不器用な歩み寄り
「湊ッッ!!!!!」
粉砕された空間の裂け目。
そこから飛び出してきたのは、血相を変えた皇咲耶だった。
黒絹のドレスは乱暴に引き裂かれ、美しく結われていた黒髪が虚空に乱れ舞っている。なりふり構わず、空間転移の限界距離すら無視して強引に飛び込んできた彼女の瞳に映ったのは、冷たい石の床に崩れ落ちて微動だにしない俺と、その首筋へと凶刃が突き立てられようとしている光景だった。
「あ――」
魔女の思考が、真っ白に染まった。
自分の命より大切なものが。今、目の前で、見知らぬ者どもの手によって壊されようとしている。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!!」
咲耶の喉から、理性を完全に吹き飛ばした、絶望と怒りの咆哮が迸った。
その瞬間、近衛が想定していたような「敵との消耗戦」など、そこには一ミリも介在しなかった。純粋なる破壊の権化と化した魔女は、手加減の一切を放棄して全火力を放つ。
彼女の背後に、天を衝くほどの巨大な紫色の魔法陣が、幾重にも重なって発現する。大気中のマナを根こそぎ奪い取り、ダンジョンの空間法則すらねじ曲げる超高圧縮の極大魔力弾。
「一匹残らず……消えろぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!!」
それが、暗殺者たちに向けて容赦なく解き放たれた。
ズドガァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!
閃光。
そして、音すらも消え去るほどの、圧倒的な破壊。
ダンジョンの地形そのものが抉り取られ、融解した岩肌がマグマのように赤く煮えたぎる。敵の暗殺部隊のうち、後方に位置していた三人は、防御呪文を展開する暇も悲鳴を上げる暇すらなく、文字通り塵となって跡形もなく消滅した。
轟音と土煙が収まり、静寂が戻る。
焼け焦げた惨状の中、咲耶の視線が、虚空に浮かぶ小さな『違和感』を捉えた。
溶けた岩肌の死角にひっそりと浮かんでいた、半透明の監視用魔道具。
咲耶は、そのレンズの向こう側にいる『黒幕』の存在を瞬時に悟った。
彼女の紫色の瞳が、極寒の絶対零度よりも冷たく、そして底知れぬ殺意を帯びてそのレンズを真っ直ぐに射抜く。
「……見てるんでしょ、近衛のジジイ」
地獄の底から響くような、呪詛の篭った声。
咲耶がパチン、と指を鳴らした瞬間。
パシィィィンッ!!
監視用の魔道具は、内側から爆発したかのように粉々に砕け散った。
* * *
同時刻、京都・嵐山。
「ヒッ……!!?」
近衛宗厳は、畳の上に置かれた鏡が粉々に砕け散る直前、モニター越しに目が合った咲耶の圧倒的な殺気に当てられ、無様に腰を抜かしてひっくり返った。
「ば、馬鹿な……! 私が集めた最高戦力が、手も足も出ずに一瞬で粉々にされたというのか……!? あの小娘、いったいどれほどの力を隠し持っていたのだ……!」
背筋を滝のような冷や汗が伝う。
御三家の均衡などという次元ではない。本気で怒り狂った皇咲耶という怪物の前では、Sランクの暗殺部隊すら赤子に過ぎなかったという絶望的な事実。
近衛はガタガタと震える手で自身の喉を押さえ、ただひたすらに、あの殺意が京都へ向かないことを祈るしかなかった。
* * *
「……っ、湊……湊……っ!!」
監視カメラを破壊した直後、咲耶はボロボロになったドレスを引きずりながら、半狂乱で俺の元へと駆け寄った。
床に倒れたままの俺の身体にすがりつき、顔を涙と汗でぐしゃぐしゃにして、子どものように嗚咽を漏らす。
「嫌、やだ……目を開けて、湊……! 置いていかないで……わたしが、わたしがもっと早く来ていれば……!」
「…………耳元で大声出すなよ、咲耶。鼓膜が破れるだろ」
「……え?」
咲耶が、息を呑んで顔を上げた。
俺はゆっくりと目を開け、後頭部をさすりながら、自力で上半身を起こした。
