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来訪者



 上野恩賜公園に発生したダンジョンの変異と、そこから這い出たS級魔獣ベヒモスの襲撃。


 大災害になりかねなかったその事件は、天谷湊の手によって呆気なく終息を迎えた。


 全身の炎の鎧をスッと静かに収束させ、拳を軽く握り直す。


 視界の端で、システムログが静かに流れていくのが見えた。


【獲得経験値:1,200,000】


 ウインドウを開き、自身のステータスを確認する。


【名前】天谷 湊

【HP】300,000 / 300,000

【MP】500,000 / 500,000

【筋力】350,000

【俊敏】380,000

【知力】250,000

【魔力】400,000

【保留ポイント】0 → 1,200,000

【特殊加護】炎神の加護 / 闘神の加護


先程の戦闘で保留ポイントを使い切ってしまったが、再びベヒモスの経験値が保留ポイントへと加算された。


これだけの大出力の炎を纏ったが、魔力回路には痛みの欠片すらない。強靭な器を手に入れたことで、魔力の許容量も飛躍的に跳ね上がっている。


(……万全の仕上がりだ。これが、今の俺の全力)


 己の意思で淀みなく制御できる、本物の力。これでようやく、ギルドのマスターとして誰の足も引っ張らずに先陣を切れる。


「お見事ね、湊。……でも、少し派手すぎじゃあない?」


 雪乃が双剣を収めながら、呆れたような、それでいて誇らしげな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。


「ハハッ、加減が分からなくてな」


『……チッ。主どの、見事に炭と化しておるぞ。これでは食えんではないか』


 ベヒモスが消滅した巨大なクレーターの縁で、人間の姿になったハクが、腕組みをしながら不満げに鼻を鳴らしていた。背後で、白い尻尾がパタパタと残念そうに揺れている。


「モンスターの肉なんて瘴気が強すぎてうまくないだろ。帰ったらもっと美味い飯を作ってやるから我慢しろ」


『おおっ! 本当か!? ならば許す! さっさと帰還するぞ、主どの!』


 現金な聖獣を宥めていると、遠巻きに見ていた探索者協会の職員たちが、恐る恐るこちらへと近づいてきた。


「あ、天谷マスター……! この度は、本当に助かりました。黎明の皆様がいなければ、上野は火の海になっていたかと……」


「気にするな。たまたま近くにいただけだ」


 俺が短く返すと、職員は何度も頭を下げながら、事後処理のために現場へと走っていった。


 だが――俺の胸の奥には、拭いきれない違和感がへばりついていた。


(……イレギュラーな出来事がこうも立て続けに起こるものか?)


池袋ダンジョンでの暗殺部隊の強襲と今回の上野のイレギュラー


 俺たち『黎明』が関わる場所でばかり、まるで狙い澄ましたかのように特大のトラブルが頻発している。


「……湊。何か、気になることでも?」

 雪乃が、俺の隣に並び立って視線を合わせてきた。


「ああ。偶然にしては、出来すぎていると思ってな」


「……ええ。私も同意見よ。あのベヒモスが這い出してきた空間の裂け目……不自然にマナが歪められたような、人為的な痕跡を感じたわ」


 雪乃の言葉に、俺は疑念を深めた。

 旧御三家か、あるいは別の組織か。どこの誰かは知らないが、裏で姑息な真似をしてくる奴がいるらしい。


   * * *


 数時間後。東京・ギルド『黎明』拠点、最上階のラウンジ。


 事後処理と防衛省への短い報告を終え、俺たちが拠点へ帰還して一息ついていた時のことだった。


 拠点直通の専用エレベーターが、来客を告げる電子音と共に開いた。


「あら、随分と賑やかなギルドのようね」


 凜とした、それでいて鼓膜を甘く撫でるような艶やかな声がラウンジに響いた。


 現れたのは、息を呑むほどに妖艶な美女だった。


 艶やかな黒髪を夜会巻きにまとめ、身体のラインを強調する漆黒のタイトドレスを纏っている。切れ長の瞳には知性と蠱惑的な光が宿り、彼女が一歩足を踏み出すたびに、高級な香水の香りがふわりと空間を支配した。


