暴食の蠱毒
「――ハッ!」
雪乃の双剣が白銀の軌跡を描き、三つ首の魔狼の視界を吹雪で奪う。 すかさず死角へ潜り込んだチャオの青龍刀が、分厚い毛皮ごと魔狼の一つの首を両断した。
『グォォォォォォッ!?』 「休んでる暇はないわよ!」
残る二つの首がチャオへ向けて暗黒のブレスを吐き出そうとした瞬間、横合いから漆黒の暴風が直撃した。 椿の『翠嵐・旋刃』だ。圧縮された風の刃が、魔狼の巨体を宙へと打ち上げる。
「橘! 結衣!」 「はいっ! 【完全均衡の祝福】!」 「させませんっ!」
結衣のバフで跳ね上がったステータスを乗せ、橘が紫色の盾を構えて大地の如く踏みとどまる。
全身を燃え盛らせた巨大なゴーレムが振り下ろした溶岩の拳を、橘の盾が正面から完璧に弾き返した。
『オオオオオオオッ!』 『邪魔だ、岩石風情が!』
ゴーレムの体勢が崩れた隙を突き、ハクが砲弾のような速度で跳躍する。
S級のユニークモンスターである彼女の純粋な物理打撃がゴーレムの胸部に深々と突き刺さり、核ごと粉々に砕き散らした。
開戦から、わずか数十秒。
外の世界であれば一国を滅ぼしかねないS級モンスター二体が、仲間たちの完璧な連携によって瞬く間に無力化されていく。
「シャァァァァァァッ!!」
仲間の死など意に介さない八本鎌の毒蜘蛛が、樹上の死角から俺の頭上へと落下してきた。
鋭利な鎌が、俺の身体を八つ裂きにせんと迫る。
「……遅い」
俺は視線すら向けず、右手を軽く頭上へとかざした。
「――『炎神の紅蓮』」
仮想武具を展開するまでもない。
白虎のコアと月光花によって修復・拡張された俺の魔力回路は、息をするように規格外のマナを練り上げる。
右掌から放たれた極限圧縮の炎が、落下してくる毒蜘蛛を空中で完全に呑み込んだ。
「ギャァァァァァッ!?」
強固な外殻も、致死の猛毒も、すべてが一瞬で消し炭へと変わる。 ドサリ、と。真っ黒な灰となった三体のS級モンスターが、大地の瘴気に溶けていった。
「ふぅ……。流石にS級ともなると骨が折れるわね」 チャオが額の汗を拭いながら青龍刀を収める。
俺は燃え盛る右手の熱をスッと冷まし、空中にウインドウを視覚化した。
【獲得経験値:1,450,000】
【獲得経験値:1,280,000】
【獲得経験値:1,620,000】
【保留ポイント:360,000 → 4,710,000】
「……よし」
思わず口角が上がる。
たった三体の門番を倒しただけで、これまでのA級ダンジョン巡りの十倍以上のポイントが手に入った。
これなら、新たな仮想武具を構築することも造作ない。
「本当に、冗談みたいな狩り場ね……」 椿が周囲の瘴気を手で払いながら、呆れたような溜息を吐いた。
「これだけS級が密集している環境なんて、世界中を探してもあり得ないわ。叔父上がここを手に余らせたのも納得ね。いくら西園寺の隠密部隊でも、こんな場所で訓練なんて自殺行為よ」
「だが、俺たちにとっては最高のポイント庫だ。この調子で奥へ進むぞ」
俺が先頭を歩き出そうとした、その時だった。
「……待って、湊」
咲耶が、俺のコートの裾をキュッと引っ張った。
彼女の紫色の瞳が、森の奥の暗闇を鋭く睨み据えている。
「どうした、咲耶」
「おかしいわ。さっきまで森の奥から聞こえていた獣たちの咆哮が……一つ残らず消えた」
その言葉に、全員がハッと息を呑んだ。
言われてみれば、先ほどまで地鳴りのように響いていた無数のモンスターの気配が、不自然なほど完全に消失している。
まるで、巨大な波が引いていくかのような、静まり返った不気味な静寂。
「結衣、周囲の様子はどうなってる?」
「だ、ダメです……! 瘴気が濃すぎて、センサーが全く機能しません……!」
結衣がタブレットを必死に操作するが、画面はノイズで埋め尽くされていた。
『……主どの。なんだか、嫌な匂いがするぞ』
野生の勘に優れるハクが、獣耳をペタンと寝かせ、警戒心を剥き出しにして唸り声を上げる。
『森の奥から……血と、腐った肉の匂いだ』
俺たちは陣形を固め、音を立てずに黒い森の奥へと足を踏み入れた。
数分ほど進んだ先。
鬱蒼とした木々が開け、すり鉢状になった巨大な窪地へと出た。
「なっ……」
橘が盾を構えたまま、絶句する。
窪地の底に広がっていたのは、言葉を失うほどの『死体の山』だった。
数メートルを超える巨大な獣、鳥、爬虫類のモンスターたちが、無残に食い散らかされ、幾重にも重なって腐臭を放っている。
だが、俺たちの目を引いたのは、その死体の山の中央で『食事』をしている一つの影だった。
「あれは……」
それは、漆黒の巨大な『大蛇』だった。
全長は五十メートルを優に超え、黒光りする鱗は周囲の瘴気を吸い込んで禍々しい光を放っている。その大蛇が、自身の数倍はあろうかという他のS級モンスターの死骸を、丸呑みにして喰らっていた。
「共喰い……?」
雪乃が顔をしかめ、双剣の柄を強く握る。
「ただの共喰いじゃないわ」
椿の顔色が悪かった。彼女は震える指先で、大蛇の額を指差した。
「見て、あの額。……黒い結晶が、埋め込まれている」
椿の指摘通り、大蛇の額には、新宿で西園寺厳冬を理不尽なバケモノに変えたあの『使徒の結晶』が深く突き刺さっていた。
「……なるほどな。叔父上がこのダンジョンを放棄した本当の理由が分かったわ」
椿が忌々しそうに唇を噛む。
「使徒は、厳冬よりもずっと前から、この迷宮にあの結晶をバラ撒いていたのよ。モンスター同士を隔離環境で殺し合わせ、結晶の力で勝者が敗者を喰らい、能力を統合していく。……ここは、最強の兵器を造り出すための『蟲毒』の壺だったんだわ」
使徒の悪意は、人間社会の裏側だけでなく、こんな地下深くの生態系にまで根を下ろしていた。
ズルリ……。
大蛇が食事を止め、その金色の双眸をゆっくりと俺たちの方へと向けた。
『――――――』
咆哮すらない。
ただ視線を向けられただけで、大気が震え、圧倒的な殺意の質量が物理的な重圧となって押し寄せてくる。
これまでのS級モンスターとは次元が違う。厳冬の変異体すら凌駕するかもしれない、凝縮された純粋な暴力の結晶。
「……っ、前衛はわたしが!」
「待て、橘」
俺は、盾を構えようとする橘の肩を掴んで制止した。
額に冷たい汗が伝うのを感じながらも、俺の口元は自然と歪んでいた。
「いい狩り場じゃないか。……使徒がどれだけ手間暇かけて育てた兵器か知らないが、全部俺の新しい器の養分にさせてもらう」
俺は一歩前に出て、保留ポイントのウインドウを開いた。
470万という膨大な数値を前に、俺の脳内で新たな仮想武具の構築式が組み上がっていく。
「さて、どこまで耐えられるか試してやるよ」
暴食の蟲毒を制したバケモノと、限界を突破した俺の力が、黒い森の深淵で真っ向から激突しようとしていた。




