迷宮の底
融解し、まだ赤熱している特異鉱石の壁を抜け、俺と椿は戦闘音が響く通路の先へと駆け出した。
石造りの巨大な広間に出ると、そこには無数の黒い影――実体を持たない『幻影の騎士』の群れと交戦する、黎明のメンバーたちの姿があった。
「――『氷絶・華乱』!」
雪乃の双剣から放たれた絶対零度の斬撃が、迫り来る幻影の騎士たちを次々と氷の彫像へと変えていく。
すかさず、チャオが地を蹴った。青龍刀に纏わせた鋭い『氣』が、凍りついた敵の陣形を一直線に粉砕する。
「湊さんがいなくても、この程度なら私たちの敵じゃないです!」
「結衣さんの言うとおりです! さっさと片付けて、湊さんを迎えに行きましょう!」
敵の数は数十、いや百を超えているかもしれない。だが、橘の完璧なヘイト管理と防御、結衣の後方からの的確な治癒魔法によって、二人のアタッカーは一切の被弾を許さずに前線を押し上げていた。
『ええい、鬱陶しい! 次から次へと湧いてきおって! 飯にもならんものどもが!』
そして何より、陣形の一角で暴れ回るハクの存在が圧倒的だった。
人間の姿でありながら、その身体能力はS級のユニークモンスターそのもの。彼女が苛立たしげに細い脚を振り抜くたびに、強烈な衝撃波が発生し、幻影の騎士たちが十体単位でまとめて吹き飛ばされていく。
「……なるほど。これが新興ギルド『黎明』の真の力」
俺の隣で、椿が感嘆の吐息を漏らした。
「ギルドマスターであるあなたの突出した力に依存しているだけの集団かと思っていたけれど……見立てが甘かったわね」
「当たり前だ。俺が背中を預ける連中だぞ、精鋭揃いだ」
俺は小さく笑い、右手に軽く炎を練り上げた。
「おい、お前ら! 随分と楽しそうじゃないか」
俺の声に、広間で戦っていた仲間たちが一斉にこちらを振り向いた。
「湊さん!」
「マスター! ご無事でしたか!」
橘と結衣がパァッと顔を輝かせる。雪乃とチャオも、安堵したように口角を上げた。
「遅いわよ、湊。こっちはもうおかたづけが終わるところだったのに」
雪乃が軽口を叩きながら、残っていた幻影の騎士を氷砕する。
「悪いな、ちょっと壁を壊すのに手間取った。……椿、お前も『オブザーバー』なら、少しは手伝ったらどうだ?」
俺が視線を向けると、椿は妖艶な笑みを浮かべ、スッと前に出た。
「ええ、もちろん。改めて私の実力も、しっかりとお見せしておかないとね」
椿はスッと姿勢を低くし、両手足に高密度の『風』を纏わせた。
九州の戦いでも見せた、風を纏った近接攻撃
「――『翠嵐・旋刃』」
ドンッ、と椿の姿がブレた。
風を纏った神速の踏み込み。彼女は残存していた幻影の騎士たちの懐へと滑り込むと、風の刃を纏わせた鋭い回し蹴りと手刀を流れるように放った。
斬撃の音すら置き去りにする暴風の乱舞。幻影の騎士たちの身体が、抵抗する間もなく一瞬にして両断され、霧散していく。
音もなく、そして美しく、残存部隊が完全に殲滅された。
「……へぇ。どんなものかと思っていたけれど、やるじゃない」
チャオが青龍刀を肩に乗せ、少しだけ感心したように口笛を吹いた。
「これでも『元』国内最強の七星の肩書きは伊達じゃない。あなたたちの足手まといにはならないと思うわ」
椿が微笑みながら纏っていた風を解除すると、ハクが鼻をフンッと鳴らして近づいてきた。
『チッ、余計な手間をかけおって。我一人でもあと十秒あれば片付いていたというのに! それより主どの、腹が減った! 何かないのか!』
「お前はさっき朝飯食ったばかりだろうが」
文句を言うハクの頭を軽く小突いていると、結衣がタブレットを持って駆け寄ってきた。
「湊さん、無事でよかったです。……あの、転移の霧が発生した時の周囲のマナデータなんですが」
結衣の表情は、どこか緊迫していた。
「この迷宮のマナの流れ、やっぱりおかしいです……私たちが分断されたのも、ダンジョン本来のギミックじゃないように思います。何者かが意図的に空間を歪ませた痕跡があります」
「人為的なトラップってことか。ご丁寧に、俺たちを潰すために色々と仕込んでくれているらしいな」
俺は周囲を見渡した。
分断は失敗に終わり、幻影の騎士による物量作戦も一蹴した。だが、ここは過去にS級パーティを三つも飲み込んだ場所だ。この程度の仕掛けで終わるはずがない。
