真なる盾
重厚な漆黒の扉が、地鳴りのような音を立てて開かれゆく。
未踏破領域の最深部、地下62階層
その扉の向こうに広がっていたのは、異様なほどに広大で、冷たい静寂に包まれたドーム状の石室だった。
「……待て。中に入る前に、一つ済ませておきたい」
俺は石室へと踏み出そうとした足を止め、背後に立つ橘へと振り返った。
「橘、お前のステータスをみせてくれ」
「え? あ、はい……」
言われるがまま、橘が自身のステータスを表示する。
そこに並んでいたのは、あまりにも偏りすぎた、ステータス数値だった。
【ステータス】
【名前】橘 漣
【HP】1,200 / 1,200
【MP】1,500/1,500
【筋力】1,100
【俊敏】58,000
【体力】1,000
【知力】2,000
【魔力】1,200
総ステータス:66,000
Bランク相当である。
「……やっぱり、酷いですよね……」
橘が自嘲気味に目を伏せる。
「いや、その偏りこそが、橘の最大の武器になる。それにーー」
俺は自身のウインドウを展開した。
62階までの道中、ほとんど雪乃がモンスターの相手をしてくれたものの、俺のもある程度モンスターを間引いていたおかげで【保留ポイント】がストックされていた。
【保留ポイント:285,400】
「俺のポイントをお前に注ぎ込む。さっきまでとは別人並みに感覚も変わるはずだから気をつけてくれ」
俺は26万ものポイントを橘のステータスへとスワイプした。
【MP】+130,000
【体力】+130,000
【ステータス】
【名前】橘 漣
【HP】1,200 / 1,200
【MP】1,500/131,500
【筋力】1,100
【俊敏】58,000
【体力】131,000
【知力】2,000
【魔力】1,200
(総ステータス:326,000)
橘の身体が、温かく柔らかな青白い光に包まれた。
痛みはない。枯渇しきっていた彼の器へ生命力がダイレクトに流れ込み、細胞の隅々へと融解するように馴染んでいく。
光が収まった後、空中に再展開された彼のステータスは、もはや別次元の領域へと足を踏み入れていた。
「は、はぁ……っ、な、なんですかこれ……身体の底から、底無しの力が湧いてくるような……っ」
橘が、信じられないというように自身の両手を見つめる。
「おめでとう。この瞬間から、橘のステータスもSランク相当の仲間入りだ」
そして俺は扉の向こうにいる漆黒の石室の奥で蠢き始めた『巨大な影』を睨み据えた。
「さあ、橘。お前のユニークスキル【魔術防御盾】の本当の力を見せてくれよな」
* * *
一歩、石室の冷たい床を踏みしめる。
その瞬間、大気が物理的な質量を持って肌を圧迫した。
『ギ……チチチチチチッ……!!』
暗闇の奥から這い出てきたのは、体長5メートルを優に超える、歪で悍ましい異形の巨体だった。
下半身は八本の太い節足が蠢く巨大な蜘蛛。そこから生えるようにして人間の屈強な上半身が連なり、首から上は、鋼鉄をも容易く噛み砕きそうや巨大な顎を持った蟻の頭部
未踏破領域の最奥に君臨する、真なる深淵の主
言葉を交わす余地などない。
ボスが咆哮を上げた瞬間、石室の全空間が激しく振動し、地を割るような肉撃戦が幕を開けた。
ダンッ!!
先手を取ったのは湊だった。
音速を超える踏み込み。一瞬にして蜘蛛の巨体の懐へと潜り込む。右腕に魔力を集中させ、九州の闘技場で見せたあの圧倒的な『灰燼の炎』を、ボスの分厚い胴体へと叩き込もうと拳を振りかぶる。
しかし。
「――チッ!?」
右腕を覆おうとした赤黒い炎が、バチバチと不規則な火花を散らし、霧散した。
九州での戦いの後遺症がまだ全快していないせいか魔力の出力が安定せず、大規模な炎の放出が強制的にシャットダウンされてしまったのだ。
『ギチィッ!!』
炎が不発に終わった湊の隙を、深淵の主は見逃さなかった。
巨大な蟻の顎がカチンと鳴ったかと思うと、鋼鉄の柱のような蜘蛛の前脚が、湊の胴体を両断せんと凄まじい速度で振り下ろされる。
体勢を崩した状態では回避できない。
だが、その肉迫する死線の隙間に、音もなく滑り込む影があった。
ガガァァァァァァァァンッ!!!!!
