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黒髪の剛姫




九州全土を飲み込んだ、未曾有のダンジョンブレイク。


五十万人の命を人質に取り、人類の最高戦力「五人」を要求する悪魔の声明は、日本中を重く泥のようなどん底へと叩き落とした。


西東京の俺のアパートのリビングは、凍てつくような沈黙に支配されていた。


「……タイムアップね」


ふいに、チャオが手元の特殊端末を閉じ、短く息を吐いた。


「祖国から、絶対帰還命令が出たわ。これ以上、他国の防衛戦に戦力を割くことは許されない、とさ」


彼女は立ち上がると、悔しげに青龍刀の柄を握りしめた。国家のトップ探索者の1人である彼女が、自国を見捨てて日本の九州へ向かうことなど許されるはずがなかった。


「悪かったな、チャオ」

「気にするなと言いたいところだけど……本当に悔しいわ。あなたのその『力』が完成する瞬間を、特等席で見られないなんて」


チャオは俺の胸元に歩み寄ると、一冊の古びた手帳――彼女が独自に編み出した『氣』の極意書を、俺の手に押し付けた。


「これを読んで自主鍛錬に励みなさい。あなたなら、一ヶ月あれば必ず自分のモノにできるわ」


「……ああ。大切にする」


「ええ。……だから、絶対に生きて帰ってきなさい。私の英雄」


背伸びをして、俺の唇にそっと熱を帯びた口づけを残す。


隣で雪乃が息を呑む気配と同時に周囲の気温が一気に下がった気がするが、チャオは妖艶に微笑むと、振り返ることなく夜の街へと消えていった。


残されたリビングで、雪乃は俯き、自分の華奢な両手を強く握りしめていた。


彼女も七星に肉薄する力を持っているが今回敵が指定した『五人』の枠には選ばれなかったのだ。


「……また、私は置いていかれるのね」

血の滲むような、絞り出す声だった。


「雪乃」


「分かってるわ。今回は大勢の人の命がかかってる。信頼に足るだけの実績が私にはまだ足りないって……。でも……っ!」


俺は、震える彼女の背中をそっと抱き寄せた。

言葉はいらない。ただその体温を確かめるように。


「俺が帰ってくる場所を、お前と結衣に守っててほしいんだ。お前たちがいるから、俺は必ずここへ帰ってくる」


雪乃は俺の胸に顔を埋め、声を殺して泣いた。

五十万人の命と、日本の未来。その途方もない重圧を背負う覚悟を決めた俺の背中を、彼女はただ力強く抱きしめ返してくれた。


   * * *


翌日。防衛省・地下最深部。


九州奪還へ向かう代表者五名を選定するため、俺たちは厳重な結界が張られた特別訓練室に集まっていた。


「待たせたな。これで五人が揃った」


神代が重厚な扉を開け、一人の人物を伴って入ってきた。


その姿を見た瞬間、室内の空気がピンと張り詰める。


漆黒の艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、豪奢だが動きを阻害しない洗練された黒のドレス装束を纏った、氷のように冷徹な美貌を持つ女性。


その右手には、閉じた状態の『鉄扇』が握られている。


「……遅れて申し訳ありません。西園寺家の誇りにかけて、九州の害悪は私がすべて排除いたしますわ」


鈴を転がすような、しかし一切の感情を感じさせない冷たい声。


彼女こそが、これまで最前線に姿を現さなかった七星の一角。


【異名:『剛姫ごうき西園寺さいおんじ 椿つばき


歴史ある探索者の一族・西園寺家の令嬢。極限まで圧縮した魔力を肉体に纏わせての「一切の小細工なしの純粋な物理的破壊力」と、強力無比な風魔法を操るバケモノ。純粋な殴り合いの強さにおいて言えば、神代すら凌駕すると恐れられている。


椿の黒曜石のような瞳が、俺を一瞥した。


「あなたが天谷湊……。なるほど、途方もない内に秘めた力……、でも器と中身がひどくアンバランスですわね」


彼女は鉄扇をパチンと開き、口元を隠して目を細めた。


「身の丈に合わない力に振り回される野犬のよう。今のままでは遠からず自滅しますわよ」


「……言うじゃねえか。だったら、その野犬の牙が届くかどうか、試してみるか?」


俺が右腕に『炎神の小手』を纏わせようとした瞬間。


――フッ。

鋭い風切り音。


椿が閉じた鉄扇を軽く振っただけだった。


それだけで、俺の右腕に纏いかけていた高密度の炎が、目に見えない極度の暴風の刃によって根元から完全に『切断』され、霧散したのだ。


「なっ……!?」

「私の風は、対象の構造そのものを断ち切ります。……その未熟な熱量では、私の嵐は超えられませんわ」


冷や汗が頬を伝う。ただの風魔法ではない。圧倒的な魔力密度に裏打ちされた、純粋で暴力的な風の極致。


「やめろ、西園寺。身内で削り合っている余裕はない」


神代が二人の間に立ち入り、重々しい声で告げた。


「敵は五十万の命を盾に、九州の周囲には強固なマナの結界が張られ、外部からの軍事介入は一切通じない。……この1ヶ月で、我々五人は連携と個の力を極限まで高める必要がある。お互い己のステータスをもとに最も人類側の勝率が高い戦いを模索しよう」


神代の合図と共に、特別訓練室の空中に、俺たち五人のステータスがプロジェクターで投影された。


互いのステータス数値を見て、一同息を呑んだ。


神代 迅

【HP】1,500,000 / 【MP】0

【筋力】1,400,000 / 【俊敏】1,600,000 / 【魔力】0

(総ステータス: 4,500,000)