「進むぞ。マナの発生源は特定できているか?」
「はい。この地下階層のさらに奥……最深部から、巨大なエネルギーの反応があります」
結衣のナビゲートに従い、俺たちは再び陣形を組んで迷宮の奥へと足を踏み入れた。
* * *
迷宮は深く、そして静かだった。
第一階層を抜けた先には、人工的な無機質の空間が広がっていた。壁も床も金属質のパネルで覆われ、まるで現代の地下シェルターのような異質な光景だ。
道中、何度か罠が作動し、強力なモンスターが転送されてきたが、雪乃たちの連携と椿の風の格闘術によってあっさりと処理されていった。
「……椿さん、でしたっけ。随分とうちのマスターとの距離が近いですわね」
歩きながら、雪乃がジト目で椿を睨みつける。
椿は俺のすぐ隣を歩き、時折、その豊かな胸が俺の腕に触れるほどの距離感を保っていた。
「あら、そうかしら? 七星としてともに九州の死地を乗り越えた仲だもの、これくらい普通よ」
「ふーん……。でも、マスター…湊はそういうのに鈍感ですから、あまり露骨なアピールは逆効果だと思いますけれど」
「ふふっ、忠告ありがとう。でも、私には私のやり方があるの」
バチバチと火花を散らす二人をよそに、俺は通路の先から漂ってくる『異臭』に眉をひそめた。
血の匂いと、焼け焦げたような機械の匂い。
「……止まれ」
俺の合図で、全員が足を止めて武器を構える。
通路を抜けた先。
そこは、巨大なドーム状の空間だった。
中央には、禍々しい紫色の光を放つ巨大な水晶の柱――『人工的な装置』のようなものが鎮座している。
だが、俺たちの目を引いたのは、その装置の足元に転がっている『もの』だった。
「これ……探索者の、死体……?」
結衣が青ざめた顔で口元を押さえる。
そこには、真新しい探索者の遺体が十数体、無残に散らばっていた。
装備のエンブレムから、彼らが協会所属の精鋭達であることが分かる。
「どういうことだ……? 協会はここを未踏破の封鎖エリアだと言っていたはずだ。なぜ、こんな真新しい死体が……」
橘が盾を構えながら、油断なく周囲を警戒する。
「簡単なことよ。私たちをここに送り込む前に、罠の準備をしていた『裏方の連中』の末路……ってことでしょうね」
チャオが冷たく言い放った。
その時。
巨大な水晶の柱の陰から、ズルリ、ズルリと、巨大な影が這い出してきた。
『……ァ……アァァ……』
それは、人間の遺体と、無機質な金属の瓦礫、そして大量のヘドロのようなマナが融合して生まれたような醜悪極まりない巨大な肉塊だった。
全身から無数の腕や脚が生え、その中心には、巨大な『一つ目』がギョロリとこちらを睨んでいる。
「キメラ……。罠を仕掛けに来た人間を取り込んで、ダンジョンが新たなバケモノを生み出したのね」
椿が両腕に風を纏わせ、鋭い視線を向ける。
『アァァァァァァッ!!』
肉塊のキメラが、鼓膜を破るような絶叫を上げた。
同時に、キメラの中心にある一つ目がカッと見開かれ、俺たちの足元の空間が、泥沼のようにドロドロと溶け始めた。
「影の沼……っ! 足が、引きずり込まれる……!」
雪乃が顔をしかめ、脱出を試みるが、足元に広がる真っ黒な沼が強力な引力で俺たちを束縛する。
『主どの! なんか気持ち悪いぞこれ!』
ハクでさえも、足をバタバタとさせて身動きが取れずにいた。
「物理的な拘束じゃない。マナの密度を操作した重力場だわ」
椿が即座に分析する。
キメラの無数の腕が、刃のような形状に変化し、身動きの取れない俺たちへ向けて一斉に振り下ろされようとしていた。
「橘、防げ! 結衣、バフを回せ!」
「【絶対防壁】ッ!」
「はいっ! 【完全均衡の祝福】!!」
橘の展開した巨大な紫色の盾が、頭上から降り注ぐキメラの刃の雨を完璧に弾き返す。
同時に、結衣の杖から放たれた黄金の光が俺たち全員を包み込んだ。
瞬間、全身の筋肉と魔力回路に爆発的なエネルギーが満ち溢れるのを感じる。
「面倒だな……」
俺は深く息を吐き、足元の沼を見下ろした。
マナによる重力場。なら、それを力で強引に引き剥がすまで。
「全員、少し熱くなるぞ。――耐えろ」
俺は右拳を高く掲げた。
「仮想武具――『紅蓮魔鎧』」
ゴゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!!!!
