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白亜の死闘



 結界の外が、微かな白み帯び始めた頃。


 俺たちは交代での仮眠を終え、即席の野営地を撤収していた。


 橘が展開していた紫色のドーム状の防壁を解除すると、外の空気は昨晩までの荒々しい瘴気から一変し、肌を刺すような極寒の空気へと変質していた。


「……息をするだけで、肺の奥が凍りつきそうですわ」


 雪乃が白い息を吐きながら、双剣の柄を握り直す。


 目の前に広がっているのは、周囲の黒々とした樹海とは完全に切り離された異質な空間。


 木々も、地面の溶岩も、立ち込める霧すらもが、すべて純白の水晶クリスタルのように白化し、自ら冷たい光を放っている『白亜の領域』だ。


「結衣、体調は大丈夫か?」

「はい……。少し息苦しいですが、結界魔法を自分にかけているので、足手まといにはなりません」


 結衣が気丈に頷く。その小さな手は、杖を強く握りしめていた。


「行くぞ。陣形は昨日と同じだ。橘、死角からの奇襲に気をつけてくれ」


「了解です、マスター!」


 俺たちは、ガラスの森に足を踏み入れるような緊張感の中、水晶化した地面を慎重に進んでいった。


 カツン、カツンという足音だけが、不気味なほど鮮明に空間に響き渡る。


 モンスターの気配は全くない。というより、この領域の主が放つ圧倒的なプレッシャーの前に、他の生命体が一切近づけないのだろう。


 数十分ほど歩いた時だった。

 森が開け、円形劇場のようにすり鉢状になった広大な空間に出た。


 その中央。天を衝くような巨大な水晶の巨木の根本に、そいつは『鎮座』していた。


『…………』


 全長8メートルは優に超えるであろう、圧倒的な巨体。


 雪のように純白の毛並みには、青白い光を放つ紋様が刻まれ、四肢の爪はどんな金属よりも鋭く、そして美しく研ぎ澄まされている。


最深部に君臨する――『白虎』。


 そいつが、静かに黄金色の瞳を開き、俺たちを見下ろした。


 ――ズゥンッ!!!


「ぐっ……!?」

「きゃあっ!」


 視線を向けられただけで、物理的な重圧が肩にのしかかり、結衣がたまらず膝をつきそうになる。


 殺気という生ぬるいものではない。それは「神」が取るに足らない「虫けら」を見るような、絶対的な格の違いから来る存在の暴力だった。


『侵入者よ……、万死に値する』


 直接脳内に響くような、強烈な言葉


「来るぞッ!!」


 俺が叫んだ次の瞬間。白虎の巨体が、ふっと視界から『消えた』。


 速い、などという次元ではない。瞬きすら許されない、神速の跳躍。


 気配を感じ取った時にはすでに、俺たちの陣形のド真ん中――上空に、白虎がその巨大な爪を振り下ろしていた。


「――【絶対防壁】ッ!!」


 橘が絶叫と共に、ありったけのMPを注ぎ込んだ巨大な紫色の盾を上空へと展開する。


 ガガァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!


 爆発のような激突音。


 橘の盾は白虎の爪を正面から受け止めた。だが、その一撃に込められた異常なまでの運動エネルギーが、盾を支える橘の足元の水晶の地面を、クレーターのように粉々に粉砕した。


「ぐ、おおおおおっ……! 重、いっ……!!」


 Sランク相当のステータスを持つ橘だが、その腕がギリギリと悲鳴を上げる。


「うちのタンクに負担をかけるなァッ!!」


 チャオが地を蹴り、青龍刀にありったけの『氣』を纏わせて白虎の側腹部へと斬りかかる。

「『神龍刃しんりゅうじん』!!」


 空間を両断するような、必殺の斬撃。


 しかし、白虎は空中にいながらにして、鋼鉄の鞭のような長い尻尾を振るい、チャオの渾身の刃をガキィンッ! と弾き返した。


「くっ、硬すぎでしょ!?」

「なら、中から凍らせますわ! ――『氷絶・華乱ひょうぜつ・からん』!」


 雪乃が双剣を交差させ、白虎の足元から絶対零度の氷柱を無数に発生させる。


 鋭い氷の槍が白虎の四肢を貫こうと迫るが、白虎が短く「グルゥッ」と喉を鳴らした瞬間、その声の振動ソナーだけで、雪乃の放った氷の魔法を組み合わせた斬撃がパキンと音を立てて粉々の粉塵へと分解されてしまった。


「魔法干渉……! 私の氷が、声だけで相殺された!?」


 驚愕する雪乃


「退け、お前らっ!!」


 俺は二人を後方へ下がらせ、同時に地を爆発的に蹴った。


「結衣、バフを限界まで回せ!」


「はいっ! ――【完全均衡の祝福パーフェクト・バランス】、出力最大!!」


 黄金の光を全身に浴び、俺のステータスが限界を突破する。


【筋力】350,000→1,750,000

【俊敏】380,000→1,900,000


ステータスを底上げし、神の如き白虎の横腹をぶち抜きにいく


「おおおおおらぁぁぁっ!!」


 空気が圧縮され、ソニックブームが巻き起こる。


 ドゴォォォォォォォォォンッ!!!!!


