魔女の来訪
62階層クリアし、防衛省の特別演習場へと帰還した俺たちは、合流したチャオを交えて、新ギルド発足に向けたミーティングを行っていた。
「これでギルドのメンバーは、湊、雪乃、橘、結衣、そして私の5人。……ギルド設立の最低条件をクリアするためにもあと1人はどうしても必要ね」
チャオが地図や資料を広げながら、真剣な表情で豊満な胸を揺らす。
「防衛省からの推薦枠を頼るか、また地道に探すか……」
俺が顎に手を当てて考え込んでいた、その時だった。
パキィン、と。
硝子が割れるような音が室内に響いた。
すると突如空間が歪み、一筋の紫色の亀裂が走る。そこから現れたのは――豪奢な黒いドレスを身に纏った女性、皇咲耶だった。
「みーつけた!……ふふっ、湊、きちゃった♪」
皇咲耶は俺の姿をみつけた瞬間、それまでの傲然とした雰囲気を一変させ、少女のように頬を染めてトコトコと駆け寄ってきた。
「ちょっと、皇さん!? なんでここに??っていうか防衛省の結界をどうやって……」
「そんなのどうでもいいわ。それより湊、一週間も私を放置するなんて薄情ね? 皇家を後ろ盾にすると言ったのだから、もっと私に頼って、甘えてくれないと寂しいわ」
皇咲耶は俺の制止など耳に入らない様子で、俺の膝にまたがり胸元にぴったりと身体を密着させてきた。上質な絹の擦れる音と、脳を狂わせそうな甘い香りが鼻腔をくすぐる。彼女の長い指先が、俺のシャツの襟元を愛おしそうに整え、そのままじわじわと首筋へ、鎖骨へと這い上がってくる。
「おい、そこを離れなさい、変態魔女……!」
雪乃が双剣の柄に手をかけ、室内の温度を一瞬で氷点下まで引き下げる。結衣も半泣きで俺の服の袖を引っ張っていた。
だが、咲耶は彼女たちの方を向き直した瞬間、その表情から一切の温度を消し去った。
紫色の瞳に宿るのは、路傍の石ころを見るよりも冷徹な目
「……五月蝿いゴミたちね。私は湊と話しているの。気安く声をかけないでくださる?」
その言葉に、それまで黙って様子を見ていたチャオが、青龍刀の柄を鳴らして一歩前に出た。
「ちょっと、そこまで言うなら実力を見せてもらおうじゃない。見たところ無名のようだけど……誰よこのおばさん」
緊迫する室内。俺が割って入ろうとしたが、咲耶はそれを手で制し、冷たい声で告げた。
「どうやら雌犬どもの『躾』が必要なようね」
湊が静止する暇もなく演習場へと場所を移すのであった。
* *
防衛省・地下第1演習場。
「……時間の無駄だから2人まとめてでいいわよ」
演習場の中央、皇咲耶は両手を下げたまま完全に無防備な姿勢で立っていた。その視線は、対峙する雪乃とチャオではなく、観客席にいる湊へ視線を送っていた。
「……ナメるんじゃないわよ!」
「……消し去ってあげる」
チャオと雪乃が、同時に地を蹴った。
チャオは『氣』を纏った神速の突進、雪乃は西園寺の指導で研ぎ澄まされた冷気の魔力を双剣に宿し、左右から咲耶へと襲いかかる。
だが、皇咲耶が動くことはなかった。
彼女が静かに瞳を細めた、その瞬間。
キィィィィィィィィィィィンッ!!!!!
演習場全体が、紫色の光に飲み込まれた。
咲耶を中心に、全方位――前後左右、上下、空間のすべてを埋め尽くすように、数えきれないほどの魔法陣が、狂気的な密度で一瞬にして発現した。
「――え?」
チャオと雪乃が声を上げる暇すらなかった。
咲耶から放たれたのは、圧倒的な物量攻撃。
回避する隙間も、防御する時間も存在しない。
全方位から押し寄せる1つ1つが当たればタダでは済まない威力の魔法が差し迫り、雪乃とチャオに回避する暇を与えない。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!!
音声が消失するほどの爆音と共に、二人の身体はコンクリートの床へと叩きつけられ、その上からさらに重力魔法となって彼女たちを圧殺にかかる。
開始と同時、完全なる瞬殺。
「……あ、が……っ」
「……動け……ない……」
チャオも雪乃も、指一本動かすことができず、ただ圧倒的な恐怖に震えながら、床に顔を押し付けられていた。
咲耶は表情一つ変えず、感情の失せた瞳で、路傍の不快な害虫を見るかのように二人を見下ろす。そして、トドメを刺すべく、さらに巨大な特大の魔法陣が彼女たちの真上に展開した。
「――もうやめてくれ!橘!」
湊が叫ぶのと同時に、橘漣が割り込んだ。
「おおおおらぁぁぁぁぁぁッッ!!!!!」
橘が両腕を突き出し、【魔術防御盾】を展開する。
ガガァァァァァァァァァァンッ!!!!!