結衣のバフによって5倍に跳ね上がったステータスが、尋常ではない火柱となって俺の全身を包み込んだ。
俺を中心に発生した超高温の熱波が、足元の『影の沼』の水分とマナごと、一瞬にして蒸発させる。
「きゃあっ!?」
「熱っ……!」
仲間たちが悲鳴を上げるが、沼の拘束は完全に消え去った。
「雪乃、チャオ! 椿!」
「「「了解!!」」」
拘束から解き放たれた三人が、瞬時にキメラの懐へと飛び込む。
「『氷絶・華乱』!」
「『神龍刃』!」
「『烈風・穿牙』!」
絶対零度の氷がキメラの動きを封じ、青龍刀の斬撃が装甲を砕き、椿の風を纏った重い蹴りが肉塊を深く抉る。
三人の凄まじい連携攻撃によって、キメラの巨体が大きく体勢を崩した。
「終わりだ」
俺は全身に『紅蓮魔鎧』を纏ったまま、一瞬で距離を詰め、キメラの巨大な一つ目のド真ん中へと、限界まで圧縮した炎の拳を叩き込んだ。
ズドガァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!
爆発。
キメラの巨体は、断末魔の悲鳴を上げる間もなく、内側から膨張して完全に灰へと還った。
静寂が戻ったドーム状の空間。
俺は炎の鎧を解除し、軽く肩を回した。
「……これで、ここの親玉はお終いか」
「ええ。この装置も、今の爆発で停止したみたいね」
椿が、光を失った水晶の柱を見上げて息をつく。
罠は打ち砕いた。発生源と思われる装置も潰した。
これで、協会も防衛省も、黎明に難癖をつけることはできなくなるはずだ。
「よし、帰るぞ。ハク、飯の時間だ」
『おおっ! 待っていたぞ、その言葉を!』
ミッションコンプリート。
誰も欠けることなく、俺たちは見事に罠を踏み破った――そう確信し、踵を返そうとした時だった。
「……待って、湊」
椿の声が、不自然なほど低く、震えていた。
振り返ると、彼女は停止したはずの水晶の柱の根元に落ちていた『ある物』を拾い上げ、血の気を引かせた顔でそれを見つめていた。
「どうした、椿」
「これ……」
彼女の手には、焼け焦げた探索者の遺留品――半分溶けかかった、銀色の『認識票』が握られていた。
「この認識票の紋章……協会のものじゃない。これ……我が西園寺家の、隠密部隊の紋章よ」
「なんだと?」
椿の言葉に、場の空気が一気に凍りついた。
俺たちを罠に嵌めようとしたのは、西園寺家当主である厳冬。
だが、その手駒であるはずの部隊が、なぜこんな場所で全滅し、キメラの苗床にされていたのか。
「……当主様は、私に『お前を同行させる』と言っていたわ。なのに、どうして……」
椿の瞳が、混乱に揺れる。
「トカゲの尻尾切りか、それとも……」
その時。
ドームの奥、さらに地下深くへと続く暗闇の中から、パチパチという乾いた拍手の音が響き渡った。
『――素晴らしい。まさか、あのキメラを力業でねじ伏せるとは。データ以上の出力だ、天谷湊』
暗闇から姿を現したのは、純白のスーツに身を包んだ、見知らぬ青年だった。
その顔には、感情の読めない薄気味悪い笑みが張り付いている。
「誰だ、お前は」
俺が鋭く問い詰めると、青年は優雅に一礼をした。
『初めまして。私は、新たなる世界の秩序を創造する者たちの末席……。西園寺の老いぼれに、この地下迷宮の『利用権』を与えてやった者です』
青年の言葉に、椿が息を呑む。
旧御三家である西園寺家。彼らでさえも、裏で操られている『巨大な闇』が、今、俺たちの目の前にその一端を現そうとしていた。