西園寺 椿

【HP】500,000 / 【MP】1,200,000

【筋力】1,200,000 / 【俊敏】800,000 / 【魔力】500,000

(総ステータス: 4,200,000)


獅子神 咆牙

【HP】1,200,000 / 【MP】200,000

【筋力】1,200,000 / 【体力】1,000,000

(総ステータス: 3,600,000)

【特殊加護:獣神の加護】


東 猛

【HP】700,000 / 【MP】1,000,000

【体力】800,000 / 【魔力】1,200,000

(総ステータス: 3,700,000)


【特殊加護:雷神の加護】


天谷 湊

【HP】300,000/【MP】496,160

【筋力】350,000/【俊敏】380,000

【知力】250,000/【魔力】400,000 (魔法:火属性Lv.3)【保留ポイント】6,460,000

【特殊加護:炎神の加護 / 闘神の加護】

(総ステータス:2,176,160+保留ポイント:6,460,000)


誰もが数百万というとてつもないポイントを保有し、それぞれの戦闘スタイルに特化した異常なステータスを誇っている。


魔力を一切持たない代わりに、極限の身体能力に到達した神代。筋力と魔力の高次元な融合を果たす椿。獅子神のとてつもない体力。東の絶大な魔力。


彼らはこの途方もない数値を、己の肉体と長年の死闘の経験だけで完璧に制御し、振るっている。


「……ステータスは俺が1番低い」

俺が呟くと、神代は静かに頷いた。


「そうだ。お前のスキルは最大のジョーカーだが、それを扱う『器』の技術がまだ心許ない。この1ヶ月で、お互いがより強くなれるように合同鍛錬をやらないか」


そうしてその日から、防衛省の地下で、地獄という言葉すら生ぬるい特訓が始まった。


チャオの極意書を読み解きながら、俺は魔力を体内で循環させる術を死に物狂いで身体に刻み込む浸透させていく。獅子神の剛拳を避け、東の雷撃を掻い潜り、椿の暴風に肌を切り裂かれながら、自身の炎をより高密度に、より無駄なく仮想武具として定着させる感覚を磨いていった。


血反吐を吐き、骨が砕け、結衣の回復魔法で無理やり身体を繋ぎ止めながら、俺は七星たちの背中に喰らいつき続けた。


   * * *


そして、約束の1ヶ月後。


俺たち五人は、重装備の自衛隊ヘリから、黒い瘴気の結界に覆われた九州の大地へと降り立った。


かつて西日本最大の繁華街であった福岡・天神エリア。


しかし、眼下に広がるその光景は、俺たちの想像を絶する悪夢へと変貌していた。


ビル群はすべてなぎ倒され、大地はすり鉢状に深く抉り取られている。


直径数キロに及ぶ、巨大な『闘技場コロッセオ』。


そして、そのすり鉢の縁を囲むようにして、無数の「巨大な骨の檻」が立ち並んでいた。


檻の中には、恐怖に震え、絶望の涙を流す五十万人もの九州の市民たちが、すし詰めにされて閉じ込められている。


『――よく来たな、虫けらども』

闘技場の中央。


漆黒の甲冑に身を包み、頭部に二本のねじれた角を生やした、あの悪魔が立っていた。


その後ろには、それぞれが異様なオーラと特異な姿を持つ四体の人型モンスター――『知性体』たちが並んでいる。


【名称:大悪魔 ベルゼ】

【ランク:測定不能】


「てめぇ……! その檻の人間たちを解放しろ!!」

東が激怒の咆哮を上げるが、ベルゼは嘲笑うように口角を吊り上げた。


『慌てるな。我らは深い慈悲をもって、貴様らに舞台を用意してやったのだ。……これより、我ら五柱と、貴様ら五人による、1対1の「五番勝負」を行う』


ベルゼが指を鳴らすと、巨大な闘技場が、見えないマナの壁によって「五つのセクター」に分断された。


『ルールは簡単だ。互いに殺し合い、最後まで立っていた陣営の勝利とする。……ただし』


ベルゼの赤い瞳が、三日月のように歪む。


『貴様らが我々の攻撃を「避けた」場合、その攻撃の余波はすべて、後方にある「五十万人の檻」へと誘導されるよう結界を調整してある』


息を呑む音が、五人の間を駆け抜けた。


俺たちの背後にある、泣き叫ぶ市民たちの檻。


もし俺たちが、致命傷となる攻撃を躱せば、その破壊の余波は背後の檻を直撃し、数万の人間がミンチになる。


『つまり、貴様らは一切の回避を許されない。我らの攻撃をすべてその身で受け止めながら、死ぬまで殴り合えということだ。……最高の余興だろう?』


卑劣。その一言に尽きる。


彼らは最初から正々堂々戦う気などない。人間の「守る」という心理を突いた、最悪の盤面。


「この、下劣なバケモノが……ッ!!」


神代が、静かな怒りを発しながら腰の剣を抜いた。


「……上等だぜ。避ける必要なんてねえ」


獅子神が、首をボキボキと鳴らしながら自らのセクターへと歩み出る。


椿も無言で鉄扇を開き、東も紫電を纏って前へ出た。


「天谷」

神代が、俺の肩にポンと手を置いた。


「絶対に……生きて、全員で帰るぞ」

「ええ。俺たちの日常を、こんな悪魔の好きなようにはさせません」


俺は両腕に『炎神の小手』を纏わせ、最後尾にあるベルゼの待つセクターへと歩みを進めた。


五十万の命と、己のすべてを懸けた絶望の闘技場。


人類の存亡を賭けた、血を洗う五番勝負の幕が、今ここに切って落とされた。


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