Sランクの特権と、氷の剣士からのパーティー申請
「ピピッ」
無機質な電子音が、西東京市にある家賃四万の安アパートの一室に響いた。
キッチンスケールの上に置いた茶碗。そこによそわれた白米の重量が、ピッタリ指定のグラム数に達した合図だ。
「よし、完璧」
湊は満足げに頷き、炊飯器の蓋を閉めた。
米は絶対に『炊いたあとのグラム数』で計量する。水分を吸って重量が変わる炊飯前の米で量っていては、正確な炭水化物の摂取量がブレてしまうからだ。これは、ステータスが上がらない荷物持ち時代から続けてきた、生身の肉体を極限まで維持するための湊の絶対的なルーティンだった。
狭いローテーブルの上には、茹でた鶏胸肉400グラム、納豆、そして汁気を切ったシーチキン缶という、彩りもクソもない茶色と白のタンパク質定食が並んでいる。
「いただきます」
ボソボソとした鶏胸肉を咀嚼しながら、湊は傍らに置かれた漆黒のカードに視線を落とした。
純金の装飾が施された、Sランク探索者の特注ライセンスカード。
日本のトップに名を連ねる最強の証明であり、これ一枚あれば一生遊んで暮らせるほどの権力と富が約束されている魔法のカードだ。
(……Sランクになったってのに、食ってるもんは昨日と同じ鶏胸肉なんだよな)
湊は自嘲気味に笑った。
『紅蓮の牙』への復讐を終え、アパートに帰還した湊は、まず初めに暴走しそうになる力を抑えるため、筋力と俊敏に振っていたポイントを引き出し、再び全ステータス『6,000』の【汎用バランス型】へと再構築していた。
そうしなければ、ドアノブを回しただけで扉をもぎ取り、歩くだけで床を踏み抜いてアパートを半壊させてしまうからだ。
「まあ、急に金持ちの生活なんて馴染まないしな」
そう一人ごちて納豆ご飯を掻き込もうとしたその時。
コンコン、コンコン。
薄いアパートの鉄扉を、一定のリズムで控えめに叩く音がした。
こんな時間に誰だろう、と湊は訝しげに眉をひそめる。新聞勧誘やNHKの集金にしては、ノックの音がやけに行儀が良い。
湊がステータス『俊敏6,000』の無音の足運びで玄関へと近づき、警戒しながらドアを開けると――。
「こんばんは。夜分遅くに失礼します」
そこには、西東京の古びたアパートにはおよそ不釣り合いな、洗練された私服姿の美女が立っていた。
美しい銀色の長髪をまとめ、黒のタートルネックにシックなロングコートを羽織ったその姿は、まるでファッション雑誌から抜け出してきたかのようだ。
「……柊さん?」
「雪乃で結構ですと、先日申し上げたはずですが」
日本のトップランカーである【銀閃】の柊雪乃は、氷のように冷たくも美しい瞳で湊を見つめ返し、小さくため息をついた。
「ダンジョン管理庁のSランク特権データベースを使えば、あなたの居住地を割り出すことなど容易いです。監視対象のあなたが、あれから何か規格外の凶行に及んでいないか、直接確認しに来ました」
「監視って……俺はあれからずっと、部屋で大人しく鶏胸肉を食べていただけですよ」
湊が呆れたように部屋の中を指差すと、雪乃の視線がローテーブルの上の貧相な食事へと向けられた。
その瞬間、彼女の細い眉がピクリと動く。
「……天谷さん。あなたは自分が現在、どのような立場にいるのか本当に理解していますか?」
「立場、ですか?」
「Sランク探索者には、国から毎月数千万単位の特別手当が支給されます。さらに、超一等地のタワーマンションの無償提供、専用の移動車両、専属のサポート部隊。そういった『特権』がすべて与えられているにも関わらず、なぜまだこのようなセキュリティ皆無の木造アパートで、納豆と鶏胸肉を食べているのですか」
雪乃は本気で理解できないといった様子で、呆れ半分、怒り半分の声を上げた。
「いや、引っ越しの申請とか面倒くさそうですし。別に今のままでも十分に生きていけますから」
「そういう問題ではありません。今のあなたは『歩く国家機密』なのです。もし他国の工作員や闇ギルドがここを襲撃したらどうするのですか」
「その時は、きっちりお引き取り願いますよ」
「…………」
筋力と俊敏を瞬時に5万超えまで引き上げ、Aランクパーティを赤子のようにあしらった湊の姿を思い出したのか、雪乃はぐっと言葉を詰まらせた。物理的な脅威という点においては、湊にとってこの世界の大半のものは障害にすらならないのだ。
「……とにかく、立ち話もなんですし、中に入ってもいいですか。あなたに重要な提案があって来ました」
「あ、はい。散らかっていますが、適当に座ってください」
湊が招き入れると、雪乃は狭いワンルームの部屋を珍しそうに見渡しながら、小さな座布団の上に正座した。
湊も向かい側に座り、食事の残りを横へ押しやる。
「それで、重要な提案というのは?」
雪乃は居住まいを正し、先ほどの小言モードから一転して、探索者としての真剣な表情を浮かべた。
「単刀直入に申し上げます。天谷さん――私が所属するSランクパーティ『蒼天の剣』に加入していただけませんか」
「……えっ」
湊は目を丸くした。
『蒼天の剣』といえば、日本に存在する探索者ギルドの中でも、常にメディアの注目を集める超名門のトップパーティだ。
だが、湊は少し考える素振りを見せた後、静かに首を横に振った。
「せっかくのお誘いですが……お断りします」
「……理由は、お伺いしても?」
