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旧き血の名家



闘技場のアスファルトが、俺の歩みに合わせてドロドロのマグマへと変貌していく。


一歩。また一歩。


悪魔の心臓を物理的に掴み取るような絶望の足音が、静まり返ったコロッセオに響き渡る。


『く、来るな……! 寄るなァァァッ!!』


五十万人の人間を家畜と呼び、俺の仲間を笑いながら無惨な姿に変えた大悪魔ベルゼが。


今、腰を抜かし、無様に這いつくばりながら必死に後ずさっていた。


「……どうした?さっきみたいに笑ってみろよ」


俺は赤黒い炎を揺らめかせながら、ベルゼを見下ろした。


ベルゼは完全に恐慌状態に陥り、両手から無数の黒い魔法陣を展開した。


空間を削り取る次元断、精神を汚染する呪いの波動、そして極大の重力球。考えうる限りの致死の魔法が、雨あられと俺に降り注ぐ。


だが、それらは俺の『灰燼魔鎧』に触れることすら叶わなかった。


絶対的な熱量の壁に阻まれ、すべての魔法が空中で気化し、無害な水蒸気となって霧散していく。


「そんな攻撃じゃ俺の怒りは冷ませねえよ」


『ヒッ――』


俺は炎の翼を翻し、一瞬にしてベルゼの眼前に立った。


そして、逃げようとする大悪魔の首根っこを、装甲に包まれた右手でガシリと鷲掴みにし、そのまま空高く持ち上げた。


『ガ、アァァァァッ!? 熱い、アツィィィィッ!!』


「お前たちに犠牲になった人たちが感じた痛みに比べりゃ、生温いだろ。……そのまま、骨の髄まで燃え尽きろ」


俺は右腕に、残された魔力の出力をすべて注ぎ込んだ。


膨大なステータス値から生み出される握力と、周囲を溶かすほどの熱線が、ベルゼの強靭な外殻を容易く溶かし、その内側にあるマナの核へと直接到達する。


『や、やめ……我は、魔将の筆頭として……こんなところで、人間ごときに……ッ!』


「消えろ」


俺が右手を強く握り込んだ瞬間。


ベルゼの全身の亀裂から、極大の爆炎が噴き出した。


ドッパーーーーーーーーーーーーンッ!!!!!!


断末魔すら残らなかった。


大悪魔ベルゼの巨体は、内側からの熱量に耐えきれずに完全に破裂し、肉片ひとつ残さずに文字通り『灰』となって九州の空へと散っていった。


『大悪魔ベルゼの討伐を確認』

『保留ポイント:15,000,000を獲得』

『九州エリアの結界を解除します』


脳内に響く無機質なシステムのアナウンスが流れると同時に、背後の五十万人の市民を守っていた『炎の防壁』も、静かに役割を終えて消滅していった。


終わった。


圧倒的な暴力で、すべてを焼き尽くした。

【MP:0 / 496,160】


その瞬間だった。

限界を超えて稼働していた全身の『灰燼魔鎧』が、まるでガラス細工のようにパチンと砕け散った。


それと同時に、極限の熱量による反動と、己の器を完全に無視したバグレベルのステータス出力を強引に維持していた肉体の「ツケ」が、一気に押し寄せてきた。


ブチャァァァァッ!!


全身の皮膚が弾け、筋肉が断裂し、毛穴という毛穴から鮮血が噴き出す。


魔力回路は完全に焼け焦げ、内臓の機能すら停止しかけていた。


『警告:肉体および魔力回路の崩壊率が危険域を突破。生命活動の維持が不可能です』


『緊急プロトコル【肉体・魔力回路の強制再構築リビルド】を起動します』


『代償として、保有する保留ポイントを消費します』


俺の視界の端で保留ポイントが滝のような速度で減少していく。


【保留ポイント:82,450,000 → 45,000,000 → 12,000,000 → 0】


俺の身体を内側から修復し、命を繋ぎ止めるためだけに、稼ぎ出した膨大なポイントがすべて「治療費」として蒸発していったのだ。


強大すぎる力は、器を壊す。それを脳髄に刻み込まれながら、俺の意識は完全な暗闇の底へと沈んでいった。


   * * *


「結界が消えたぞ! 突入しろォォォッ!!」


5人以外の立ち入りを禁じていた漆黒の障壁が消失した瞬間、闘技場の外周で歯噛みしながら待機していた防衛省の部隊や各ギルドの探索者たちが、雪崩を打ってすり鉢の底へと駆け下りてきた。


