幻惑の地下迷宮
翌日。
俺たち『黎明』の主力メンバーは、厳重に封鎖された東京都心の地下深く――旧地下鉄の廃路線からさらに下層へと続く、巨大な防壁の前に立っていた。
「ここが、『東京地下迷宮・第4セクター』の入り口……。空気が、地上のダンジョンとはまるで違いますね」
結衣が杖を胸に抱きしめる。
肌にへばりつくような、冷たいマナの残滓。深呼吸をすると、肺の奥にヘドロが溜まるような不快感があった。
「……湊。少しでも怪しいと思ったら、このペンダントを握りつぶして。すぐにわたしが迎えに行くから」
見送りに来ていた皇咲耶が、俺の首に皇家特製の魔力探知のお守りをかけた。
「分かってる。無茶はしない」
頭を撫でてやると、彼女は安堵の息を吐いた。だが、その視線が俺の背後に立つ女へと向いた瞬間、再び瞳に殺意が宿る。
「……西園寺の小娘。湊の背中に隠れてコソコソと足ばかり引っ張るんじゃないわよ。もし湊に擦り傷一つでもつけたら、お前の実家ごと灰にするわ」
その辛辣な言葉に対し、西園寺椿はヒールの音を響かせ、涼やかな笑みを浮かべた。
「ご心配なく、皇の当主様。私は守られるだけの足手まといになるつもりはありませんわ」
咲耶はまだ何か言いたげな表情だったが、湊が全員に声をかける。
「咲耶、留守は頼む。行くぞ、お前ら」
「了解です、マスター!」
「後衛ら任せてください!」
『うむ! 早く終わらせて、帰って極上ステーキを食うぞ!』
橘が巨大な盾を構えて先頭に立ち、雪乃、チャオ、結衣、ハクが続く。俺と椿は、陣形の中央で歩みを進めた。
重厚な防壁のゲートが開き、俺たちは『幻惑と隔離の箱庭』へと足を踏み入れた。
* * *
一階
崩落した古代遺跡のような石造りの迷宮だった。壁には青白い松明が等間隔で灯り、ひび割れた石畳が果てしなく続いている。
「……静かね。モンスターの気配が全くないわ」
チャオが青龍刀を肩に担ぐ。
「大気中のマナが不規則に揺らいでいます」
結衣がタブレットの解析データを見つめた。
その時だった。
――足元の石畳が、音もなく波打った。
「なっ……!?」
橘が咄嗟に盾を構える。
迷宮の奥から、乳白色の濃密な霧が津波のような勢いで押し寄せてきた。
「橘、防壁を!」
「はいっ! 【展開――】」
防壁の展開が間に合わず、霧が俺たちの身体を包み込む。
視界が完全に真っ白に染まり、方向感覚が強制的に遮断された。隣にいたはずの雪乃の気配も、先頭を歩いていた橘の気配も、一瞬にして掻き消える。
「雪乃! 橘!」
叫んでも、自分の声すら霧に吸い込まれ、反響しない。
数秒後。
霧がスゥッと晴れていく。
古代遺跡の通路は消え失せていた。
四方を鏡面のような滑らかな壁に囲まれた、小部屋のような密室。
仲間の姿はない。
ただ一人、俺の数メートル横で、双剣の柄に手をかけたまま周囲を鋭く睨み据えている人影があった。
「……空間転移ね。それも、かなり高位の術式だわ」
西園寺椿だ。
彼女は取り乱す様子もなく、凛とした佇まいのまま、壁の鉱石の質感を観察していた。
「無事か、椿」
「ええ、問題ないわ、湊」
椿は俺を振り返った。
「でも、完全に他のメンバーと切り離されたみたいね。通信機器も圏外。この部屋から出る扉も見当たらないわ」
椿は一歩、俺へと近づいた。彼女から漂う高級な香水の香に意識を取られていると椿がさらに口を開く。
「……西園寺の当主はね、あなたを我が陣営に引き込めと私に命じたわ」
「あのお姫様に縛られるには、天谷湊という男の器は大きすぎる、とね。西園寺は、あなたを最高の待遇で迎える。皇家のパトロンなんかより、もっと『大人』の、あなたに相応しい戦いの舞台を用意できるわ」
一切の誤魔化しもない、真っ向からの要求。
だが、俺は静かに首を横に振った。
「……悪いな、椿」
「俺は、咲耶のことを俺を縛るパトロンだなんて一度も思ったことはない。あいつは、俺たちを支えてくれる大切な仲間だ。それに、俺は黎明のマスターだ。誰かの陣営に下るつもりはない」
「……そう。仲間、ね」
椿は少しだけ目を伏せ、やがて顔を上げた。
「……でも、この壁を突破できなければ、その仲間たちの元へ戻ることもできないわよ? 魔法を反射する特殊鉱石みたいだけど」
「『破壊できない壁はない』」
俺は鏡面の壁の前に立ち、右手を当てた。
「――仮想武具:『紅蓮魔鎧』」
ゴゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!!!!
爆発的な勢いで噴き出した赤黒い炎が、俺の全身をすっぽりと覆う強固な『鎧』と化した。
莫大な熱量が、密室の空気を一瞬で灼熱へと変える。
「消えろ」
極限まで圧縮した炎と物理的な暴力を乗せた右拳を、鏡面の壁へと真っ直ぐに叩き込んだ。
ズドガァァァァァァァァァァンッ!!!!!
密室を揺るがす爆音。
魔法を反射するはずの特異鉱石の壁が、ドロドロに融解しながら木端微塵に吹き飛んだ。
「なっ……!?」
椿が、その凜とした表情を一瞬で崩し、驚愕に目を見開く。
だが、その驚きは、すぐに歓喜を帯びた不敵な笑みへと変わっていった。
「あはっ……! 凄い、凄いわね、湊。九州の時よりも、さらに強くなっているじゃない……!」
椿は、融解していく壁の残骸を見つめながら、ゾクゾクとした高揚感に身体を震わせていた。
粉塵が晴れた先。
本来の地下迷宮の通路と、遠くで戦闘音を響かせている仲間たちの姿があった。
「置いていくぞ、椿」
俺は歩き出した。
「この程度で、俺たちが崩れると本気で思っていたのなら、随分と見くびられたもんだ」
「ふふ……そうね。でも、見くびっていたのは、当主様のほうだわ」
椿は俺の後ろ姿を見つめ、その瞳に、より一層深い熱を宿らせていた。
幻惑の地下迷宮の奥深くへ。
俺たち『黎明』の、新たな死闘が幕を開けようとしていた。




