接肌で感じ取った神宮寺は、数秒間硬直した後――スッと拳を引き、なんとその場で深々と90度の土下座にも等しいお辞儀をした。
「……大変失礼いたしました! 私の無礼な振る舞い、どうかお許しください!」
「えっ? いや、急に謝られても……」
「お恥ずかしい話ですが、我がギルドの至宝である雪乃が、どこの馬の骨とも知れない男にたぶらかされたのではないかと気が気でなかったのです。ですが、今の一瞬で分かりました。貴方の強さは本物です。どうか、雪乃をよろしくお願いいたします!」
あまりにも潔すぎる手のひら返しに、湊は唖然として雪乃を見た。
雪乃は小さくため息をつきながら、困ったように説明する。
「神宮寺さんは、ああ見えてギルド内でも一番の苦労人で、とても身内想いな方なんです。不器用なだけなので、悪気はないんです。許してあげてください」
「いや、いきなり真面目に頭を下げられたら、こっちも怒れませんよ。頭を上げてください、神宮寺さん」
湊が苦笑しながら促すと、神宮寺はホッとした顔で立ち上がった。
「寛大な対応に感謝する。……しかし、これほどの逸材が今まで野に埋もれていたとはな。現在、日本国内には大小合わせて1,000以上の探索者ギルドが存在しているが、その頂点に君臨する『七大ギルド』のスカウト網にも一切引っかからなかったとは驚きだ」
「七大ギルド、ですか?」
湊が首を傾げると、神宮寺は日本のダンジョン界の勢力図について語り始めた。
「そうだ。国内の頂点に君臨する、七つの超巨大ギルドのことだ。俺たちの『蒼天の剣』も最近メディアで注目されてはいるが、実際の規模や戦力じゃあ、その七大ギルドにはまだ遠く及ばない。日本には現在、君を含めて25人のSランク探索者がいるが、そのほとんどが七大ギルドのいずれかに所属し、ダンジョンから得られる権力と富を独占しているんだ」
神宮寺はさらに声を潜め、周囲を警戒しながら続ける。
「だが、同じSランクの中でも、実力には天地ほどの差がある。Sランクの最低条件である『総ポイント30万』をクリアしているのが、俺や雪乃を含めた25人だ。しかし、その七大ギルドのそれぞれのトップに君臨している7人のギルドマスターだけは別格だ。奴らは総ポイントが数百万を超え、単独で国家の軍事力すら凌駕する『次元の違う化け物』――世間は畏敬の念を込めて、彼らを『七星』と呼んでいる」
「総ポイント、数百万……!」
湊は思わず息を呑んだ。
(総ステータス数値が30万をやっと超えたばかりの俺では、探索者の頂点である七星にはまだまだ届かないってことか。上には上がいるもんだな……)
「雪乃は若くしてSランクに至った類まれなる天才だが、それでも『七星』の領域にはまだ遠く及ばない。奴らは、常識という枠組みを完全に無視した、デタラメなバケモノたちだからな」
神宮寺がそう締めくくった時だった。
ダンジョン管理庁の広大なロビーの入り口付近が、俄かに怒声と足音で騒がしくなってきた。
「いたぞ! 天谷湊氏だ!」
「急げ! 他のギルドに先を越されるな! 何としても我がギルドに引き入れるんだ!」
高級スーツに身を包んだ数十人の男女が、目の色を変えて湊たちの元へと殺到してきたのだ。
その異常な熱気に、周囲の職員たちは慌てて壁際へと避難していく。
「うおっ!? なんだこの人だかりは!」
「君のスカウトだよ、天谷くん」
驚いて一歩後ずさる湊の横で、神宮寺が呆れたように苦笑いする。
「数年ぶりに現れた、完全無所属の新しいSランク探索者。しかも、あの『紅蓮の牙』の不正をたった一人で暴き、圧倒的な実力を見せつけたとなれば、全国の有力ギルドが放っておくはずがない。みな、君という最強のジョーカーを手に入れるために必死なのさ」