 俺の拳が、白虎の白い毛並み――分厚い胸元の筋肉へと直撃した。


 手応えはあった。山を一つ吹き飛ばすほどの質量の一撃。


 白虎の巨体が、砲弾のように弾き飛ばされ、背後の水晶の巨木へと激突してへし折る。


「……やったか!?」


 チャオが声を上げるが、俺は右拳に残る違和感に舌打ちをした。


 土煙が晴れる。


 そこには、ゆっくりと立ち上がる白虎の姿があった。


『……愚かな人間よ。我の神毛しんもうを、物理で貫けると思ったか』


 無傷だった。


 俺の渾身の一撃を真正面から受けたというのに、白虎の胸元には傷一つついておらず、一滴の血も流れていなかった。


「ふざけんな。俺の全力だぞ……っ」


「湊さん! あの毛並み、打撃の瞬間に風のクッションを発生させて、衝撃を完全に吸収しています!」


 結衣が、後方から観察した限りの情報を叫ぶ


「物理無効の装甲ってわけ? 冗談じゃないわよ……」


 雪乃が冷や汗を流しながら双剣を構え直す。


 だが、絶望はそれだけでは終わらなかった。

 ゆっくりと立ち上がった白虎の様子が、明らかにおかしいのだ。


 純白だった毛並みに刻まれた青白い紋様が、突如として不気味な『深紅』へと変色し、心臓の鼓動に合わせるようにドクン、ドクンと明滅を始めた。


『――塵に還れ』


 白虎が、その黄金の瞳を限界まで見開いた、その瞬間。


 ヤツの額の毛が縦に裂け、そこから巨大な『第三の目』がギョロリと姿を現したのだ。


 血のように赤い、水晶の眼球。


「な、なんだアレは……!? 額に、目が……!?」

 橘が驚愕の声を上げる。


「待って……データにある白虎の情報に、第三の目なんて存在しないわよ!? どこまでイレギュラーなの!?!?」


 雪乃が悲鳴のような声を上げた。


 その額の赤い目から、空間そのものを歪ませるほどの、異常な密度の魔力が収束し始める。


 それは、周囲の光そのものを吸い込むような、漆黒の極光。


「まずいっ! 全員、橘の後ろに隠れろッ!!」


 俺の絶叫と同時だった。


 白虎の第三の目から、音もなく、漆黒のレーザーのような一閃が放たれた。


「――【魔術防御盾・極光オーロラ】ッ!!」


 橘が自身の全魔力を注ぎ込んだ最大強度の防壁を展開する。


 漆黒の極光が、紫色の防壁へと直撃した。


 ギギギギギギギギギギッ…………!!!!!!

 爆発音ではなく、空間が「削り取られる」ようなおぞましい音が響き渡る。


 いかなる物理攻撃も、魔法攻撃も完全に弾き返すはずの橘の絶対防壁。


 だが、その防壁が、まるで熱したナイフを当てられたバターのように、ジュウジュウと音を立てて『融解』し始めたのだ。


「ぐ、ああああああああっ!? な、なんだこれ……重いんじゃない、盾の存在そのものがまるで消滅させられ……っ!」


 橘の両腕から血が吹き出し、紫色の防壁に、ついに致命的な亀裂が走った。


「盾の存在そのものを削り取る……魔法!? 嘘でしょ、そんなの想定の範疇を遥かに超えてるわ!!」


 チャオが、血の気を失った顔で叫ぶ。


 俺は、ギリギリと悲鳴を上げる盾の奥で、その異形の魔獣を睨み据えた。


 通常の個体とは明らかに異なる外見の特徴に、本来ならあり得ない知性を宿したモンスター。


通常の種族の枠組みを完全に逸脱した、規格外のステータスと、理不尽な固有スキル


 探索者の間で、ごく稀にしか発生しないと噂される、絶望の代名詞


「『ユニーク個体』だ……!! ただでさえ厄介なS級ダンジョンのボスが、突然変異を起こしてやがる!」


 ユニーク個体


存在自体が極めて稀にしか確認されていない、通常のモンスターとは異なる特徴をもった特殊個体


 まさか、四神と恐れられるボスモンスターがそれに該当するなど、誰が予測できただろうか


パキィィィィンッ!!!!


 ついに、橘の絶対防壁が粉々に砕け散った。

 防壁を失った俺たちの眼前に、次元を削り取る漆黒の極光と、第三の目を見開き、残忍な笑みを浮かべた異形の白虎が迫る。


「くそっ……!」


 炎の加護を封印した状態で、この理不尽なバケモノをどうやって超えるのか。


 富士の樹海の最深部で、俺たち『黎明』は、結成以来最大の、そして真の絶望の淵へと立たされていたのだった。


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