「湊……ッ! 湊ぉぉぉぉぉっ!!」


誰よりも早く、弾かれたように飛び出したのは雪乃と結衣だった。


灰と泥に塗れた斜面を転がるように駆け下り、五十万人の市民たちの泣き叫ぶ声が響く闘技場の中心へと向かう。


そこには、言葉を失うほどの凄惨な地獄絵図が広がっていた。


見渡す限りに広がる、黒焦げになった数万のモンスターの灰の山。


そして、血の海の中で物言わぬ屍となった獅子神咆牙と、全身から血を流し、ピクリとも動かなくなった湊の姿。


「湊……! いや、死なないで、湊ッ!!」


雪乃は泥と血に塗れるのも構わず、湊の身体を抱きしめ、大粒の涙をこぼした。


隣で結衣が必死に杖を掲げ、持てる限りの回復魔法を注ぎ込む。後続の医療部隊が神代や東、椿たちの元へ殺到し、怒号と悲鳴が入り混じる救護活動が開始された。


「大丈夫……呼吸はあります! 凄まじい自己修復の痕跡が……命に別状はありません!」


結衣の涙ながらの報告に、雪乃はへたり込むように安堵の息を吐いた。


人類は、この絶望的な状況から五十万人の命を救い、勝利した。


だが、その代償はあまりにも大きく、獅子神の死は、生き残った者たちの心に凄絶な傷跡を刻み込んだ。


――しかし。


その痛ましくも尊い「勝利の余韻」を、ひどく場違いな、甘く妖艶な香りが切り裂いた。


「あらあら。随分と派手に散らかしたのねぇ」


雪乃たちがハッとして顔を上げると、血と灰に塗れた闘技場のど真ん中に、一人の女性が立っていた。


自衛隊の厳重な警戒網をいつの間にかすり抜け、足音ひとつ立てずにそこに「出現」したのだ。


艶やかな紫の長髪を無造作に結い上げ、和服をベースにしながらも極端に露出度を高くし、豊満な胸の谷間と長い脚を惜しげもなく晒した、豪奢で扇情的な装束。


年齢は三十ほどだろうか。大人の女性が持つ、匂い立つような色気と、そして――圧倒的で、底知れぬ「魔力の重圧」を全身から立ち昇らせていた。


「誰……!? ここは立ち入り禁止よ!」


雪乃が双剣を構え、自衛隊員たちが一斉に銃口を向ける。


しかし、女性は銃口を向けられても微塵も動じず、医療班に囲まれて気を失っている西園寺椿を一瞥し、ふう、と呆れたようなため息を吐いた。


「……西園寺家は『七星』として直接表舞台にでてまで事態の収束を計ったのに………、やはりあの西園寺の小娘は出来損ないね。あんな有様で地べたに這いつくばるなんて、同じ旧御三家として恥晒しもいいところだけれど…当主でもない未完成のお子様では頑張った方かしら」


旧御三家。


その言葉に、周囲の防衛省幹部たちの顔が一斉に青ざめた。


日本のダンジョン黎明期から裏で国を牛耳り、決して表には出ない絶対的な権力と武力を併せ持つ、三つの旧名家。


『西園寺』『皇』『近衛』


各家の当主は、七星すらも足元にも及ばない真のバケモノであると、探索者たちの間で都市伝説のように語り継がれてきた存在。


「私の名は『すめらぎ 咲耶さくや』。……さて、不出来な小娘のことはどうでもいいわ。私が来たのは、とびきり美味しそうな『獲物』の匂いがしたからよ」


咲耶の紫色の瞳が、雪乃の腕の中で気絶している、湊へと向けられた。


その瞳には、最上級の宝石を見つけたような、ねっとりとした欲望の炎が渦巻いていた。


「たった一人で、仮にも日本トップに位置する探索者が苦戦を強いられたイレギュラーなモンスターをまとめて相手にして灰にしてしまう熱量。……あぁ、モニター越しに見ていたけれど、本当にゾクゾクしたわ。私を満たしてくれそうな極上の雄。あんな規格外の存在、西園寺や近衛のジジイ共に取られる前にと思いまして」


咲耶が、一歩、湊へ向けて歩みを進める。


「……ッ! 彼に近づかないで!!」


雪乃が、湊を護るように前に立ち塞がり双剣を抜き冷気を咲耶へ向けて放った。


空気を凍結させ、並のモンスターなら一瞬で氷像に変える。


だが。


「ふふっ。冷たくて気持ちいい風ねぇ」

咲耶は、避けることすらしなかった。


彼女が指先を軽く鳴らすと、雪乃の放った絶対零度の吹雪が、瞬時に「極大の爆炎」へと属性を反転させられ、相殺されたのだ。


「なっ……私の氷が、炎に……!?」

「私は『全属性』を愛しているの。氷も、炎も、風も、土も。すべての魔法は、私の指先一つで踊るのよ」


咲耶がくすくすと笑いながら手を振ると、今度は突風が巻き起こり、雪乃の身体を羽毛のように軽く後方へと吹き飛ばした。


怪我はない。ただ、圧倒的な力の差を見せつけるための、児戯のような魔法の行使。


「雪乃さん!」


結衣が叫ぶが、咲耶の周囲にはすでに重力魔法の不可視の壁が展開されており、誰も湊に近づくことができない。


「さて。このボロボロの英雄様は、私が責任を持ってお持ち帰りしてあげるわ。皇の屋敷で、たっぷりと私の手で『介抱』してあげる」


咲耶は、気絶している湊の頬を愛おしそうに撫でると、その身体をそっと抱き寄せた。


「やめて……! 湊を、返して……ッ!!」


雪乃が涙声で叫び、必死に重力の壁を叩く。


「ごめんなさいね、お嬢ちゃん。でも、この子はもう私たちの『盤上』に上がってしまったの。……またすぐに会えるわ。彼が、私の『首輪』を喜んでつけるようになったらね」


咲耶が妖艶なウィンクを投げた瞬間。


彼女の足元に巨大な転移の魔法陣が展開し、眩い光が周囲を包み込んだ。


光が収まった後。


そこには、皇咲耶の姿も、天谷湊の姿も、きれいさっぱり消え失せていた。


「湊……! みなとぉぉぉぉぉっ!!」



天谷湊は、次なる欲望と権力の渦中へと、強引に引きずり込まれることとなったのだった。


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