海洋型ダンジョン4
30分の休足時間。
冷たい石造りの広間で、日・米・中のトップ探索者たちは無言で傷を癒やし、あるいは武器の刃を研いでいた。
俺は広間の入り口付近で、暗闇から音もなく帰還した二人の人影を見つめた。
一人は、風を纏ったような身軽な装束の青年。もう一人は、影そのもののように存在感の希薄な黒ずくめの男。
先行して第2階層の偵察に向かっていた、日本の最高戦力『七星』の残る二角――『風刃』の翠川ハヤテと、『幻影』の黒鉄ジンだ。
彼らが合流したことで、地上に残った神代を除く『七星』の全メンバー6名が、この深海迷宮の最前線に集結したことになる。
「……ハヤテ、ジンの旦那。第2階層の様子はどうだ?」
東が声をかけると、偵察から戻った二人の顔には、トップ探索者らしからぬ明らかな「戦慄」が張り付いていた。
「……最悪っスよ、東さん。階層の構造は古代の海底神殿みたいになってるんスけど……配置されてるモンスターが、全部『深層のボス』クラス…あるいはそれ以上かも…………です……」
ハヤテが乾いた唇を舐めながら報告する。ジンも無言で深く頷き、自らの黒い短剣に視線を落とした。
その報告に、アメリカ『ヴァルハラ』のアーサーと、中国『神龍』の趙雲蘭も顔を強張らせた。
だが、もう後には引けない。この事態を食い止めるためには、最深部へ向かうしかないのだ。
「行くぞ。世界を、俺たちの手で終わらせるわけにはいかない」
アーサーの号令と共に、日米中・合同突撃班は、第2階層へと続く巨大な黒曜石の扉を押し開けた。
* * *
第2階層に足を踏み入れた瞬間、空気が「粘液」に変わったかのような錯覚を覚えた。
圧倒的なマナの密度が、呼吸器を直接圧迫してくる。
『――ギルォォォォォォォォッ!!』
神殿の柱の陰から、天井の暗がりから、そして崩れた石畳の下から。
先ほどの第1階層で遭遇した『絶海を這う者』クラスの異形たちが、文字通りの「パレード(大群)」となって押し寄せてきた。
「フォーメーション・アルファ!! 盾を構えろ!!」
アーサーが巨大な戦斧を振るいながら咆哮する。アメリカの重装甲部隊が最前線に壁を作り、その後方から中国『神龍』の気功使いたちが、不可視の氣の波動を放ってモンスターの突進を弾き飛ばす。
「遅えんだよッ!!」
獅子神が壁を飛び越え、敵の群れの中央に落下しながら剛拳を叩き込む。衝撃波で十数体の異形がミンチになるが、その隙間を縫うように、カマキリのような鎌を持つ新たなバケモノが獅子神の死角に迫る。
そこへ、雪乃の『銀閃』が走り、鎌ごとモンスターの首を両断した。
「チッ、余計な世話だ!」
「強がっている余裕なんてないはずよ! 獅子神!」
俺も結衣のバフを受け、超高速で戦場を駆け回りながら、炎を圧縮した魔法打撃で確実に敵の装甲を粉砕していく。
日米中の最強戦力による、夢のような共闘。
本来であれば、どんなダンジョンだろうと数時間で制圧できるはずの布陣だった。
しかし――。
「ぎゃあァァァァァッ!!」
突如、アメリカ部隊の右翼で悲鳴が上がった。
見れば、空間と同化する迷彩能力を持った深海エイの変異種が、重装甲の騎士を頭から丸呑みにし、その強酸の体液でアーマーごとドロドロに溶かしていたのだ。
「ジョージ!! クソッ、撃てェェッ!!」
