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白亜の領域



 光の粒子となって完全に消滅した溶岩甲殻の巨熊ラヴァ・シェル・ベアの跡には、バスケットボールほどもある巨大な赤黒い魔石コアが転がっていた。


「見事な魔石ね。これだけでも、地上に持ち帰れば数千万は下らないわ」


 チャオが青龍刀の先端で魔石を小突いて感嘆の声を漏らす。


「だが、俺たちの目的はこれじゃない。白虎の魔核だ」


 俺は魔石をバッグへと放り込み、周囲の鬱蒼とした森へと視線を巡らせた。


 巨熊との戦闘で吹き飛んだ霧が、再び音もなく足元から這い上がってきている。時計の針はまだ午後三時を回ったところだが、厚い葉の天蓋に覆われたこの樹海の底は、すでに夕闇のような薄暗さに包まれていた。


「マナの濃度がさらに上がっている。このまま進むのは、結衣の体力的に危険だ」


 俺が言うと、橘が大きく頷いた。


「賛成です。僕も少し、頭を冷やしたいところでした。……戦闘中は気を張っていましたが、この瘴気、ジワジワと精神を削ってくる感じがして」


「よし。少し早いが、今日はこの辺りで野営キャンプの準備に入ろう。チャオ、どこか瘴気の薄いポイントはないか?」


「少し待って……あっちね。北西の方向に、岩場が隆起している場所があるわ。あそこなら地脈のマナが滞留しにくいから、野営には最適よ」


 チャオの案内で数十分ほど進むと、言葉通り、周囲の苔むした樹木とは異質な、黒曜石のような岩肌が露出した小高い丘に辿り着いた。

「橘、周囲に結界を」


「了解です! ――【魔術防御盾(複数展開)】!」

 橘が両腕を広げると、半透明の紫色の防壁が数枚、ドーム状に俺たちを覆い隠すように展開された。物理的な攻撃だけでなく、外界の瘴気や毒霧を遮断する、即席の絶対安全圏だ。


「ふぅ……。結衣ちゃん、少し休んで。夕食の準備は私がするから」


「ありがとうございます、チャオさん……」


 結衣が岩肌にへたり込み、安堵の息を吐く。

 チャオが手際よく魔道コンロを取り出し、野営用の高カロリーな携帯食料とスープの調理を始めた。温かい湯気とコンソメの香りが結界内に広がり、張り詰めていたメンバーの緊張を少しだけ和らげていく。


   * * *


 数時間後。


 完全な暗闇が富士の樹海を包み込んだ頃、結界の外は異形のモンスターたちが徘徊する正真正銘の魔境と化していた。時折、木々がへし折れる音や、名状しがたい獣の咆哮が遠くから響いてくる。


 橘と結衣、そしてチャオが交代で仮眠を取る中、俺は結界の端に座り、見張りに就いていた。


「……起きてたのか」


 背後で衣擦れの音がして振り返ると、雪乃が温かいマグカップを二つ持って立っていた。


「少し、目が冴えてしまって」


 雪乃は俺の隣に腰を下ろし、マグカップの一つを差し出してきた。受け取ると、甘いココアの香りが鼻をくすぐる。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 二人並んで、紫色の防壁越しに広がる漆黒の森を見つめる。


 静寂の中、雪乃がポツリと口を開いた。


「……お姫様(咲耶)、今頃東京で怒り狂ってないかしら。『やっぱりわたしもついていきたかった!』って」


「違いないな。でも、あいつならギルドを……俺たちの帰る場所を、絶対に守り抜いてくれる。そういう意味では、あいつほど頼りになるパトロンはいないさ」


 俺が苦笑交じりに言うと、雪乃はココアを一口啜り、静かに微笑んだ。


「そうね。……あの子の力は規格外だわ。でも、湊」


 雪乃の透き通るような瞳が、真っ直ぐに俺を捉える。


「あの子には絶対に出せないものが、私にはあるわ」


「……雪乃?」


「あのお姫様は確かに強い。すべてを焼き尽くす圧倒的な暴力。でも、それじゃああなたの暴走する熱を抑え込むことはできない」


 雪乃はそっと自身の双剣の柄に触れた。


「あなたの回路がショートして、その身を灼こうとした時。……私が、絶対零度の氷でその熱を冷ましてあげる。あなたの隣で、あなたの剣となって、熱を完全にコントロールしてみせるわ」


 それは、天才魔法剣士としての矜持であり、一人の女性としての、不器用で真っ直ぐな宣戦布告だった。


「……ああ。頼りにしてるよ、雪乃」


 俺がそう言って彼女の頭にポンと手を乗せると、雪乃は少しだけ驚いたように目を見開き、やがて嬉しそうに目を細めて俺の肩に身を預けてきた。


 ――その時だった。

『…………ォォォォォォォォ…………』


 ココアのカップを持つ俺の手が、ピタリと止まった。


 雪乃も弾かれたように顔を上げ、双剣の柄を握りしめる。


「……湊、今の音……」

「ああ。風の音じゃない」


 結界の外。漆黒の暗闇に包まれていたはずの森の奥から、うっすらと『白い光』が漏れ出していた。


 そして、空気が一変した。


 これまで俺たちの肌を刺していた荒々しく重い瘴気が、突如として、肺の奥まで凍りつくような『澄み切った冷気』へと変質したのだ。雪乃の氷魔法とは違う。自然界に存在する冷気そのもの。


「全員、起きろ!!」


 俺の鋭い声に、仮眠を取っていたチャオ、橘、結衣が瞬時に跳ね起き、それぞれの武器を構える。


「何事!? 敵襲!?」


 チャオが青龍刀を構えながら周囲を警戒する。


「いや、違う。……森の様子がおかしい」


 俺が指差す先。結界の向こう側で、鬱蒼と茂っていた巨大な樹木たちが、まるで何者かに道を譲るように、メリメリと音を立てて『左右に割れて』いく。


 そして、割れた森の奥から現れたのは、息を呑むような光景だった。


 そこから先の空間だけが、完全に『白化クリスタライズ』していたのだ。


 木々も、地面の溶岩も、立ち込める霧すらも、すべてが純白の水晶のように輝き、冷たい光を放っている。


「……空間の性質そのものが、塗り替えられているわ」


 雪乃が、驚愕に目を見開く。


『グルルォォォォォォォォォォォォッッ!!!!』


 白亜の森の最奥から、空気をビリビリと震わせる、王者の咆哮が響き渡った。


 その声を聞いた瞬間、俺の細胞という細胞が、生物としての本能的な警鐘を鳴らした。これまでに戦ってきた悪魔や、先ほどの巨熊などとは次元が違う。


 ダンジョンという空間すらも従属させる、神に等しき存在。


「……間違いない。あの奥が、四神の一角――『白虎』の領域だ」


 俺の言葉に、全員の顔に極限の緊張が走る。

 だが、誰一人として後退りする者はいなかった。


 俺の魔力回路を完全に修復し、旧御三家や未知の脅威に対抗するための『黎明』の牙を研ぎ澄ますため。


「夜明けと共に、あの白い森へ突入する。……準備はいいな、お前ら」


「ええ、当然よ」

「私たちの力、見せてあげましょう」

「盾は、僕に任せてください!」

「……はいっ!」


 魔境の底で、俺たちの本当の戦いが、静かに幕を開けようとしていた。


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