演習場全体が劇的に揺れ、橘の盾が咲耶の放った特大魔法を、激しい火花を散らしながら強引に押し留めていた。限界突破した橘のMPと体力が、魔女の理不尽な火力をギリギリのところで相殺し、霧散させてゆく。
「……はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
橘の盾が消滅し、彼はその場に膝を突いた。盾の隙間で守られた雪乃とチャオは、衝撃の風圧による数箇所のかすり傷だけで、奇跡的に五体満足で命に別状はない。
静寂が戻る。
咲耶は自身の魔術が防がれたというのに、悔しがる様子すら見せず、ただ冷ややかに橘を一瞥した。
「あら。……今のを止める者が、湊の配下にはいるのね」
パチン、と咲耶が指を鳴らすと、演習場を埋め尽くしていた魔法陣が一瞬にしてすべて消滅した。彼女は床に座り込んだままガタガタと震えるチャオと雪乃のほうなど最初からいなかったかのように無視し、一瞬で俺の目の前へと空間転移した。
「湊……っ!」
咲耶は俺の胸に飛びつき、強引に俺を床へと組み敷いた。
彼女の豪奢なドレスがシーツのように俺を包み込み、甘く、しかしどこか焼け付くような熱を帯びた香りが視界を染める。
「なっ、皇さん……っ!?」
「咲耶って呼んで……、わたしこの一週間、湊と会えなくて死ぬかと思った」
俺の上に馬乗りになった咲耶の瞳は、とろりと妖しく、そして狂気的な熱を帯びていた。彼女は自身の身体を押し付けてくる。
「一週間……。あなたが私の屋敷から去ってから、たったの168時間。……でも、わたしにとっては、永遠のような地獄だった」
咲耶の顔が至近距離まで迫り、その熱い吐息が俺の頬を灼く。
「何を見ても、何をしても、私の脳裏に浮かぶのは、あなたのあの日の純情な顔と……わたしを焼き尽くすような、熱く交わったあの瞬間だけ」
彼女の指先が、俺のシャツのボタンを一つ、また一つと、焦れったいほどゆっくりと外していく。襟元が大きくだけ、そこにはまだ、一週間前に彼女が刻みつけた赤いキスマークのかすかな痕跡が残っていた。
「あはっ……。まだ、残ってる。……嬉しい」
咲耶はその痕跡を見つけると、子どもが宝物を見つけたような笑みを浮かべ、その場所を自身の唇で愛おしそうに、何度も、何度も、貪るように吸い始めた。
「んぅ……っ、咲耶さん、やめて……っ」
「ダメよ。逃がさない。……あなたが、わたしをこんな風にしたのよ? 責任、取って?」
咲耶は俺の首筋に顔を埋めたまま、とろとろになった声で囁く。彼女の舌が、俺の皮膚をなぞり、その熱い魔力が再び俺の体内に流れ込んでくる。その魔力は、一週間前に心臓に焼き付けられた契約の魔法陣――茨の紋章を熱く脈打たせた。
「あはぁ……っ、湊の鼓動、すごく速い……。わたしの魔力を、求めてるのね……?」
彼女は抵抗する湊のシャツを強引に脱ぎ捨てると、胸元に自身の肌を直接密着させ、鼓動を重ねるようにして大きく息を吸い込んだ。
「あぁ……湊……っ。匂い……湊の、匂い……っ」
旧御三家の当主として、日本の絶対権力者として、これまで数え切れないほどの優秀な男たちを従えてきた。だが、あの少年はそんな有象無象な男たちとは全く違う。
狂気的な暴力で世界を蹂躙したかと思えば、子どものように顔を赤らめ、「好きになった相手と」などと純情なことを口にする。
その圧倒的なギャップと無垢さが、咲耶の中で眠っていた『雌』の欲望と、独占欲を完全に狂わせてしまったのだ。
「もう……限界。……三年なんて待てないかも」
暗闇(演習場)の中、咲耶は俺の顎を乱暴に固定し、その瞳に妖しく、そしてひどく甘い微笑みを浮かべた。
「ちょっ……約束が違うよ咲耶さんっ……」
湊を持ってしても振り解けない。
それをいいことにまるでこの空間に自分と湊しかいないかのように情熱的に湊へ迫る皇咲耶
「絶対に逃がしてあげない。……湊の全てはわたしのものよ……」
咲耶の唇が、俺の唇を、深い、甘い、陶酔を誘うキスの雨で塞いだ。
チャオや雪乃、橘たちが、呆然とその光景を見つめる中。魔女の理不尽な暴力と、歪な執着心は、演習場全体を甘い地獄へと変えていった。