仲間の死に激昂したアメリカの探索者が魔力弾を乱射するが、その射撃の隙を突かれ、今度は中国のサポートメンバーが、床から突き出した無数の棘に串刺しにされる。
「ダメです、敵の数が多すぎます! 回復が……追いつきませんッ!」
結衣が涙目で叫びながら、広域回復魔法をばら撒き続けるが、傷つく速度の方が遥かに早い。
七星ですら、息を乱し、傷を負い始めている。
バケモノの群れをかき分け、血路を開き、味方の死体を踏み越えながら、俺たちは狂気の神殿をひたすらに前進した。
そして、数時間の果てのない地獄の底で、俺たちはついに「第3階層」へと続く巨大な階段を見つけ出した。
「見えたぞ! あの階段を下りれば……ッ!」
東が叫んだ、その時だった。
『――随分と、騒がしいな』
階段の最上段。
そこに「男」が立っていた。
青白いマナの光に照らされた、長い銀髪。整った顔立ちには、人間を見下すような冷酷な笑みが張り付いている。
だが、その背後でゆらゆらと揺れる「九本の光の尾」を見た瞬間、俺の心臓は早鐘のように跳ね上がった。
「嘘だろ……。お前、新宿の……『九尾』か!?」
あの時、雪乃と二人で死に物狂いで倒したはずの特異知性体。
それが、さらに濃密なマナを喰らい、完全に「人間」の形へと進化を果たしてそこに立っていた。
【ランク:測定不能(規格外)】
【名称:深淵の王属・九尾】
『我が同胞たちを随分と間引いてくれたようだが……生憎、ここから先は貴様らのような羽虫が立ち入る場所ではない』
人型の九尾が、スッと右手を軽く振るう。
ただ、それだけだった。
――ズパァァァァンッ!!
「え……?」
俺の斜め前を走っていた中国『神龍』の精鋭3名と、アメリカの重装騎士2名が。
何の予備動作もなく、胸から上下に「真っ二つ」にズレて、床に崩れ落ちた。
血の雨が降る。
空間そのものを切断する、次元の違う斬撃。魔法の詠唱すらなく、ただ手を振っただけで、トップSランクの探索者たちが一瞬で肉塊へと変えられたのだ。
「なんだ、あの力は……! バケモノなんて次元じゃねえぞ!!」
アーサーが血の気を失い、震える声で叫んだ。
「ダメだ……! 勝てねえ! あれは俺たちの手におえるモンじゃねえッ!!」
獅子神でさえも、本能が警鐘を鳴らしたのか、滝のような冷や汗を流して足を止めた。
「全軍、撤退!! 直ちに広間へ戻れェェェッ!!」
アーサーの悲痛な絶叫が響き渡る。
目的の完遂など不可能だ。あれは、人類が今の戦力で挑んでいい存在ではない。
生き残った各国の探索者たちが、我先にと背を向けて走り出す。俺たちも、歯を食いしばりながら後退を始めた。
『逃がすと思ったか? 塵どもが』
九尾が、残酷な笑みを浮かべて宙に浮き上がった。
そして、その視線が、後方で撤退の支援魔法をかけようとしていた『結衣』へと向けられた。
『その妙な術式を使う雌……目障りだ。お前から消えろ』
九尾の指先から、極太の雷の槍が放たれた。
音速を超える雷撃。結衣は反応すらできず、ただ目を見開いて立ち尽くす。
「結衣ッ!!」
俺が叫ぶより早く。
雪乃が結衣の前に割り込んだ。
「――『絶対氷壁』ッ!!」
雪乃が双剣を交差させ、自身の全魔力と体力をつぎ込んだ氷の盾を展開する。
ガアァァァァァァァァンッ!!!