押し寄せるスカウトマンたちは、雪乃と神宮寺の鋭い視線に気圧されて一定の距離を保ちながらも、口々に破格の条件を提示し始めた。
「天谷様! 我が『竜鳴の咆哮』は、契約金として即座に30億円をご用意しております! さらに専用のダンジョンを一つ、丸ごと貴方個人の所有物として贈渡いたします! ぜひ我がギルドへ!」
「お待ちください! 我々『夜十字』ならば、都内の最高級タワーマンション一棟と、専属のサポート部隊100名を保証いたします! 毎月の活動資金も無制限です!」
「うちなら、お好きな海外リゾートの島と、政界への強力なコネクションをお約束します! どうかご検討を!」
目の前で飛び交う、昨日までの自分には一生縁のなかったような莫大な金額と、桁外れの待遇。
普通の人間であれば、一生遊んで暮らせるその誘惑に負けて、すぐにでも首を縦に振っていただろう。
だが、湊は全く動じなかった。
ステータスを自由に操れる手動割当の力があれば、金や名誉などいつでも自分の力で手に入れられる。それに、今の湊にとって最も価値があるのは、安全な豪邸でふんぞり返ることではなく、強敵と命を懸けて戦うあの「ヒリつくような死闘の快楽」なのだ。
湊はスカウトマンたちに向かって一歩前に出ると、深く、丁寧なお辞儀をした。
「皆様、俺のような若輩者にそれほど素晴らしい条件を提示していただき、本当にありがとうございます」
静かで、よく通る湊の誠実な声に、ロビーは一瞬にして水を打ったように静まり返る。
「ですが、大変申し訳ありません。俺はすでに、ここにいる柊雪乃さんと共に、未踏破領域の最深部を目指すと約束しました。大きすぎる組織に所属するつもりはありませんし、他のギルドへ加入するつもりもありません。どうか、お引き取りください」
一切の迷いがない、毅然とした断り文句。
そのあまりにも潔い決断に、スカウトマンたちは反論の言葉を失い、落胆の表情を浮かべながら少しずつ後退していった。自分たちの提示した金や権力では、彼の心を一切動かせないと悟ったからだ。
その様子を静かに見ていた神宮寺は、満足そうに腕を組んで深く頷いた。
「……なるほど。金や権力には目もくれず、ただダンジョンの深淵だけを見据えているか。雪乃が自分の居場所を投げ打ってまで、君を相棒に選んだ理由がよく分かったよ」
神宮寺は雪乃に向き直り、力強く告げた。
「雪乃。ギルドのメインパーティの穴は、俺がなんとかしておく。お前は組織のことなど何も気にせず、その相棒と共に、俺たちには届かなかった奈落の底へ行ってこい。七大ギルドの連中が本格的に動く前に、お前たちの力で真実を暴いてこい」
「神宮寺さん……。ありがとうございます。必ず、結果で報いてみせます」
雪乃は珍しく、少しだけ感情を滲ませた優しい微笑みを浮かべて礼を言った。
そして、彼女は双剣のホルダーを鳴らしながら、静かに振り返る。
「さて、邪魔者も消えましたし、挨拶も済みました。準備はよろしいですか、天谷さん」
湊は両腕の『崩星の籠手』を軽く打ち合わせ、重低音を響かせた。
この武器と防具、そして隣に並び立つ最強の魔法剣士。もう、何も恐れるものはない。
「ええ、いつでもいけます。行きましょう、雪乃さん」
数多のギルドからの破格の誘いを断り、最強の氷の剣士を唯一の相棒に選んだ青年。
ステータスを自在に操るバグの存在が、いよいよ誰も到達したことのない『黒淵の顎』の第十八階層――真の未踏破領域へと、その力強い歩みを進めるのだった。
【ステータス】
【名前】天谷 湊
【年齢】20
【HP】6,000 / 6,000
【MP】6,000 / 6,000
【筋力】30,000
【俊敏】6,000
【体力】6,000
【知力】6,000
【魔力】6,000
【保留ポイント】276,090




