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新たなる器



 水族館での騒動と甘い逢瀬から一夜明けた、翌朝。


 ギルド『黎明』の拠点にある広々としたダイニングキッチンには、エプロン姿でフライパンを振るう俺の姿があった。


「よし、こんなものか。卵焼きに焼き魚、豆腐とわかめの味噌汁に白米。……完璧な日本の朝食だ」


 手際よく人数分の食事を並べていく。


 魔力回路が修復され、体調はすこぶる良い。重い足枷が外れたような清々しい気分で、俺は満足げに腕組みをした。


『……むぅ。主どの、なぜ今日は分厚い肉がないのだ? 我はあの、脂の乗った極上の肉が食いたいのだが』


 ダイニングテーブルの向かい側で、獣耳をパタパタと寝かせながら、ハクが不満げに頬杖をついていた。純白のチャイナドレスから伸びる長い尻尾が、床をバンバンと叩いている。


「朝からそんな重いもん食えるか。お前にはそっちの特大の焼き鮭を二切れにしてやったから、文句言わずに食え」


『むぐぐ……まあ、主どのの作ったものなら美味いから食うが……』


「あら、ハク。文句があるなら私の激辛麻婆豆腐を朝から胃袋に流し込んであげましょうか?」


「おはようございます、湊さん。……ふふっ、ハクちゃんは本当に食いしん坊ですね」


 寝起きのチャオと、エプロン姿の結衣がキッチンに入ってくる。


「……おはよう、湊。今日のスケジュールはどうなっているの?」


 遅れて入ってきた雪乃が、コーヒーメーカーの前に立ちながら尋ねてきた。彼女の視線が俺の顔を一瞬捉え、昨日の水族館での「尾行」を思い出してか、わずかに気まずそうに逸らされる。


「今日は午後から、防衛省の担当者と今後のダンジョン対策についての会議だ。……それまでは、新しい回路の出力を実戦形式で確かめておきたい」


「そう。なら、私が手合わせしてあげるわ」


 雪乃がカップに口をつけながら、微かに口角を上げた。


 その時だった。

 ラウンジの自動ドアが開き、鼻歌交じりの軽い足取りで、皇咲耶が姿を現した。


 昨日の可憐な私服とは違い、今日はいつもの黒を基調としたシックな装いだったが――


「おはよう、湊っ♪」


 咲耶は一直線に俺の元へ歩み寄ると、背後から俺の首に腕を回し、頬にチュッと軽いキスを落とした。


「ぶふっ!?」

『なっ!?』

「お、お姫様……!?」


 雪乃がコーヒーを吹き出し、ハクが目を丸くし、チャオと結衣が絶句する。


 当の咲耶は、周囲の驚愕など全く気にする様子もなく、俺の隣の椅子にちょこんと座り、ニコニコと花が咲くような笑顔を浮かべていた。

「今日の朝ごはんはなあに? 」


「あ、ああ……お前の分の卵焼きもあるぞ」


 俺が小皿を差し出すと、咲耶は「あーん」と口を開けて待機し始めた。


 昨日の水族館での甘い空気を引きずっている。毒気が抜けたどころか、彼女の中での俺への愛情表現のストッパーが完全に外れてしまっていた。


「……ねえ、雪乃。昨日の一件で、あのお姫様、完全に『メス』の顔になっちゃったわね」


「……ええ。なんだか、見てるこっちが恥ずかしくなってきますわ。……少し、妬ましいですけれど」


 チャオと雪乃が小声でヒソヒソとやり取りをしている。


 そんな、平和で少しむず痒い朝の空気を切り裂いたのは、ラウンジに鳴り響いたけたたましいアラート音だった。


「マスター! 緊急事態です!」


 タブレットを片手に、橘が血相を変えて飛び込んできた。


「上野公園にあるB級指定ダンジョンで異常発生! 内部からS級相当の魔力反応が検出されました! 探索者協会の防衛ラインが突破され、現在、ダンジョンの外にモンスターが溢れ出しそうになっています!」