「あ、ぐゥゥゥゥッ……!!」
雪乃の悲鳴。
九尾の雷撃は、氷の盾をいとも容易く粉砕し、雪乃の双剣を根本からへし折った。
そして、そのまま雪乃の腹部を貫通し、背後にいた結衣の肩をも貫いたのだ。
「雪乃さんッ!! 結衣!!」
二人の小さな身体が、血飛沫を上げながら吹き飛び、冷たい石の床を何度もバウンドして転がった。
「あ……ぁ……」
俺は、頭の芯が真っ白になるのを感じた。
急いで駆け寄るが、二人は血の海に沈み、ピクリとも動かない。
雪乃の腹部にはぽっかりと風穴が開き、結衣も大量の血を流して完全に意識を失っている。
HPゲージが、赤色からドス黒い色へと変わり、限りなく「ゼロ」に近づいていく。
「嘘だろ……おい、起きろよ……結衣、回復魔法だ……雪乃さん、おいッ!!」
俺は震える手で二人を抱き起こし、空中にステータスウインドウを叩き出した。
ポイントだ。俺には、まだ保留ポイントがある。これを譲渡すれば、二人の傷を塞げるはずだ。
だが。
【※警告:他者へのポイント譲渡は、外部干渉により現在ロックされています】
「ふざけんなァァァァッ!! くそ!なんだよ!制限を外せ!! 動け、動けよ俺のポイントッ!!」
狂ったように画面を叩くが、システムは無慈悲に拒絶する。
「無駄だよ。貴様のその妙な術は封じさせてもらう」
九尾が前回の戦闘で学習し、湊を確実に屠るために対策をしてきたのだ。
その間も二人の体温が、俺の腕の中で急速に冷たくなっていくのが分かった。
守ると決めた。俺にはこの二人しかいないのだと。
それなのに、俺はまた、ただ見ているだけなのか。自分の甘さが、油断が、彼女たちを死の淵に追いやった。
『ククッ……美しい絶望だ。次は貴様の首を跳ねてやろう、人間』
九尾が、悠然と宙を歩きながら俺の頭上へと迫る。
プツン。
俺の中で、何かが「弾け飛ぶ」音がした。
悲しみではない。恐怖でもない。
ただ、ドロドロとした真っ黒な「怒り」と「殺意」が、俺の脳髄を完全に覆い尽くした。
「……あはは」
乾いた笑いが、俺の口からこぼれ落ちる。
「あははははははッ!! はーッはっはっはっはっはっは!!!」
「天谷……!?」
遠くで後退の指揮を執っていた獅子神が、異常な笑い声を上げる俺を見て息を呑む。
俺は壊れたように笑いながら、雪乃のへし折れた『双剣の柄』と、自分の右腕の『崩星の籠手』を強く握りしめた。
その瞬間だった。
血に染まった俺の視界の端で、ステータスウインドウの隅にみたことのないタブが突如として赤く発光していた。
【条件クリア:極限の殺意と絶望を検知】
【武装強化機能を解放します】
「……なんだ、これ」
展開されたのは、俺が手に持っている『武具』そのもののステータス画面だった。
【崩星の籠手】
【攻撃力】1,000
【防御力】1,000
【耐久値】1,000
武具にも、ステータスの数値が設定されていた。
さらに下に目を向けるとそこには、説明のようなものが書いてある
【持ち主のポイントを譲渡することで武器の強化が可能です。肉体のステータス強化とは異なり使用者との相性値に応じてステータス×相性値分の力を発揮します※ただし強化した武具は使用後に破壊されます】という文字が輝いている。
相性値という項目に目をやるとそこには「10」と記載がある。
もうなりふり構ってる場合じゃない。俺のポイントすべてで「書き換え」てやる!!
俺は、保留ポイントの744,000を、一滴残らず『崩星の籠手』と『折れた双剣』の【攻撃力】と【耐久値】の項目へと、狂ったようにスワイプして流し込んだ。
【崩星の籠手:攻撃力】1,000 → 249,000
【崩星の籠手:防御力】1,000 → 249,000
【崩星の籠手:耐久値】1,000 → 249,000
【相性値】10
【保留ポイント:0】
ブゥゥゥゥンッ!!!
俺の両手に握られた武器が、異常な魔力を帯びて赤黒く発光し、空間を物理的に歪ませ始めた。
武器の限界突破。武具が本来持ち得ない過剰な数値の書き換えによる「武具のバグ化」
俺は、意識を失った二人をその場にそっと横たえると、血の涙を流しながら、口角を限界まで吊り上げて立ち上がった。
『……狂ったか、人間』
九尾が冷ややかな視線を下ろす。
「ああ、狂ったよ。……だから、てめぇも道連れだ。ゴミ屑が」
俺は背を向けたまま、後ろで立ち尽くす獅子神に向けて怒鳴った。
「天谷、てめぇ……一人で戦う気か! 死ぬぞッ!」
「あはははははははははッ!!」
俺の狂気に満ちた表情に、獅子神は一瞬だけ唇を噛み締めると、雪乃と結衣の身体を両脇に抱え上げた。
「……くそが!死ぬんじゃねーぞ!!」
獅子神が、弾丸のように広間へと向けて走り出す。
アメリカや中国の部隊も、俺が盾になっている間に撤退を完了させていた。
この絶望の空間に、俺と九尾だけが取り残される。
『愚かな。数秒の稼ぎにもならぬというのに』
九尾が指を鳴らし、俺の四方八方から、先ほどの「空間を切断する不可視の斬撃」を無数に放ってきた。
「……アハハハハハハハッ!!」
俺は笑いながら、『崩星の籠手』で、その不可視の斬撃を「殴り飛ばした」。
ガキィィィィィィィィィンッ!!!