「み、湊……? い、生きて……怪我は!? 首を、斬られて……!」
咲耶が慌てて俺の首元を触り、身体のあちこちを確かめるが、俺の皮膚には傷一つついていない。
「怪我なんかしてない。ただ回路がショートした反動で意識が飛んで、倒れただけだ」
俺は立ち上がり、自身の周囲を見回した。
俺の頭部と心臓の真上。そこには、鼻血を流し、全身を切り裂かれながらも、極限の集中力で維持し続けた橘の極小の『魔術防御盾』が数枚、空中に固定されたまま残っていた。
そして、俺の喉元まで迫っていたはずの暗殺者――その腕と白刃は、雪乃の放った絶対零度の氷結魔法によって腕ごと完全に氷漬けにされており、さらにその根元を、チャオの青龍刀が見事にへし折って、俺の首の数ミリ手前で完全に停止させていたのだ。残る一人も、チャオの蹴りで壁に深くめり込み、白目を剥いて気絶している。
「……悪い。助かった」
俺が振り返って言うと、息を切らし、肩で息をしながらも、雪乃、チャオ、橘、結衣の四人が、ふっと安堵の笑みを漏らした。
咲耶は、呆然とその光景を見つめていた。
自分が到着した時には、もう手遅れだと思っていた。自分の魔法が間に合わなければ、湊は死んでいたのだと。
だが、現実は違った。
あの絶体絶命の窮地の中、暗殺者たちの異次元のスピードに翻弄されながらも、俺の仲間たちは決して諦めることなく、自分たちの身を削って最後の1ミリの攻防で暗殺者の刃を完全に防ぎ切り、俺の命を護り抜いていたのだ。
「お前がきてくれていなかったらジリ貧で危なかったな。ありがとう、咲耶」
俺の言葉に、咲耶はぽろぽろと大粒の涙をこぼし、今度こそ、確かめるように俺の胸に強く抱き着いた。
自分がすべてを守らなければならないと思っていた。自分と湊以外の人間は、役に立たないゴミだと思っていた。だが、あの恐ろしい瞬間に、湊の命を最後まで繋いだのは、間違いなく彼女が見下していた仲間たちの力だった。
「……よかった……本当によかったぁ……っ」
咲耶は俺の胸でしばらく泣きじゃくっていたが、やがて落ち着くと、ゆっくりと身体を離した。
そして、周囲に立つ四人の仲間たち――傷だらけになりながらも、決して陣形を崩さなかった彼らの姿を、その紫色の瞳でじっと見つめた。
「…………」
いつものように棘のある言葉を言い放とうとした咲耶の唇が、微かに震える。
プライドが邪魔をして、素直に感謝の言葉を口にすることはできない。だが、目の前で示された「事実」を、彼女の天才的な頭脳は否定できなかった。
咲耶はフイッとそっぽを向き、動揺を隠すようにツンと顎を上げた。
「……ふん。凡人にしては、少しは役に立つこともあるのね。わたしの湊を、最低限死なせなかったことだけは、認めてあげなくもないわ」
相変わらずの冷酷で傲慢な態度。
だが、これまでの「息の根を止める」「目障りだから消えろ」という徹底的な拒絶に比べれば、それは明らかに彼女の態度が『軟化』した証拠だった。
「……はぁ? 何よその上から目線。私たちは私たちのマスターを守っただけよ。あんたに認められる筋合いなんてないわ」
チャオが青龍刀を鞘に納めながら、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「そうです。あなたに褒めていただく必要などありません。……ですが、あの結界を外から力ずくでこじ開けた腕前だけは、流石と言わざるを得ませんね」
雪乃も双剣を収め、冷ややかながらも、咲耶の圧倒的な実力にだけは一定の視線を返した。
「さあ、帰ろうぜ。咲耶も御三家の会合を抜け出してきたんだろ? 拠点に戻って、ゆっくり休もう」
俺がそう言って咲耶の頭を優しく撫でると、彼女は耳まで真っ赤に染めながら、「……うん」と小さく頷き、俺の袖をそっと握りしめた。
未だ多くの火種を抱えながらも、ギルド『黎明』は、確かな絆へと向かって次なる一歩を刻み出すのだった。