石室全体を震わせる凄絶な激突音。
湊の肉体に衝撃は届かなかった。
湊とボスの巨大な前脚の間に、いつの間にか割り込んでいた橘が、その両腕を正面へと突き出していた。
発現しているのは、以前のような『お盆』サイズの極小の盾ではない。
厚さ数十センチ、縦横三メートルに及ぶ、極めて堅牢で高密度な『紫色の防壁』。
13万を超えた【体力】と【MP】が、彼のユニークスキル【魔術防御盾】の本領を発揮していた。
巨大な蜘蛛の脚のフルスイングを真正面から受け止めているにも関わらず、紫色の防壁にはヒビ一つ入っていない。橘自身も、一歩たりとも後ろに下がっていなかった。
「……湊さんには、指一本触れさせない……っ!!」
橘の叫びと共に、防壁が紫色の閃光を放ち、ボスの巨体を力任せに後方へと弾き飛ばす。
一切のダメージを通さない、文字通り『絶対防御』。
逃げ回るしかなかった紙の盾は、Sランクの器を得たことで、いかなる攻撃をも跳ね返す絶対の城塞へと変貌を遂げていた。
『ギ、ギギギッ!?』
体勢を崩し、巨体を揺らすボス。
その隙を、後方から神速で駆け上がってきた雪乃が見逃すはずがなかった。
彼女はボスの直上へと高く跳躍し、空中で二振りの双剣をクロスさせた。
西園寺椿の指導によっての体内魔力の完全な支配と流動。ただ冷気を放つのではなく、石室内の『気圧』を魔力で操作し、自身の氷結魔法と融合させる。
「――『氷嵐・絶華』」
双剣が十字に振り下ろされる。
瞬間、ボスの巨体を中心に、猛烈な吹雪を伴う『竜巻』が発生した。
逃げ場のない絶対零度の暴風雨が、蜘蛛の八本の脚、人間の胴体、そして蟻の硬い外殻を、細胞レベルで瞬時に凍結させていく。
『ギ、ギィィィィィィッ!?』
身をよじるボスの関節がパキパキと凍りつき、その巨体が完全に石室の床へと縫い付けられた。高い防御力を誇るであろう分厚い外殻も、急激な温度変化と気圧の操作によって、ガラスのように脆くひび割れていく。
今度は、湊が動く番だった。
凍りついたボスの懐へと再び肉薄する。
右腕の魔力回路が軋み、大規模な炎の放出を拒絶している。だが、チャオの極意書で学んだ『魔力の循環』を極限まで研ぎ澄ませていた。
外へ爆発させるのではない。内に留め、極限まで圧縮し、形を成すのだ。
「……すぅぅ……っ」
短い呼気と共に、湊は右腕で明滅して散ろうとしていた赤黒い炎を、強引に手のひらの一点へと収束させた。
不安定だった炎が、圧縮されることで色を変えていく。赤黒い濁りは消え、やがて視界を焼くほどの純白で青白い、極小の熱源へと凝縮された。
彼の右手の延長線上に生み出された、長さ一メートルほどの『炎の短刀』。
火力を一点に集中させることで、崩壊しかけた回路への負担を抑え、同時に貫通力とリーチを飛躍的に高めた、魔力コントロールの結晶。
青白く輝く炎の短刀が、雪乃の魔法で脆くひび割れた蟻の頭部――その眉間へと突き立てられた。
ズブッ。
抵抗は、まるでなかった。
炎の短刀が外殻を貫通し、ボスの頭部の内側の核へと容易く到達する。
直後。
圧縮されていた数万度の超高熱が、ボスの体内から一気に解放された。
ドガァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!
閃光と爆音が石室を埋め尽くす。
5メートルを超える蜘蛛と蟻の異形は、断末魔の悲鳴を上げる間もなく、内側からの熱量によって完全に破裂し、キラキラと輝く光の粒子となってダンジョンの虚空へと消えていった。
そして奥に光る水晶玉のようなダンジョンコアをそのまま破壊するとーー
【ダンジョンボスの討伐を確認しました】
【ダンジョンコアの破壊を確認しました】
脳内に無機質なアナウンスが響く
石室に満ちていた重苦しい瘴気が、嘘のように晴れていく。
さらに石室の空間が黄金の光で満たされ、生き残った4人の身体を優しく包み込んだのだ。
【天谷 湊:『灰神の加護』を取得しました】
【柊 雪乃:『氷神の加護』を取得しました】
【橘 漣:『守神の加護』を取得しました】
【泉 結衣:『癒神の加護』を取得しました】
「加護……? 」
雪乃が自身の両手を見つめ、驚きに目を見開く。彼女の纏う魔力の質が、先ほどよりもさらに澄んだものへと変化したように感じた。
「……ハァ、ハァ……っ」
右腕の炎を霧散させ、湊は大きく息を吐き出した。自身の腕を見つめる。先程までより体が軽い。
背後で、橘がへたりと床に座り込んだ。
彼は、自身の手のひらを見つめ、やがてポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。
「僕の……盾で……みんなを、守れた……っ」
「ああ。お前はもう、誰にも負けない立派なタンクだ」
湊が手を差し伸べると、橘は顔をぐしゃぐしゃにして泣き笑いながら、その手をしっかりと握り返してきた。




