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狂気の結晶



 ダンジョン入口の重厚な防壁ゲートを抜け、俺たちは無事に地上へと帰還した。


 夕闇が迫る東京の空気を肺いっぱいに吸い込み、結衣が安堵の息を漏らす。


「……無事に帰ってこられて、本当によかったです」


「ええ。色々とイレギュラーはあったけれど、収穫は十分すぎるほどだったわね」


 チャオが、椿の手にある西園寺家の認識票ドッグタグを横目で見て笑う。


『主どの! 無事に地上に出たぞ! さあ、約束の極上ステーキだ! 我はもう胃袋が背中とくっつきそうなくらい腹が減っておる!』


 ハクが純白のチャイナドレスの裾を揺らし、獣耳をパタパタとさせながら俺の背中をバンバンと叩いてくる。S級ユニークモンスターの物理打撃は、たとえ手加減されていてもそこそこ痛い。


「分かってる。拠点に戻ったらすぐ焼いてやるから、大人しく車に乗れ」


 俺は苦笑しつつ、停めてあったSUVの鍵を開けた。


 椿は少しだけ緊張した面持ちで、そっと車のボディに触れた。


「……本当に、私のような西園寺の人間を迎え入れてくれるのね」


「今更だろ。それに咲耶を説得する手土産は、お前が持ってるその認識票だ。お前の政治力、存分に活かしてもらうぞ」


「ええ……任せてちょうだい」


 椿は妖艶な笑みを浮かべ、後部座席へと乗り込んだ。


 ギルド『黎明』拠点、最上階ラウンジ。


 エレベーターの扉が開いた瞬間、待ち構えていたかのように黒い旋風が飛び込んできた。


「湊ォォォォォォォッ!!」


 凄まじい勢いで俺の胸に飛び込んできたのは、皇咲耶だった。


「おかえりなさい、湊っ! ずっと待ってたんだから! 怪我はない!? 無理してない!?」


 俺の身体をベタベタと触って無事を確認する咲耶。だが、その直後。


 エレベーターから降りてきたメンバーの最後尾――西園寺椿の姿を視界に捉えた瞬間、咲耶の動きがピタリと止まった。


「……お疲れ様、湊。それで? ただの監視役だったはずのその女が、どうしてそんな『身内』みたいな顔をして湊の隣に立っているのかしら?」


 ラウンジの気温が急降下し、咲耶の背後に赤黒い魔法陣が展開され始める。


 椿はヒールの音を鳴らし、優雅に一歩前へと出た。


「ただいま戻りましたわ、皇の当主様。今日からギルド『黎明』に所属することになった、西園寺椿です。以後、お見知りおきを」


「……は?」

 ブチッ、と。咲耶の頭の中で何かが切れる音がした。


「わたしというものがありながら、、、この小娘まで自分の側におくつもり……!?」


「待て待て咲耶、話を聞け!」


 俺は慌てて極大魔法を放とうとする咲耶を羽交い締めにし、椿に目配せをした。


 椿はスッと表情を引き締め、手にした数枚の焼け焦げた認識票をテーブルの上へと放り投げた。


「……これは?」


「我が西園寺家の隠密部隊のものです。今回、あなたたちを罠に嵌めたのは西園寺厳冬………ですが、彼は『使徒』と名乗る未知の化け物たちに利用されていただけでした。当主の放った部隊は、あの使徒によってキメラの苗床にされたのです」


 椿の口から語られた、地下迷宮での一部始終。


 西園寺の当主すら手玉に取る『新たなる世界の秩序を創造する者』の存在。


 そして、椿自身が西園寺を内部から乗っ取るために、黎明と手を組むという取引。


 話を聞き終えた咲耶は、背後の魔法陣をスゥッと消し去り、腕を組んで冷たく椿を見据えた。


「……なるほどね。西園寺の老いぼれが裏でコソコソやっていた証拠を手に入れた、と。それを公にすれば、防衛省も協会も西園寺を庇いきれなくなる」


「その通りよ。私が西園寺の内部事情をリークし、あなたが皇家の権力で圧力をかける。……最高の協力関係だと思わない?」


 椿が妖艶に微笑むと、咲耶はふんっと鼻を鳴らした。


「いいわ。ギルドの利益になるなら、置いてあげる。……でも! 湊に色目を使ったら、その瞬間にあなたの心臓を焼き切るから、それだけは肝に銘じておきなさい!」


「ふふっ、善処するわ」


 バチバチと激しい火花を散らす二人。

(……まあ、当分は騒がしくなりそうだな)


