怠惰なる聖獣
パキィィィィンッ!!!!
ついに、橘の絶対防壁が粉々に砕け散った。
防壁を失った俺たちの眼前に、次元を削り取る漆黒の極光と、第三の目を見開き、残忍な笑みを浮かべた異形の白虎が迫る。
「くそっ……!」
俺は咄嗟に前に出た。炎の加護を封印した状態では、もうこの理不尽な極光は防げない。ならば、再び右腕の回路が焼き切れることを覚悟の上で『炎神の加護』を全開にするしか、仲間を守る術はなかった。
右腕に赤黒い炎を宿そうとした、その瞬間だった。
「やめて、湊ッ!!」
背後から、雪乃の悲鳴のような叫びが木霊した。
彼女は切り裂かれた戦闘服から血を流しながらも、必死に手を伸ばし、涙ながらに声を張り上げた。
「その腕で炎を使ったら、今度こそ回路が完全に壊れちゃう! 私たちは、あなたのその腕を治すための材料を探しに、ここに来たのに……ッ!!」
雪乃の悲痛な叫びが、白亜の空間に響き渡る。
その言葉が空気を震わせた直後――信じられないことが起きた。
ピタリ、と。
俺の顔面までわずか数センチに迫っていた漆黒の極光が、ふっと霧散して消滅したのだ。
『……は?』
地鳴りのような、しかし明らかな「間の抜けた」声が響いた。
白虎の額にあった禍々しい『第三の目』が、パチクリと瞬きをした後、スゥッと閉じて消え去る。同時に、深紅に染まっていた毛並みの紋様が、すーっと潮が引くように元の青白い光へと戻っていった。
圧倒的な殺気と、空間を圧迫していた神気が、嘘のように霧散する。
白虎は、ポカンとしたように黄金の瞳を丸くして、雪乃と俺を交互に見つめた。
『……お前たち、我の首を狙ってきたのではなく……ただの「治療の材料」を探しに来ただけなのか?』
「え……?」
雪乃が呆気にとられた声を漏らす。
『なんだ、そういうことなら最初からそう言わんか。まったく、無駄な体力を使ってしまったではないか』
ドスンッ。
つい数秒前まで「弱者は塵となれ」と絶対的な王者の風格を漂わせていたユニークモンスターは、深い溜息を吐きながら、まるで日向ぼっこをする巨大な猫のように、水晶の地面へと無防備に寝転がった。
「……は?」
チャオが青龍刀を構えたまま、間の抜けた声を出す。
俺も、右腕に集めかけていたマナの行き場を失い、完全に硬直していた。
「ど、どういうことだ……? お前、俺たちを殺すんじゃ……」
『アホくさ。誰が好んでそんな面倒なことするものか』
白虎は前脚の上に顎を乗せ、面倒くさそうに尻尾をパタパタと振った。
『我はな、面倒事が何よりも嫌いなのだ。』
そして、信じられないことに、白虎は脳内思念で淡々と己の『怠惰な信条』を語り始めた。
無駄な戦闘の連鎖:人間を一人殺せば、報復としてさらに面倒な人間が群れをなしてやってくる。それが最高に鬱陶しい。
肉体労働の拒否:本気で戦うと美しい毛並みが汚れるし、何より腹が減るから動きたくない。
野心の欠如:そもそも、この森から出るつもりも、人間を殺したいという欲望もない。一生ここで寝ていたい。
「……ニ、ニートだ」
橘が、血を流しながらも信じられないものを見るような目で呟く。
「いや、でもさっき『弱者は塵となれ』とか、めっちゃカッコつけて……」
チャオがツッコミを入れると、白虎はフイッと目を逸らした。
『……ハッタリだ。ああ言って凄んでおけば、大抵の人間は恐れをなして逃げていくからな。それに、たまには威厳を示しておかんと、ナメられるではないか』
呆然とする俺たちをよそに、白虎は大きな欠伸をした。
『で? 腕の治療の材料が欲しいのであろう。我の魔核が必要なのか?』
「あ、ああ……そうだが。お前を倒さないと手に入らないなら……」
『馬鹿を言え。そんなこと、我がさせるわけがなかろう。ほれ、あそこを見ろ』
白虎が長い尻尾で指し示したのは、彼が寄りかかっていた巨大な水晶の樹の裏側だった。
俺たちが恐る恐るそこを覗き込むと――思わず息を呑んだ。
