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決別の風



 静まり返った地下ドームに、暗闇の奥からパチパチという乾いた拍手の音が響き渡っていた。


 姿を現したのは、純白のスーツに身を包んだ端正な顔立ちの青年――いや、『人間の形を模した何か』だった。


 その姿を視界に捉えた瞬間、俺の全身の細胞がけたたましい警報を鳴らした。


(……こいつ、人間じゃない)


 かつて九州の闘技場で交戦したベルゼや、海で交戦した九尾と同様に知性と自我を持った『ユニークモンスター』たちが放っていた特有の気配。


 だが、目の前の男から溢れ出しているそれは、過去の個体とは比較にならないほど洗練され、そして異次元の重圧プレッシャーを伴っていた。ただそこに立っているだけで、空間そのものが軋みを上げている。圧倒的な『強者』のオーラだった。


「新たなる世界の秩序を創造する者……だと?」


 俺が鋭く睨み据えると、青年は胸に手を当てて優雅に一礼した。


『ええ。名乗るほどの者ではありませんが……強いて呼ぶなら、「使徒」とでもお呼びください。天谷湊、あなたのデータは我々も注視していましたよ』


 感情の読めない、薄気味悪い笑みを張り付けた使徒は、足元に転がるキメラの灰を一瞥し、肩をすくめた。


『西園寺の当主には、この第4セクターを【黎明】を潰すための隔離施設として貸し与えました。……しかし、あの老人は思い上がりが過ぎる。我々の用意したこの舞台の裏で、自家の隠密部隊を潜り込ませ、迷宮のコアを密かに持ち帰ろうと画策していた』


「……っ」


 椿が息を呑み、双眸を鋭く見開く。


『ですから、少々お仕置きをしたのです。彼らには、我が組織が研究しているキメラの優れた「苗床」となっていただきました。……西園寺の精鋭の肉体は、存外良い魔力を蓄えていた。おかげで素晴らしいキメラが完成したのですが……まさか、あなたに一撃で消し炭にされるとは』


 使徒はクスクスと、まるで壊れたおもちゃを前にした無邪気な子供のように笑う。


「ふざけるな……ッ!!」


 激昂した椿が、腰に帯びていた漆黒の『鉄扇』を引き抜いた。


 バサッ! と鋭い音を立てて鉄扇を開き、そこに極限まで圧縮した暴風を纏わせる。


「『翠嵐・旋刃すいらん・せんじん』!!」


 椿が鉄扇を横凪ぎに一閃する。


 放たれたのは、空間そのものを両断せんばかりの不可視の風の斬撃。九州の戦いでも悪魔たちを容易く切り刻んだ、彼女の必殺の広範囲攻撃だ。


 だが――。

 ギギギギギギッ!!!


「なっ……!?」


 椿の放った暴風の刃は、使徒の首元からわずか数センチの空間で、見えない壁に阻まれて完全に停止していた。


 いや、防がれたのではない。使徒が指先を軽く動かしただけで、風の刃が空間の歪みによって『ねじ曲げられ』、霧散させられてしまったのだ。


『野蛮な女性ですね。……西園寺の駒風情の風が、私に届くとでも?』


 使徒がそのまま指先を軽く弾いた。


 瞬間、椿の周囲の空間がぐにゃりと歪み、凄まじい衝撃波が彼女の身体を真横へと弾き飛ばした。


「きゃあっ……!」

「椿!」


 石壁に叩きつけられそうになった椿を、俺は神速の踏み込みで間に入り、その細い身体を腕で受け止めた。


「ぐっ……ありがとう、湊」


「無茶をするな。……アイツの周りの空間、マナの密度が異常だ。並の魔法は到達する前に軌道を逸らされる」


 俺は椿をゆっくりと下ろし、使徒を睨み据えた。


 人間社会の裏に潜み、知性を持ち、言葉を操り、さらにはダンジョンそのものを利用する洗練されたバケモノ。


『おや、流石はギルドマスター。冷静な分析だ。……ですが、今日はあなたと殺し合いをするために来たわけではありません。我々の目的は、キメラの実戦データの収集。それと――』


 使徒が指を鳴らすと、破壊された水晶の柱の残骸から、一つの黒いキューブ状の魔導具がふわりと浮かび上がり、彼の手元へと収まった。


『この空間を隔離していた魔導具の回収です。これさえ引き上げれば、この迷宮もただの地下空間へと戻る。……西園寺の遺留品は、好きになさって構いませんよ。どうせ、協会も防衛省も西園寺の息がかかっています。彼らにそれを突きつけて、人間同士の政治的な駆け引きを楽しんでみてはいかがですか?』


「随分と上から目線だな。……ここで俺に焼き殺されるとは思わないのか?」


 俺が右腕に赤黒い炎を練り上げると、使徒は初めて、その張り付いたような笑みをスッと消した。


『……ええ。今のあなたと正面から打ち合えば、私とて無事では済まないでしょう。あなたの持つその力は、我々の計画においても最大の「イレギュラー」です』


 使徒の足元に、真っ黒な転移陣が広がり始める。


『天谷湊。そしてギルド【黎明】。……いずれ、本当の絶望の世界で相見えましょう』


「逃がすかよッ!!」


 俺は地を爆発的に蹴り、限界まで圧縮した炎の拳を使徒の顔面へと叩き込んだ。


 空間をねじ曲げる見えない壁が、俺の『紅蓮魔鎧』の熱量と衝突し、凄まじい火花と衝撃波を撒き散らす。


 バキィィィィンッ!!!


