完成された熱
防衛省・地下特別訓練室
静寂に包まれた空間で、俺の右腕は、かつてないほどに静かに、そしてとてつもない熱を孕んでいた。
「……なるほど、こういうことか」
俺は、自身の右腕を覆う赤黒い炎を見つめて呟いた。
これまでのように、熱が外へ逃げようと暴れ狂う感覚は一切ない。体内の魔力回路をポンプのように使い、極限まで圧縮された熱を『循環』させ続ける。
右腕の表面には、ガラスのように滑らかで高密度な「炎の膜」が、小手のような形を保ってピタリと定着しており、熱気すら感じないーー
そう、完全に制御に成功した瞬間だった。
「――本当に、化け物ね」
数メートル先で青龍刀を構えていたチャオが、ふぅ、と長い息を吐いて構えを解いた。
全身汗だくの彼女は、信じられないものを見るような目で俺の右腕を見つめている。
「たった数日のスパーリングで、私の『氣』の循環を完全に魔法で再現するなんて。……理屈は教えても、普通は肉体が追いつかないわ。あなたが夜も寝ずに、何度も血を吐きながら魔力回路を焼き切る寸前まで調整を繰り返していたのは知っているけれど……」
チャオは青龍刀を床に置き、真剣な、一人の武術家としての敬意を込めた瞳で俺を真っ直ぐに見つめた。
「よく頑張ったわね、湊。あなたのその異常なまでの執念と血反吐を吐いてでも成し遂げるまでやめない根性、心から賞賛するわ。……見事よ」
世界トップクラスの強者からの、一切の誤魔化しのない真っ直ぐな労いの言葉。
俺は少し気恥ずかしくなり、照れ隠しに右腕の炎をスッと霧散させた。
「あんたが、手加減なしで付き合ってくれたおかげだ。……恩にきる、チャオ」
「ふふっ、どういたしまして。……でもね」
トンッ、と。
床を蹴った音すら聞こえなかった。
「えっ……ちょっ!?」
チャオのしなやかな両腕が俺の首に絡みつき、汗ばんだ豊満な胸が、俺の胸板にムギュッと押し付けられる。
先ほどまでの凛とした武術家の顔は消え失せ、そこには獲物を前にした妖艶な雌豹の笑みがあった。
「あーあ。そんな真面目に限界を超える姿なんて見せられちゃったら、ますます私のモノにしたくなっちゃったじゃない。……ねえ、湊? もうこのまま私のホテルに行こ?」
チャオの甘い吐息が、俺の耳朶をくすぐる。
さっきまでの真面目な労いから一転、理性を溶かすような猛烈なアプローチに、俺の心臓が限界を突破して警鐘を鳴らす。
「チャ、チャオさん……! 近い、近いって! 息が……!」
「いいじゃない。このままベッドのうえで、力の『循環』の続き、もっと深くまで教えてあげる……」
チャオの艶やかな唇が、俺の首筋に触れそうになった、その瞬間だった。
ビーーーーーーーーーーッ!!!
鼓膜をつんざくような、けたたましい非常警報が防衛省の地下深くに鳴り響いた。
『緊急事態発生! 緊急事態発生! 太平洋上の海洋型ダンジョンにて、観測史上最大規模のマナの膨張を確認!』
スピーカーから響く切羽詰まったオペレーターの声に、俺とチャオはピタリと動きを止めた。
甘い空気は一瞬で吹き飛び、極寒の戦場のそれに切り替わる。
『第一防衛ライン、突破されました! ダンジョンから無数のモンスターが溢れ出しています! 繰り返します、ダンジョンブレイクが発生しました!』
「……始まったか」
「行くわよ、湊。……あなたの『新しい力』の、最初のテストね」
「ああ。……みていてくれ。次こそは必ず人類の海を取り戻そう」
そう呟く湊の瞳には揺るぎない自信に満ち溢れていた。
* * *
日本の太平洋側の絶対防衛線――
鉛色に淀んだ空の下、荒れ狂う海面はドス黒い瘴気に染まり、さながら地獄の釜の底のように沸き立っていた。
「撃て! 撃てぇぇぇっ!! 水際で食い止めろ!」
海岸線に展開した自衛隊の砲撃部隊と、日本ギルドの防衛線が、海から這い上がってくる異形の群れに火線を浴びせる。
だが、海から現れたのは、通常のダンジョンから溢れ出すゴブリンやオークといった有象無象のモンスターではなかった。
甲殻に覆われた巨大な六脚の化け物や、人間のような腕を無数に生やした海蛇。
その一体一体が、最低でも『Aランク上位』以上と思われる深層クラスの異常個体だった。
「Oh, shit...! 砲撃がまるで通じてないぞ!」
海岸線の最前線で踏みとどまっていたのは、先行して到着していたアメリカのトップギルド『リバティ・プライム』の重装甲部隊だった。
彼らは全身を最新鋭の魔力装甲で固め、巨盾を構えて防波堤となっていた。
「怯むな! 俺たちが抜かれたら、後ろの街が火の海になるぞ!その次は私たちの母国かもしれない!」
「リーダー! 右舷から巨大な影が……ッ!?」
ザパァァァァァァンッ!!