 俺は密かにため息をついた。



 同時刻。


 東京の中心部にそびえ立つ、西園寺家所有の高層ビル・最上階の執務室。


 当主である西園寺厳冬は、最高級のワイングラスを傾けながら、苛立たしげに窓の外を見下ろしていた。


「……遅い。地下迷宮の魔力発生装置を回収に向かわせた隠密部隊からの定時連絡が途絶えている。椿の小娘からも報告がない。一体どうなっている」


 その時。


 執務室の空間がぐにゃりと歪み、真っ黒な転移陣の中から、純白のスーツに身を包んだ青年――『使徒』が音もなく姿を現した。


「貴様か。我々に貸し与えた地下迷宮のギミックはどうなっている? 天谷湊は仕留めたのだろうな?」


 厳冬が鋭く問い詰めるが、使徒は感情の読めない薄気味悪い笑みを浮かべたまま、ゆっくりと首を横に振った。


『残念ながら、彼らは無事に帰還しましたよ。あなたの放った隠密部隊は、我が組織のキメラの優れた「苗床」となって散りましたが』


「……なんだと? 貴様、我々西園寺を裏切ったのか!」


 厳冬が激昂し、魔力を練り上げようとした瞬間。


『裏切る? おこがましい。ただのモルモットが、飼い主に対等な口を利かないでいただきたい』


 使徒が指先を軽く弾いた。


 不可視の重圧が厳冬の身体を床に叩きつけ、大理石の床が蜘蛛の巣状にひび割れる。


「ぐはっ……! き、貴様ァ……!」


『西園寺厳冬。あなたの野心と権力欲は、なかなか良い負のエネルギーを秘めている。……我々の次の実験には、うってつけの素材だ』


 使徒の掌に、禍々しい漆黒の光を放つ『黒い結晶』が現れた。


 それは、周囲の光すらも吸い込むような、純度の高い狂気の塊。


「や、やめろ……! 私に何をする気だ……ッ!」


 使徒は床に這いつくばる厳冬の胸ぐらを掴み上げると、その黒い結晶を、厳冬の心臓へ向けて無造作に突き刺した。


 皮膚を裂き、肉を貫き、心臓と直接融合する結晶。


「アァァァァァァァァァッッ!!!」


 厳冬の口から、人間のものとは思えない絶叫がほとばしる。


 彼の身体の血管がドス黒く浮かび上がり、筋肉が異常なまでに膨張していく。着ていた最高級のスーツが弾け飛び、皮膚が硬質な鱗へと変異していく。


 理性と知性が完全に焼き切れ、破壊衝動のみが残った異形の怪物。


『素晴らしい。見事な変身だ』


 使徒は満足げに拍手を送ると、再び転移陣を展開し、その姿を消した。


『グガァァァァァァァァァァッ!!』


 理性を失った巨大な怪物は、咆哮と共に執務室の防弾ガラスを粉砕し、はるか下方の東京の市街地へと身を躍らせた。


 ズドォォォォォォンッ!!!


 大通りに巨大な質量が落下し、アスファルトがクレーター状に陥没する。


 吹き飛ばされる車両、逃げ惑う人々の悲鳴。

 かつて西園寺厳冬だったその怪物は、腕を振り下ろすだけで周囲のビルを粉砕し、東京のど真ん中で甚大な被害を生み出し始めた。



『主どのォォォ! もう我慢できん! 飯だ、飯を食わせろォォ!』


 限界を迎えたハクが、床をバンバンと叩いて泣き喚いていた。


「ほら、食え。ハク用の特大ステーキだ」


『う、うおおおおおおっ! 美味ぁぁぁぁぁぁいッ!』


 俺が用意した極厚のサーロインステーキに、ハクはナイフとフォークを使うことも忘れ、大口を開けて齧り付いた。


 その横で、俺は自分用の夕食の計量を終え、席についていた。


 きっちり200gの白米と、オーブンでじっくりと甘みを引き出した450gのさつまいもだ。極限まで酷使した肉体と魔力回路を回復させるための、寸分違わぬ黄金比。


「マスター、また随分とストイックな食事ですね……。ステーキ、食べないんですか?」


 橘がハクの豪快な食べっぷりを見ながら苦笑する。俺は湯気を立てるさつまいもを頬張り、身体の隅々にエネルギーが染み渡るのを感じる。


 椿が、呆れたような、それでいて熱を帯びた瞳で俺を見つめてくる。


「ちょっと! またそうやって湊を見つめる! 目をくり抜くわよ!」


 隣に座っていた咲耶が、フォークを突きつけて椿を威嚇する。


 そんな、騒がしくも平穏な夕食が始まろうとした――まさにその時だった。


 ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!


 東京全域を震わせるような、鼓膜を劈く特別警戒警報サイレンが鳴り響いた。


 同時に、結衣の持っていた情報端末がけたたましいアラートを発する。


「な、何事ですか!?」


 結衣が慌てて端末の画面を開き、そこに映し出された映像に息を呑んだ。


「マスター! 東京の中心部……西園寺家の本社ビル周辺に、未確認モンスターが出現! 街を破壊しながら、こちらの方角へ向かってきています!」


「なんだと……!?」


 画面に映し出されていたのは、見覚えのある西園寺の高層ビルが中腹からへし折れ、その足元で異形のバケモノが炎と瓦礫を撒き散らしている惨状だった。


 椿が、その映像に映る怪物の『ある特徴』を見て、顔面を蒼白にさせた。


「嘘……あの怪物の腕の装甲……当主様(厳冬)のものと同じ……!? まさか、あの怪物は……」


 使徒の悪意は、すでに東京の心臓部を喰い破っていた。


 極上のステーキの香りが漂うラウンジの空気は一変し、俺たち【黎明】は、食事を投げ打って再び戦場へと赴くこととなった。


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