新宿ダンジョンでの経験値稼ぎ
「……ダメか」
西東京市のアパートの一室。湊は、机の上に散らばった無残な鉄屑の山を見つめ、力なく息を吐いた。
手元にあるのは、防衛省から「テスト用」として提供された、一本数十万円は下らない特注のカーボン強化ナイフだ。岩石程度なら容易く両断するはずのその刃は、今や原形を留めぬほどにひしゃげ、焦げ付いている。
退院直後、湊は自らの内に目覚めた新能力――『武装強化』の検証に没頭していた。
武具に対し、保留ポイントを流し込むことでその性能を爆発的に引き上げる。理屈はシンプルだが、代償は残酷だった。
どれほど高価な、あるいは頑丈な素材を用いた武具であっても、湊の『保留ポイント』という名の膨大なマナの質量を流し込めば、その構造は耐えきれず内側から崩壊する。先ほど試した最高級のナイフも、わずか100ポイントを流し込み、軽く振った瞬間にその「負荷」によって文字通り爆散した。
「相性値の問題じゃない……。俺の流し込む『力』そのものが、武具の理を超越してしまっているんだな」
『壊れない武具』を探すことは、今の湊にとっては砂漠でダイヤの原石を探すような徒労だった。
ならば、と湊は砕けた鉄屑をゴミ箱へ放り捨て、窓の外に広がる、夕闇に沈む街を見据えた。
「武具が壊れることを前提にするしかない。一撃で壊れるなら、その一撃で全てを終わらせる。……そのためには、もっとだ。もっと圧倒的な『貯金』が必要だ」
海洋型ダンジョンで九尾に完敗し、雪乃と結衣を死の淵に追いやった。その記憶が、今も湊の心臓を冷たく締め付ける。保留ポイントを使い果たし、丸腰となった今の自分には、次に来る絶望を跳ね返す術がない。
「……行くか、新宿へ」
湊は、自らの内に眠る火の魔力を右拳に宿し、静かに、しかし強く握りしめた。
* * *
翌朝。新宿。
かつて湊が九尾と死闘を繰り広げ、壊滅的な被害を受けたこの街は、今や日本最大の「最前線基地」と化していた。
そびえ立つ高層ビルの多くは未だに修復の足場が組まれ、街の至る所に武装した探索者と、防衛省の装甲車が配置されている。
その中心に口を開ける、不気味な青白い光を放つ『新宿ダンジョン』の入り口。
そこに、異様な威圧感を放つ三人の男たちが立っていた。
「ガハハハ! 結局、俺のところに泣きついてくるじゃねえか、湊! 海の前にまずはこの地獄の底まで付き合ってやるぜ!」
豪快に笑いながら湊の背中を叩いたのは、七星の一角、『雷帝』の東猛だ。
その隣では、腕を組んだ獅子神咆牙が、不機嫌を絵に描いたような顔でダンジョンの穴を睨みつけていた。
「勘違いするなよ、モヤシ。俺は神代に命じられたから来ただけだ。……てめぇの経験値稼ぎの付き添いなんて、反吐が出る」
「……分かっていますよ、獅子神さん。それでも、今の俺にはあなたたちの力が必要なんです」
湊の瞳にかつての卑屈さはなかった。
結衣と雪乃は、中国の治癒術師の尽力で一命を取り留めたものの、いまだ療養中だ。今回の新宿再探索に、彼女たちの姿はない。
「よし、行こう。……行けるところまで………いや、その一番底までだ」
湊の言葉を合図に、日本最強の三人が、新宿の闇へと足を踏み入れた。
* * *
攻略のスピードは、これまでの新宿探索の常識を遥かに凌駕していた。
第一層から中層にかけて現れるオークやグールの群れに対し、湊は『崩星の籠手』を失った素手のままで突き進んだ。
ドゴォォォォンッ!!