「なんだと……!?」

 俺は即座に立ち上がった。


 ダンジョンの変異イレギュラー。それは、九州の闘技場でも見られた不自然なマナの歪みだ。


「偶然か……いや、誰かが裏で糸を引いている可能性があるな」


「湊、わたしも行くわ。その辺の雑魚ども全部灰にしてきてあげる」


 咲耶が冷たい瞳を取り戻して立ち上がるが、俺は彼女を制止した。


「いや、お前はここに残って防衛省との連携の指示を頼む。……それに、これは俺の復帰テストにちょうどいい」


 俺が右腕の拳を強く握り込むと、パキィッと空間が微かに軋むような音が鳴った。


「雪乃、チャオ、橘、結衣! 装備を整えろ! 5分で現場へ急行する!」


「「「了解!!」」」


『主どの! 我も行くぞ! 戦の後の飯は格別だからな!』


 かくして、俺たち『黎明』の主力部隊は、SUVに飛び乗り、サイレンが鳴り響く上野方面へと車を走らせた。


   * * *


 現場は、凄惨な状況だった。

 ダンジョンの入り口付近は完全に破壊され、探索者協会の防衛部隊が次々と重傷を負って後退している。


 その中心で暴れ狂っていたのは、全身が黒い鋼鉄の鱗に覆われた、全長十メートルを超える四足歩行の魔獣――『黒鋼の凶獣ベヒモス』だった。


「ひ、退けぇっ! B級のダンジョンに、なんであんなS級指定のモンスターが……!」


 絶望に染まる現場の探索者たち。


 凶獣が巨大な前脚を振り上げ、逃げ遅れた若い探索者の頭上に叩き落とされようとした、その瞬間。


「――【部分展開】ッ!」


 空から降ってきた紫色の極小の盾が、ベヒモスの前脚と探索者の間に割り込み、その圧倒的な質量を完璧に弾き返した。


「な、なんだ……!?」

「遅くなってすまない。ここから先は、俺たち『黎明』が引き受ける」


 俺は防衛ラインの最前線に降り立ち、逃げ遅れた探索者を橘に任せて後方へ下がらせた。


「マスター、敵の装甲は異常に硬いわ! 私とチャオでかく乱する!」


 雪乃とチャオが左右に散り、絶対零度の氷と神速の斬撃をベヒモスの関節へと叩き込む。だが、黒鋼の鱗は火花を散らすだけで、決定打には至らない。


『ギシャァァァァァァッ!!』


 ベヒモスが咆哮を上げ、口から周囲を溶かすほどの高熱のレーザーブレスを放とうと魔力を収束させる。


「結衣、バフは要らない! 橘も一旦下がっててくれ!」


 俺は大きく息を吸い込み、自身のステータスウインドウを視覚化した。


【名前】天谷 湊

【HP】300,000 / 300,000

【MP】500,000 / 500,000

【筋力】350,000

【俊敏】380,000

【知力】250,000

【魔力】400,000 (魔法:火属性Lv.3)

【保留ポイント】65,000

【特殊加護】炎神の加護 / 闘神の加護


 完璧なコンディション。


「行くぞ……!」

 俺は保留ポイントをすべて「炎」へ注ぎ込む


 さらに右腕だけに炎を集中させるのではなく、莫大な熱量を自らの肉体の周囲に固定し、限界まで圧縮した。そして、それを自らを守り、敵を焼き尽くすための『仮想武具』として顕現させる。


「――仮想武具:『紅蓮魔鎧ぐれんまがい』」


【仮想武具(紅蓮魔鎧)】

【筋力】1,650,000

【俊敏】1,680,000

【知力】1,550,000

【魔力】1,700,000

【耐久値】∞(MP:500,000 / 500,000)

【相性値】20


 ゴゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!!!!


爆発的な勢いで噴き出した赤い炎が、俺の全身をすっぽりと覆う強固な『鎧』と化した。


それはかつて強引に発現してドス黒い炎を纏い魔力回路を焼き切った「灰燼魔鎧(アッシュデモン)」とは異なる真っ赤で綺麗な鎧だった。


莫大な魔力の奔流は淀みなく全身の回路を駆け巡り、俺の意思のままに圧倒的な熱量を維持している。周囲のアスファルトが、俺が立っているだけで瞬時に融解していく。


『……ッ!?』


 ベヒモスの凶悪な瞳に、明確な『恐怖』が宿った。


 奴が高熱のブレスを放とうとした、その瞬間。


「遅い」


 ドンッ!! と、足元の地面が爆発した。


 ベヒモスがブレスを吐き出すよりも遥かに速い神速の踏み込みを実現する。


 瞬きする間もなく、俺は全身に炎の鎧を纏ったまま、全長十メートルの巨獣の懐へと潜り込んでいた。


「消えろ」


 全身を覆う『紅蓮魔鎧』の圧倒的な暴力を乗せた右拳。


 それが、ベヒモスの黒鋼の胸元へと真っ直ぐに叩き込まれた。


 ズドガァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!


 激突音すら置き去りにする、圧倒的な瞬殺劇。


 強固な鋼鉄の鱗も膨大な生命力も一切関係ない。俺の拳から放たれた赤黒い炎の衝撃波がベヒモスの巨体を丸ごと貫通し、内部から文字通り原子レベルで焼き尽くした。


 抵抗する間すら与えられず、ベヒモスは断末魔の悲鳴すら上げることなく四散し、完全に灰燼に帰した。


 後に残ったのは、綺麗に焼き尽くされた巨大なクレーターと、静寂だけ。


「……す、すげえ……」

「一撃で、S級のバケモノを瞬殺したぞ……」


 周囲で見ていた探索者たちが、震える声で感嘆の声を漏らす。


 俺は全身の炎の鎧をスッと静かに収束させ、拳を軽く握り直した。


(……完璧だ。これが、今の俺の全力)


 制御の効いた、本物の力。これでようやく、俺はギルドのマスターとして、誰の足も引っ張ることなく先頭に立つことができる。


「お見事ね、湊。……でも、少し派手すぎじゃあない?」


 雪乃が双剣を収めながら、呆れたような、それでいて誇らしげな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。


「ハハッ、加減が分からなくてな」


   * * *


 上野の騒動から数キロ離れた、都内の高層ビルの屋上。


 凄まじい炎の爆発の余波を、遠眼鏡の魔道具越しに見つめている男がいた。


「……なるほど。皇家がご執心になるわけだ」

 西園寺厳冬げんとう


 旧御三家の一角、西園寺家の当主である彼は、冷たい風に吹かれながら、低く地を這うような声で呟いた


「近衛の老いぼれが放った暗殺部隊を退けただけでなく、肉体の損傷を全快させ、完全な器へと至ったか。天谷湊……あの若造の成長速度は、我らが築き上げた既存の枠組みを根底から破壊する脅威だ」


 厳冬の背後には、音もなく控える数名の隠密部隊の姿があった。


「皇の小娘が完全に籠絡されている以上、もはや静観は許されんな。……『黎明』の力を削ぐ。表立って動けば皇がしゃしゃり出てくる。ならば――」


 厳冬の氷のように冷たく鋭い眼差しが、はるか遠く、勝利に沸く天谷湊の姿を捉える。


「――ヤツの周囲から、外堀を埋めさせてもらうとしよう」


 完全な器を手に入れた俺の圧倒的な力の裏で。


 日本の裏社会を牛耳る冷徹な支配者の手が、次なる凶悪な罠を張り巡らせようと、静かに動き始めていた。


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