「俺、そういう大きな組織に入ると、自由がなくなる気がして。メディアへの対応とか、ギルドの厳しい規律とか、そういうのに縛られるのは性に合わないんです。これからは自分のペースで、自由にダンジョンを探索したいと思っていますから」
湊が素直な気持ちを伝えると、雪乃は納得したように小さく息を吐いた。
「なるほど……。確かに、トップギルドともなれば行動の制限も多くなりますからね。そのお答えは予想通りです。では、提案を変えましょう」
「提案を変える?」
「はい。ギルドへの加入ではなく……私と『個人的に』パーティーを組んでいただけませんか?」
その言葉に、湊はさらに戸惑った。
「個人的に……? でも、柊さん……いや、雪乃さんには『蒼天の剣』という元のパーティがあるじゃないですか。なんでわざわざ、俺なんかと組もうとするんですか?」
湊の真っ当な疑問に対し、雪乃は伏し目がちに答えた。
「……事実上、私は現在ソロで活動しています。籍自体は置いていますが、未踏破領域の攻略においてはメインパーティから外れました」
「どうしてですか?」
「私のステータスが、あまりにも偏りすぎたからです」
雪乃は自嘲するように目を細める。
「私の俊敏は15万を超えています。この異常な速度についてこれる前衛は『蒼天の剣』のSランクメンバーの中にもいません。私が本気で動けば、後衛からの回復魔法や支援魔法のロックオンすら外れてしまい、味方との連携が完全に崩壊するんです」
「あー……速すぎるのも考えものなんですね」
「ええ。それに加えて、私の筋力は絶望的に低い。第十七階層のオリハルコン・ゴーレムのような『理不尽な装甲』を持った敵が現れた途端、私の攻撃は一切通らなくなりました」
雪乃の氷のような瞳が、湊の目を真っ直ぐに射抜いた。
「他のメンバーは、私がいないと深層では生き残れません。かといって、私が彼らに合わせれば、火力不足でジリ貧になって全滅する。だから私は、単独で深層の活路を開くためにソロで潜り……あのフロアボスに殺されかけました」
「そういう事情があったんですね」
「ですが、あなたは違いました」
雪乃は熱を帯びた声で語り始める。
「先日、あなたが私を救ってくれた時の戦い……あれは、私の理想とする『完璧な相互補完』でした。あなたは敵の弱点に合わせて、自在にステータスを書き換えることができる。私が防ぎきれない一撃を受け止め、私が貫けない装甲に亀裂を入れることができる。あなたの『最適解』と私の『速度』が組み合わされば……」
「まだ誰も到達したことのない、『黒淵の顎』の最深部を攻略できる。……そう言いたいんですね」
湊が言葉を引き継ぐと、雪乃は静かに、しかし力強く頷いた。
「はい。私は自分の目で、あのダンジョンの底にある真実を見極めたい。だからこそ、組織の肩書きを置いてでも、あなたというパートナーが必要なんです。……どうか、私に力を貸してください」
トップランカーとしてのプライドを捨て、深々と頭を下げる雪乃。
その姿を見て、湊の胸の奥底で、再び燻っていた熱がメラメラと燃え上がり始めた。
かつて『紅蓮の牙』に所属していた頃、湊はただの荷物持ちとして、背後から怯えながら彼らの背中を見ているだけだった。
だが今は違う。自分の弱点を補い合い、共に背中を預けて死線を潜り抜ける対等な相棒としての誘い。
何より、自分一人では倒せないような圧倒的な強敵と全力で戦えるという事実が、湊の魂を激しく揺さぶっていた。
「……分かりました。喜んでお受けします」
湊は、嬉しさを隠しきれない柔らかな笑みを浮かべた。
「俺も、もっと強いモンスターと思い切り戦ってみたいと思っていましたから。その代わり、俺の極端なステータス変更に、しっかりついてきてくださいね」
「ええ、望むところです」
雪乃もまた、氷のような瞳の奥に好戦的な光を宿して微笑み返した。
「では、契約成立ということで。まずは明日の朝、ダンジョン管理庁の本部へ向かいます」
「本部ですか? なぜ?」
「あなたのその貧相な装備をどうにかするためです。Sランクの特権で、国庫に眠っている最上級のアーティファクトを無償で引き出せますから。そのままでは、私の速度にも、あなた自身の筋力にも耐えきれずに服が吹き飛びますよ」
「あはは……確かに、そうかもしれませんね」
先日の戦闘でも、筋力を引き上げすぎたせいで服の袖がはち切れそうになっていたことを思い出し、湊は苦笑いした。
「さあ、そうと決まれば善は急げです。明日は朝が早いですから、今日はもう休んでください。……あ、その前に残りの食事を片付けておいてくださいね。栄養バランスの見直しも、明日から私が管理しますので」
「えっ、鶏胸肉生活終わるんですか!?」
思わず身を乗り出した湊に、雪乃は小さく吹き出した。
ペースを完全に握られながらも、湊は不思議と嫌な気はしなかった。
理不尽な世界で虐げられてきた温厚な青年と、運命のに翻弄されながらも高みを目指す氷の剣士。
常識外れの二人が結成した規格外のパーティーは、未だ誰も見たことのない奈落の底へ向けて、静かにその歩みを進めようとしていた。
【ステータス】
【名前】天谷 湊
【年齢】20
【HP】6,000 / 6,000
【MP】6,000 / 6,000
【筋力】6,000
【俊敏】6,000
【体力】6,000
【知力】6,000
【魔力】6,000
【保留ポイント】213,035