巨大な水柱が上がり、アメリカの探索者たちを見下ろすように「それ」は現れた。
全高二十メートルを超える、漆黒の甲羅を持った巨大な蟹のようなモンスター。その両腕には、鋼鉄すら両断するであろう巨大なハサミが備わっている。
『ギ、ギギギギギギッ!!』
「撃ち落とせ! 魔法部隊、一斉射撃!!」
数十発の高位魔法が巨大蟹の甲羅に直撃する。だが、爆煙が晴れた後、甲羅には傷一つ付いていなかった。
「嘘だろ……」
絶望の声が漏れた直後。
巨大蟹のハサミが、無慈悲な速度で薙ぎ払われた。
「アァァァァッ」
前衛で巨盾を構えていたアメリカのトップ探索者たちが、盾ごと紙屑のように真っ二つに切断され、無惨に宙を舞う。
血の雨が降り注ぎ、強固だった防衛線が一瞬にして崩壊した。
「リーダー!!」
「クソッ、逃げろ! あれは俺たちの手に負える化け物じゃ……っ!」
悲鳴と怒号。
圧倒的な暴力の前に、最前線の探索者たちは戦意を喪失し、後退を余儀なくされた。
『ギギギ……』
巨大蟹が泡を吹きながら、逃げ惑う探索者たちへトドメのハサミを振り下ろそうとした、その時。
ドゴォォォォォォォンッ!!!
上空から、一筋の「赤黒い流星」が海岸線に突き刺さった。
巻き上がる砂煙と衝撃波が、巨大蟹の巨体をぐらりと揺らす。
アメリカの探索者たちや自衛隊員が、何事かと顔を覆いながら爆心地を見た。
クレーターの中心。
舞い散る土煙が晴れたそこに、一人の男が膝を立てて着地していた。
「……遅くなってすまない」
「なっ……誰だ、あいつは!?」
「馬鹿な、輸送ヘリからパラシュートも無しに飛び降りたのか!?」
そこには湊の姿があった。
ざわめく周囲を気にも留めず、俺は目の前にそびえ立つ巨大蟹と、その後ろから迫る数十体の深層モンスターの群れを見据えた。
かつての俺ならステータスの数値をぶら下げて力任せに特攻していただろう。
だが、今の俺はひどく冷静だった。
静かに息を吸い込み、体内の魔力回路に意識を集中させる。
(チャオに教わった通りだ。……魔力を放つな。巡らせろ。俺の右腕に『道』を作れ)
保留ポイントから【500,000】を仮想武具へスワイプする。
暴走しようとする極大の熱を、氣の循環の要領で完全に制御し、右腕の表面に薄く、そして絶対的な強度の「炎の膜」として定着させる。
【仮想武具(炎の小手)】
【筋力】500,000
【耐久値】∞(496,160 / 496,160)
【相性値】10
(武具100,000 × 相性10) + (湊の筋力350,000)= 『 5,350,000 』
俺の右腕が、赤黒い陽炎を纏いながら静かに明滅した。
熱は一切外へ逃げていない。俺の肉体を焼くこともない。完全な『制御』。
『ギシャァァァァッ!!』
獲物を邪魔された巨大蟹が怒り狂い、俺を両断すべく、あの巨盾を粉砕したハサミを全力で振り下ろしてくる。
その背後からも、無数の深層モンスターが殺到してきた。
「逃げろ! 死ぬぞ!!」
背後でアメリカの探索者が叫ぶ。
だが俺は、足を一歩も動かすことなく、迫り来る巨大なハサミに向けて、ただ無造作に右腕を横に薙ぎ払った。
――バツンッ!!
「……え?」
誰かの間の抜けた声が漏れた。
俺の右腕がハサミに触れた瞬間、爆発すら起きなかった。
完全に制御された一点集中の暴力が、巨大蟹のハサミを、甲羅を、そしてその背後にいた数十体の深層モンスターの群れごと、空間ごと「消し飛ばした」のだ。
扇状に広がった衝撃波が海面を割り、モーセの十戒のように海に巨大な道を作り出す。
跡に残ったのは、炭化してボロボロと崩れ落ちるモンスターだった残骸と、静まり返った海岸線だけだった。
「……ははっ」
俺は自身の右腕を見た。
火傷一つない。骨の軋みもない。
あれだけの出力をぶっ放したというのに、俺の右腕を覆う炎の膜は、微かな明滅を繰り返しながら健在だった。
「最高だな、これ」
絶望に支配されていた海岸線に、圧倒的な余裕と静寂を取り戻した俺は、海鳴りだけが響く太平洋の奥深く――九尾がいるであろう方角へ向けて、不敵な笑みを浮かべた。
【ステータス】
【名前】天谷 湊
【HP】300,000 / 300,000
【MP】496,057 / 496,160
【筋力】350,000
【俊敏】380,000
【知力】250,000
【魔力】400,000 (魔法:火属性Lv.3)
【保留ポイント】1,960,000
【特殊加護:炎神の加護】