 空間の歪みを、力業で粉砕する。


 だが、俺の拳が使徒の顔面を捉えようとした瞬間、彼の身体は黒い転移陣へと完全に吸い込まれ、泥のように溶けて消え去ってしまった。


「……チッ、逃げ足の速い野郎だ」


 俺は拳の炎を収束させ、舌打ちをした。


 後に残ったのは、焼け焦げたキメラの残骸と、西園寺の隠密部隊の認識票だけ。


「マスター、追いますか!?」


 橘が盾を構えたまま駆け寄ってくる。


「いや、完全に気配が消えた。転移魔法で座標ごと飛んだらしい。追うのは不可能だ」


 俺が首を横に振ると、仲間たちも警戒を解いて武器を収めた。


『……なんてこと。当主様は、最初から全てを知っていたのね』


 背後で、椿が力なく壁に寄りかかり、手にした鉄扇をギュッと握りしめていた。


『私を同行させたのも、皇家の目をごまかし、この罠を【黎明】だけの責任に見せかけるためのカムフラージュ。……最悪の場合、私もこの迷宮でキメラの餌になることを見越した上で……』


 彼女の艶やかな顔は青ざめ、微かに震えていた。


 西園寺家が誇る天才であり、七星として名を馳せた彼女でさえ、当主である厳冬にとっては、いつでも切り捨てられる盤上の駒に過ぎなかったという事実。


「……椿さん」


 結衣が心配そうに声をかけるが、椿は自嘲気味に笑って首を振った。


「同情は結構よ。これが裏社会を生きる旧御三家のやり方。……力なき者は切り捨てられ、利用される。分かっていたはずなのに、私も随分と甘くなったものね」


 彼女は落ちていた西園寺家の認識票を拾い上げ、瞳に冷たく鋭い『決意』の光を宿らせた。


「……湊」


 椿は真っ直ぐに俺の目を見た。


「あなた、言ったわね。黎明のマスターとして、誰の陣営にも下るつもりはないって」


「ああ。言ったな」


「なら――私を、あなたのギルドに入れなさい」


「……は?」


 突然の申し出に、俺は思わず間の抜けた声を出した。


 雪乃やチャオも、驚きで目を丸くしている。


「勘違いしないで。私は西園寺家を裏切るわけじゃないわ。……西園寺厳冬という男が当主の座にいる限り、我が家はあの得体の知れない化け物たちに喰い潰される。だから、私が西園寺を乗っ取るのよ」


 椿は一歩前に出て、堂々と言い放った。


「そのために、あなたの力が必要なの。皇の当主をパトロンにしているあなたなら、西園寺の内部抗争に介入することも不可能じゃない。……私をギルドに入れなさい。私は私の全てを使って、あなたたち【黎明】の裏社会での立ち回りをサポートしてあげるわ。悪くない取引でしょう?」


 それは不器用で、ひどく真っ直ぐな共闘の申し出だった。


「……はぁ。お姫様に続いて、今度は西園寺の令嬢まで。うちのギルド、どうなってるのよ」


 雪乃が呆れたようにため息を吐く。


「ま、いいんじゃない? 実力は確かだし、頭も切れそうだしね。お姫様とのキャットファイトは見物になりそうだけど」


 チャオがニヤニヤと笑いながら肩をすくめた。


『おい、そんなことより飯だ!! 我はもう限界だぞ主どの!!』


 空気を読まないハクの叫びが響き渡り、緊迫していたドーム内の空気が一気に抜ける。


「……分かったよ。帰って極上ステーキだ」


 俺は苦笑しながら、椿へと右手を差し出した。


「いいだろう。取引成立だ、椿。ただし、うちのギルドは色々と規格外で騒がしいぞ。覚悟しておけよ」


「ええ。望むところだわ、マスター」


 椿は妖艶な笑みを取り戻し、俺の手を力強く握り返した。


 迷宮の底での死闘を越え、洗練されたユニークモンスター『使徒』という新たな影の存在を知った俺たち。


 西園寺の美姫という強力で厄介な仲間を加え、ギルド【黎明】は、日本の裏社会を巻き込むさらなる激動の渦中へと足を踏み入れていくのだった。


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