暗躍の狂宴
京都・嵐山の和風邸宅。
皇咲耶が凄まじい殺気を撒き散らして姿を消した後。
静まり返った枯山水の庭園を望む座敷で、近衛家の当主・近衛宗厳は、一人ゆっくりと上質な緑茶を啜っていた。
彼の目の前の畳には、薄く青白い光を放つ一枚の『鏡』が置かれている。
それは、遠く離れた東京のダンジョン深層――隔離結界の内部の映像と音声を、リアルタイムで中継する最上級の監視用魔道具だった。
「……ふふ。いくら皇の魔女とて、今から向かっては間に合いますまい」
近衛の濁った瞳が、鏡の中に映し出される暗殺部隊の動きを捉え、粘着質な笑みとして深まる。
彼が今回、天谷湊という目障りな若造を排除するために差し向けた五つの影。
それは、近衛家が長い歴史の中で秘密裏に飼い慣らしてきた、最高戦力の暗殺集団だった。
彼らは皆、かつて七星に名を連ねるほどの実力を持ちながら、大量虐殺や禁忌の呪術使用といった大罪を犯し、戸籍を抹消されて表舞台に二度と出られなくなった罪人たちだ。
一人一人が、間違いなくSランク以上の実力を持つ化け物。
そんな規格外の存在を五人も同時に投入したのは、確実に天谷湊の首を獲るためだけではない。
「……皇の小娘よ。もしお前が奇跡的に間に合い、あの五人と相討ちにでもなってくれれば……。お前がここで命を落とせば、御三家は我が近衛の独壇場となる」
近衛は腹の底で黒い野心を煮えたぎらせていた。
天谷湊の排除は第一目標。そして、あわよくば飛び込んできた皇咲耶が、五人のS級暗殺者たちとの乱戦で命を落とすことこそが、近衛の描いた真の『最良のシナリオ』だったのだ。
盤上の毒蜘蛛は、安全な京都の座敷から、東京の死線を愉悦の表情で見下ろしていた。
* * *
【池袋ダンジョン:35階層】
そびえ立つ岩肌がどす黒い紫色に変色し、大気中に漂うマナの密度が地上のそれとは比較にならないほど濃密になる深層エリア。
「――ッ! 全員、止まれ!」
薄暗い通路を歩いていた俺の号令と同時に、周囲の空間が不自然なほど急激に『歪んだ』。
ジジジジジッ……!!
ダンジョンの壁面や床が、真っ黒なノイズに覆われていく。外界との繋がりが完全に遮断され、音も、光も、外部の気配も一切届かない隔離結界が構築される。
雪乃とチャオが即座に武器を構える中、歪んだ空間の奥から足音一つ立てずに現れたのは、顔を黒い布で覆った五つの影だった。
魔力の漏れすら微塵もない。ただそこにあるだけで、肌を切り裂くような濃密な殺気が空間を満たしている。間違いなく、ただの探索者ではない。無数の修羅場を潜り抜けてきた者特有のオーラを放っている。
彼らは一切の言葉を発さず、純粋な『排除』の意志のみを向けてくる。
「ちょうどいい準備運動だ。お前ら、下がってろ」
俺は一歩前に出た。
何者かわからないが、俺たちに敵意を向けるなら叩き潰すだけだ。
右腕に力を込め、魔力を意識する。そして赤黒い炎を爆発的に燃え上がらせようとした――その刹那。
バチィィッッ!!!!
「――が、ぁっ!?」
右腕から肩、そして心臓へと、焼け火箸を束にして突き立てられたような激烈な痛みが走った。
九州での限界突破による後遺症、魔力回路のショート。
練り上げようとしていた莫大な魔力が体内で行き場を失い、俺の意識を強引に刈り取っていく。
「湊っ!?」
「湊さん!!」
視界が反転し、強烈な目眩と共に、俺の身体は力なく石の床へと崩れ落ちた。
それを合図としたかのように、五つの影が神速で動いた。
狙いはただ一人。意識を失い、完全に無防備となった湊の首。
「させないわよッ!!」
チャオの怒声が響く。彼女の青龍刀が空気を引き裂き、俺の首筋に迫っていた二つの刃を間一髪で弾き飛ばした。
「橘! 結衣ちゃんを!」
「はいっ!!」
雪乃の指示と同時に、橘が動いた。
彼は両腕を突き出し、自身の持つ最大の面積――縦横三メートルに及ぶ巨大な『紫色の防壁』を俺と結衣の前に展開する。結衣は必死の形相で杖を構え、倒れた俺の身体に回復魔法を注ぎ込み始めた。
だが、暗殺者たちの連携は予想を遥かに超える練度だった。
『――不落の盾か。ならば、正面から砕く必要はない』
暗殺者たちは、橘の展開する紫色の防壁が「絶対に破壊できない」ほどの強度を持っていることを瞬時の一撃で見抜いた。彼らは力任せの攻撃を即座にやめ、その圧倒的な運動速度をもって橘を翻弄し始める。
残像すら残さない高速移動。
五つの影は橘の視界を狂わせるように死角から死角へと跳ね回り、橘の並列思考に過大な負荷を与えていく。
正面の二人がチャオと雪乃の足止めを引き受ける。その剣撃は、Sランクのチャオの武術を完全にいなし、雪乃の絶対零度の空間凍結を、紙一重のステップと呪具による魔力阻害で無効化していく。
そして残る三人が壁を蹴り、天井を走り、橘の盾の死角から防御の隙間を縫うようにして後方へと迫った。
「――【部分展開】!!」
橘が叫ぶ。彼は巨大な盾を維持しながら、瞬時に『お盆』サイズの極小の盾を数十枚、空間の至る所に発現させた。それらはまるで意志を持っているかのように空中を乱舞し、死角から放たれた呪符や暗器の弾道をピンポイントで弾き落とす。
しかし、敵はS級以上の実力をもつ猛者たちだ。
橘の鉄壁の盾そのものには傷一つつかない。
しかし、敵の神速の連携の前に、盾を配置するタイミングがほんの数ミリ、数瞬だけ遅れる。
暗殺者たちはその刹那の「隙間」を、針の穴を通すような正確さで縫ってきた。
防壁の合間をすり抜けた冷たい刃が、橘の腕や肩の戦闘服を切り裂き、血飛沫が舞う。
「くっ……あ、頭が……っ!」
橘の額から脂汗が吹き出し、脳への過負荷で鼻からツーッと血が流れ落ちた。
「橘くん!」
結衣が悲鳴を上げるが、彼女もまた、湊への治癒魔法の詠唱を遮るわけにはいかない。
チャオと雪乃も、意識を失っている俺を背後にかばいながら戦わなければならないという致命的な足枷のせいで、本来の広範囲攻撃を封じられ、ジリジリと防戦一方へと追い詰められていく。
敵の目的は戦闘への勝利ではない。ただ一人、天谷湊の命を確実に奪うこと。
そして、最悪の瞬間が訪れた。
影の一つが、雪乃の牽制を魔力障壁で強引に弾き、チャオの視界の死角へと完全に潜り込んだ。橘の盾の配置がわずかに遅れた、その一瞬の隙。
音もなく俺の真上へと跳躍した暗殺者が、完全に無防備な俺の喉元へと、致死の毒を帯びた凶刃を真っ直ぐに振り下ろした。
仲間たちの絶望の叫びが、スローモーションのように鼓膜を叩く。
刃が、俺の皮膚に触れる直前。
パリーンッ!!!!!
俺たちを外界から隔絶していた漆黒の空間結界が、外側から、想像を絶する巨大な力によって粉々に砕け散った。