空間の斬撃が、俺の籠手と衝突して物理的に砕け散る。
あり得ない光景に、九尾の余裕の笑みが初めて凍りついた。
『なっ……我が次元断を、拳で弾いただと!?』
「遅えよ、バケモノ!!」
俺はさらに炎の爆発的な推進力を乗せて跳躍し、九尾の懐へと潜り込んだ。
拳に炎を宿した崩星の籠手で殴りつける
「死ねェェェッ!!」
ズバァァァッ!! ドゴォォォォォォンッ!!
狂ったように刃を振り回し、拳を叩き込む。
九尾は慌てて九本の尾を盾にするが、限界突破した武具の破壊力と俺の魔法打撃の前に、その尾が一本、また一本と無惨に千切れていく。
『貴様ァァァッ! 人間風情ガァァァッ!!』
九尾が激怒し、至近距離から極大の雷撃を俺の全身に浴びせる。
肉が焼け焦げ、骨が軋む。HPが恐ろしい速度で減っていく。
だが、俺は痛みを完全に無視し、笑い声を上げながら攻撃をやめなかった。
血と炎と狂気にまみれた、泥沼のような超至近距離での削り合い。
「アハハハハハ! どうした! もっと撃ってこいよ!! 全部、てめぇの顔面に叩き返してやるからよォ!!」
『狂人メ……ッ!! クソッ、離レロォォッ!!』
九尾はついに恐怖を感じたのか、自ら被弾覚悟で強大な爆発を引き起こし、俺との距離を強引に引き剥がした。
「ガハッ……!」
俺は吹き飛ばされ、石柱に激突して地面に転がった。
視界は真っ赤に染まり、全身の感覚はとうに消え失せている。HPは、間違いなく一桁台で点滅しているはずだ。
土煙の向こうで、九尾が片腕を失い、尾を半分以上引きちぎられた無残な姿で立ち上がった。
『……許サン。次会ッタ時ハ、必ず貴様ノ魂ヲ喰イ尽クシテヤル……ッ!』
九尾は俺にトドメを刺すことを諦め、激しい憎悪の視線を残したまま、第3階層の階段の奥へと逃げるように姿を消した。
「……は、はは……。逃げや、がった……」
敵が消えたことを確認した瞬間、俺の右腕から炎が消え、限界突破していた籠手と双剣が、役目を終えたように粉々に砕け散った。
糸が切れた操り人形のように、俺の身体が冷たい石畳へと崩れ落ちる。
(……これで、いい。雪乃さんも、結衣も、逃がせた……)
遠のく意識の中で、俺はゆっくりと目を閉じた。
最愛の仲間を守れた安堵感と共に、深い、果てのない暗闇へと落ちていく。
だが、意識が完全に沈み切るその直前。
「……バカ野郎が。勝手に死のうとしてんじゃねえ」
乱暴に、だがどこか不器用な優しさで、俺の首根っこをガシリと掴み上げる、分厚い手のひらの感触があった。
薄れゆく視界の中で、全身傷だらけになりながらも俺を抱え上げ、広間へと向けて全力で走り出す、あの男の不敵な横顔が見えた。
「勘違いすんじゃねえ。てめぇに借りを作ったまま生きていくのが、気に食わねえだけだ」
その悪態を聞きながら、俺は微かな笑みを浮かべ、今度こそ完全に意識を手放したのだった。