そこには、バスケットボールほどの大きさの、青白く輝く『白虎の魔核』が、まるでゴミの山のように無造作にゴロゴロと積み上げられていたのだ。
ざっと見積もっても、十個以上はある。
「な、なんだこれ……!? 全部白虎のコアか!?」
湊たち一同が目を丸くする。
『我は生まれつきこの姿でオマケに人間の言葉しかわからんのでな。それ故に、同族どもからわけもわからずよく襲撃されているのだ。鬱陶しいから、返り討ちにして落ちた魔核なんぞは隅にどかして放っておいたら、いつの間にかあんなに貯まっておった』
ハエを叩き落としたくらいのテンションで、同族の討伐を語る白虎。
この怠惰な性格の裏にある実力は、間違いなく本物だった。
『どれでも好きなものを持っていくが良い。さっさと用を済ませて、我の安眠の邪魔をせんでくれ』
「……いいのか? こんな、世界的な国宝クラスの素材を、ただで」
俺が尋ねると、白虎の耳がピクリと動いた。
『ただで、とは言っておらん。……ふぁぁ、少し動いたら小腹が空いた。人間よ、我は久しく「美味いもの」を食っておらんのだ。何か、我の舌を満足させるものをよこせ。それが魔核の代金だ』
「食べ物、か……」
俺はバッグの中身を思い浮かべた。
「チャオ、結衣。コンロの準備をしてくれ。……最高のお礼をしてやる」
数分後。白亜の空間に、食欲をそそる濃厚な肉の脂と、甘辛いタレの香りが充満していた。
「……む? なんだ、この鼻腔をくすぐる凶悪な匂いは……」
寝そべっていた白虎が、たまらず顔を上げ、鼻をヒクヒクとさせている。
俺は携帯用の魔道コンロの前で、フライパンを振るっていた。
俺は巨大な野営用プレートに、ツヤツヤの白米を盛り、その横に、黄金色に輝くさつまいもと、タレが照り輝く猪肉の炒め物をドサリと乗せた。
甘辛いタレが白米に染み込み、さつまいもの自然な甘みが肉の脂と絶妙なハーモニーを奏でている。
俺がそのプレートを白虎の鼻先に置くと、巨獣は疑ぐり深い目でそれを一瞥した。
『ふん……人間が食うようなチマチマしたものが、我の舌を満足させられると――』
パクリ。
白虎は、一口サイズのそれをペロリと舌で巻き取り、咀嚼した。
ピタ、と。
白虎の全身の動きが止まった。
『…………』
「……お口に、合いませんでしたか?」
結衣がオドオドしながら尋ねる。
次の瞬間。
『う、美味ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいッッ!!!!!!』
白亜の空間を揺るがすほどの、歓喜の咆哮が爆発した。
『なんだこれは!? 肉の暴力的な旨味を、この黄色い芋の優しくも強烈な甘みが包み込み、そしてこの白い粒(米)がすべてを完璧に調和させている!! 我が長年生きてきた中で、ぶっちぎりで一番美味いぞ!!!』
バクバクバクッ!!
白虎は残りのプレートを一瞬で平らげると、黄金の瞳をキラキラと輝かせ、額の第三の目までパッチリと開いて、信じられないほどのスピードで尻尾をブンブンと振り始めた。
『人間! いや、主どの!! おかわりだ! もっと寄こせ! これを毎日食えるなら、我はお前の下僕になっても良いぞ!!』
「……いや、下僕って。お前、孤高の聖獣じゃなかったのかよ」
俺のツッコミも虚しく、巨大なユニークモンスターは、完全に餌付けされた巨大な飼い猫と化し、ゴロゴロと喉を鳴らしながら俺の足元に巨大な頭をすり寄せてきた。
「……ねえ、湊」
傷の手当を終えた雪乃が、呆れたような、それでいて少しホッとしたような目でため息をつく。
「私たち、さっきまであんなに大ピンチだったのに……『ご飯』で解決しちゃったわね」
「ハハッ……まあ、終わり良ければすべて良し、ってやつだ」
こうして、俺たちは誰一人欠けることなく、白虎の魔核を手に入れた。
富士の樹海という日本屈指の魔境の最深部で、俺の足元で「はよメシを作れ」と腹を出して寝転がる白銀の巨大猫を見下ろしながら、俺はギルド『黎明』の未来が、ますますカオスな方向へ進んでいることを確信せざるを得なかった。