「……お前は」


 かつて九州のコロッセオで、悪魔ベルゼの軍勢と死闘を繰り広げた際、最高戦力である『七星』の一角として共に肩を並べて戦った女


「久しぶりね、湊。九州の闘技場では世話になったわ」


 西園寺椿さいおんじ つばき

 旧御三家・西園寺家が誇る若き才女であり、類稀なる美貌と実力を兼ね備えた最高ランクの探索者だ。


「西園寺椿……。なぜお前がここにいる?」


 俺が警戒を含んだ声を向けると、椿はふわりと微笑み、妖艶な足取りで俺の正面へと歩み寄ってきた。


「そんなに怖い顔をしないで。今日は探索者協会と、我が西園寺家からの『正式な使者』としてここへ来たのよ」


「使者、だと?」


 椿は俺のすぐ目の前で立ち止まり、その細く白い指先で、自身の唇をそっとなぞった。


「ええ。今回の上野のダンジョン変異……あれは単なる自然発生ではないわ。協会と我が家の調査で、マナの異常な流れの『発生源』が特定されたの」


「発生源……?」

「東京都の地下深くに存在する、未踏破の封鎖エリア……『東京地下迷宮・第4セクター』。そこから意図的にマナが流し込まれている形跡がある。……そこで、強大な力を持つあなたたち『黎明』に、その発生源の調査と討伐を依頼したいの」


 椿は俺の胸元へスッと顔を近づけ、吐息がかかるほどの距離で囁いた。


「そして、この危険な任務の『オブザーバー兼支援要員』として、私があなたたちに同行することになったわ。……九州で背中を預け合った仲だもの。またあなたと一緒に戦えるなんて、光栄だわ」


 その言葉が落ちた瞬間


 ラウンジ全体の空気が重くなる。


「……気安く、わたしの湊に近づかないでもらえるかしら? 西園寺の小娘」


 ソファで紅茶を飲んでいた皇咲耶が、音もなく立ち上がっていた。


 その背後には、いつでも極大魔法を放てるよう、赤黒い魔法陣がギリギリと音を立てて明滅している。紫色の瞳には、一切のハイライトが存在しない。


「随分と馴れ馴れしい口を利くじゃない。……七星だか何だか知らないけれど、湊にすり寄るなら、その首と胴体を永遠にお別れさせてあげるわよ?」


 むき出しの殺意をぶつける咲耶。雪乃やチャオも、無言で武器の柄に手をかけて椿を警戒している。


 だが、椿はそんな咲耶の凄まじいプレッシャーを浴びても、涼しい顔でクスクスと笑声を漏らした。


「相変わらず、独占欲がお強いこと。皇の当主様。……でも、少し見苦しいわよ? 湊と私は、あの九州の凄惨な死地で、互いの命を預け合って血を流した『戦友』。あなたのような温室育ちのお姫様には分からない、深い絆があるの」


「……ッ!! 殺す……ッ!!」


「やめろ咲耶、ギルドの中で極大魔法を展開するな!」


 俺は慌てて咲耶の肩を掴み、暴走しそうになる魔力を無理やり押さえ込んだ。


「でも湊! こいつ湊を誘惑しようとしてるじゃない! 西園寺の息がかかってる女なんて、絶対に裏があるわ!」


「それは俺も分かってる。……だが、ダンジョン変異の発生源がそこにあるなら、放置はできない」


 俺は椿へと向き直った。


「依頼は受ける。同行するのも勝手だが……もし裏で妙な真似を企んでいるなら、西園寺家ごと灰にする。それだけは忘れるなよ」


「ええ、もちろん。頼りにしているわ、湊」


 椿は妖艶な笑みを深め、意味深に俺の胸板を指先でなぞってから、一歩後ろへと下がった。


   * * *


数時間前


西園寺家が所有する高層ビル


「……椿よ。我が西園寺家からの支援要員として『黎明』へ合流しろ」


 厳冬は、冷酷な瞳で椿を見下ろして命令を下した。


「あの『東京地下迷宮・第4セクター』は、侵入者を幻惑し、疑心暗鬼に陥らせて同士討ちを誘発する特異な箱庭だ。……貴様の目的は、その混乱に乗じて、天谷湊を徹底的に籠絡することにある」


「天谷湊を……ですか」


「いかにも。皇の小娘がすっかりあの若造に心を奪われている。ならば、我が西園寺があの男そのものを手に入れる。……貴様の美貌と人心掌握術をもって、天谷湊を骨抜きにしろ。皇家の手から引き剥がし、西園寺の陣営へと引き込むのだ」


 厳冬の命令に対し、椿は深く頭を垂れながら、自身の内側で静かに高鳴る鼓動を感じていた。


(天谷湊……。九州のコロッセオで、七星である私ですら絶望した悪魔の軍勢を、ただ一人で圧倒した規格外の男)


 当主の命令だから、というだけではない。


 あの日、圧倒的な炎を纏って戦場を支配した彼の背中を見た時から、椿の胸の奥には、彼に対する強烈な興味と、抑えきれない『熱』が燻っていたのだ。


(彼がどれほどの男に育ったのか……この手でじっくりと確かめ、私の虜にして差し上げますわ)


 肉感的な唇を釣り上げ、椿は妖しく微笑んだ。



 日本の裏社会を牛耳る権力者たちの思惑が交錯する中、ギルド『黎明』は次なる死地へとその足を踏み入れようとしていた。


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