「……ハァッ!!」
湊の右ストレートが、Aランクの巨大なオーガの頭部を、触れた瞬間に「蒸発」させた。
拳に火属性魔法Lv.2の『圧縮』を乗せた打撃は、もはや武具を必要としなかった。
バフのない素の状態でありながら、湊の動きは一週間前よりも鋭く、重い。
「おいおい、本当に人間かよ。バフもなしにその出力か」
東が、背後から迫るサタン・ウルフを紫電の一撃で焼き払いながら、呆れたように呟く。
「……フン。ステータスだけは一丁前だ」
獅子神も毒づきながら、目の前の肉壁を紙細工のように引き裂いていく。
第10層、第30層、第50層。
かつては数カ月の期間と数多の犠牲を要した階層を、彼らはわずか数時間で「通過」していく。
階層が深くなるにつれ、モンスターのレベルも飛躍的に跳ね上がっていくが、それは湊にとって『保留ポイント』の絶好の収穫場でしかなかった。
【保留ポイント】0 → 120,000 → 450,000……
倒せば倒すほど、システムが告げるポイントの増加音が脳内に響く。
だが、湊の心は凪いでいた。
どれだけ数字を積み上げようと、あの九尾が見せた『次元の断絶』を前にすれば、それは単なる紙の盾に過ぎない。
(もっとだ。もっと深く、もっと強いマナの核を喰わせろ……!)
第70層。
ここから先は、かつての人類が「未踏破」として封印した未知の領域だ。
現れるモンスターは、もはや生物の形を成していないものも多い。
空間から突然現れる「マナの塊」のような影。物理攻撃が通じにくい霊体種。
「ここからは俺も遊んでられねえな……! 東、左をやれ! 湊、右は任せたぞ!」
獅子神が咆哮し、紅蓮の炎を全身に纏わせる。
「了解!!」
東の極大雷撃が階層全体を紫色の閃光で埋め尽くし、その光を切り裂くように湊が影の群れへ突っ込む。
「――火属性Lv.2、多重圧縮!!」
湊は、自らの両腕に燃え盛る炎を、さらに内側へと強引に押し込んだ。
これまでは籠手という『器』に頼っていた圧縮を、今度は自らの『魔力』の制御だけで、肉体そのものに焼き付けていく。
シュゥゥゥゥッ……!
湊の腕の表面から、高密度の熱気が立ち昇り、空気が歪む。
「オラァァァァァッ!!」
影のモンスターを殴りつけた瞬間、純粋な『熱の槍』となって敵を貫通し、背後の岩壁までをもドロドロに溶かした。
魔法の練度が、死闘の中で一段階引き上げられていた。
第80層……第85層……。
三人が第87階層へと到達したとき。
そこは、これまでのおどろおどろしい洞窟や廃墟とは一線を画す、どこまでも真っ白な、静寂に満ちた「黄金の虚空」だった。
「……なんだよ、ここは。モンスターがいねえじゃねえか」
獅子神が周囲を警戒し、鼻をヒクつかせた。
だが、東は冷や汗を流しながら、正面にそびえ立つ巨大なクリスタルの扉を見つめていた。
「いや……いる。とびきりヤバいのが、その奥で『待って』やがる」
扉の奥から溢れ出すプレッシャーは、これまでのモンスターとは違う、清廉で、それでいてひどく「禍々しい」ものだった。
湊は、自身のステータスウインドウを指先で弾いた。
【保留ポイント】1,260,000
数えきれないほどの命を屠り、積み上げた120万を超えるポイント。
そして、これまでの道中で限界まで引き上げた自らのステータス。
【HP】300,000 / 300,000
【MP】496,160 / 496,160
【筋力】350,000
【俊敏】380,000
【知力】250,000
【魔力】400,000
「……行こう。こいつを倒して、さらに経験値を上乗せする」
湊の手が、冷たいクリスタルの扉に触れた。
【ステータス】
【名前】天谷 湊
【HP】300,000 / 300,000
【MP】496,160 / 496,160
【筋力】350,000
【俊敏】380,000
【知力】250,000
【魔力】400,000(魔法:火属性Lv.2)
【保留ポイント】1,260,000




