黒鎌の死神と不揃いな刃(後編)
メキ、メキィィィィッ……!!
右拳から伝わる、分厚い鋼板がへし折れるような悍ましい感触。
守護者の胸部装甲に走っていた微小な亀裂を俺の推進力によって蜘蛛の巣のように全方位へ拡大していく。
だが、それだけではない。
真の破壊は、装甲を「突破した」その直後に訪れた。
拳に極限まで圧縮されていた魔力100万の『炎』を、装甲の内部という逃げ場のない密閉空間で、一気に解放されたのだ。
「消し飛べェェェッ!!」
――ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!
閃光。次いで、世界から一切の音が消え去るような、極大の爆発。
赤黒い煉獄の炎が、守護者の黒い装甲の内側を駆け巡り、関節の隙間、兜のバイザー、ありとあらゆる開口部から火柱となって噴き出した。
『オ、ォォォォォ……ッ!?』
絶対的な防御を誇っていた深淵の守護者が、内部から臓腑を焼き尽くされる苦痛に、初めて電子音の混じった絶叫を上げる。
巨体が大きくのけぞり、大鎌を押さえつけていた獅子神への圧力がフッと抜けた。
「……ハッ! 効いてるじゃねえか!!」
両手からボタボタと血を流しながら、獅子神が獣のような笑みを浮かべる。
彼は大鎌を手放すどころか、逆にその柄を強引に引き寄せ、無防備にのけぞった守護者の軸足を、丸太のような蹴りで薙ぎ払った。
ドズンッ! と、地鳴りを上げて巨体が膝を突く。
だが、特異知性体の生命力は底なしだった。
『我ラハ、深淵ノ礎……! 貴様ラ如キニ、崩サセハシナイッ!!』
炎を噴き出しながらも、守護者の胸部奥深く――装甲の隙間から覗くコアが、不気味な紫色の光を放ち始めた。
自爆、あるいはそれに類する全方位へのマナの暴走。周囲の空間がビリビリと震え、鼓膜を圧迫するような高周波が響き渡る。
「天谷さん、獅子神さん! 離れてください、自爆します!!」
後方で回復魔法を維持し続けていた結衣が、悲鳴のような警告を発した。
だが、俺も、獅子神も、一歩も後ろへ下がらなかった。
「……下がるかよ。ここで逃がせば、また再生しやがる」
「チッ。あんたの意見に賛同するのは反吐が出るが、同意見だ」
ここで引けば、後ろにいる結衣が巻き込まれる。
「オラァァァッ!!」
獅子神が、自らの血で滑る大鎌の柄を蹴り飛ばし、守護者の両腕を大きく弾き上げる。
完全に開いた胸部。紫色の光が限界まで膨張し、爆発の臨界点に達しようとしたその瞬間。
俺は、残された全ての魔力を右腕に集束させ、再び『超速』の踏み込みで死地に飛び込んだ。
「これで、終わりだッ!!」
守護者の燃え盛る胸部装甲の隙間へ、俺は右腕を根元まで突き入れた。
そして、暴走寸前のコアを直接鷲掴みにし、至近距離から火属性の魔力を叩き込む。
『バ、カな……!』
「悪いが、俺の炎の方が熱い!!」
ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
コアが臨界を迎えるよりも早く、俺の炎が紫色のマナを内側から完全に焼き尽くし、蒸発させた。
衝撃波で俺自身も後ろへ吹き飛ばされ、床を何度もバウンドして転がる。
『……深淵、ニ……栄光、アレ……』
ノイズ交じりの断末魔と共に、深淵の守護者の巨体がボロボロと崩れ落ち、やがて大量の黒い灰となって渋谷の地下へと溶けていった。
討伐完了のシステムアナウンスが鳴らない。
「……ハァ、ハァ……っ」
俺は全身の筋肉が悲鳴を上げるのを感じながら、ゆっくりと立ち上がった。
同時に、結衣の『完全均衡の祝福』の効果が切れ、引き上げられていたステータスが元の数値へと急速に収縮していく。
血管に泥が詰まったような激しい倦怠感に襲われ、俺は思わず片膝を突いた。
「天谷さん!」
結衣が駆け寄り、すぐに杖を掲げて治癒の光を放つ。
ズズン、と重い足音を立てて、獅子神が歩み寄ってきた。
彼の手のひらは、大鎌の刃を直接掴んだせいで骨が見えるほど深く裂け、大量の血が滴り落ちていた。それでも、彼の表情には痛みの欠片すら浮かんでいない。
「……おい、女。こっちも治せるか」
「は、はいっ! すぐに!」
結衣が慌てて獅子神の前に立ち、全力の【ヒール・オーラ】を手のひらに集中させる。淡い光が傷口を包み込み、裂けた肉芽が徐々に結合していく。
獅子神は無言でその治療を受けながら、鋭い視線を奥へと向けた。
守護者が命を賭して守り抜こうとしたもの。
数千体のモンスターの肉を継ぎ接ぎして作られた、鼓動を打つ巨大な「繭」。
「……厄介な番犬は片付いた。あとは、あの気色の悪い肉塊を潰すだけだ」
獅子神が、治療の終わった拳をゴキボキと鳴らす。
「待ってください。あれ、様子が……」
結衣の言葉に、俺はハッとして繭を見上げた。
守護者が消滅したことで、繭の表面に走っていた黄金の回路が、異常な速度で明滅を始めていた。
ゴポッ、ゴポポポポポッ!! と、中の液体が沸騰するような激しい音が響き、繭の底から伸びている無数の肉の管が、ドクンッドクンッと不気味に脈打つ。
「……自壊プログラムか? いや、違う」
俺は目を凝らした。
肉の管を通じて、繭の中の「マナ」が、別の場所へ高速で転送されているのだ。
「あいつら、渋谷のハブを放棄して、蓄積したマナを他のダンジョンへ逃がそうとしてるんだ!」
「逃がすかよッ!!」
獅子神が床を蹴り、弾丸のような速度で繭へと突進した。
俺も痛む足に鞭を打ち、残った僅かな力を振り絞って後を追う。
「オラァッ!!」
「ハァッ!!」
獅子神の剛拳と、俺の炎を纏った拳が、同時に巨大な繭の側面に突き刺さった。
ブシャァァァァァァッ!!
腐臭を放つ緑色の体液が滝のように噴き出し、繭が真っ二つに裂ける。
中からどろりとした羊水と共にこぼれ落ちてきたのは、半分だけ形成された、巨大な竜のようなモンスターの未熟な胎児だった。
それは空気に触れた瞬間、ピクピクと痙攣し、やがて光の粒子となって消滅した。
同時に、繭の底から伸びていた肉の管もボロボロと崩れ去り、渋谷地下を満たしていた異常なまでの瘴気が、嘘のように薄れていく。
「……終わった、か」
俺は荒い息を吐き出し、その場に大の字に倒れ
込んだ。
「チッ……逃げ足の速いウジ虫共だ。だが、これでこのダンジョンの『繋がり』は切れたはずだぜ」
獅子神が、顔に付いた返り血を乱暴に拭いながら吐き捨てる。
不協和音。犬猿の仲。
だが、互いの力に一切の妥協と手加減がなかったからこそ、この最悪の特異知性体を打ち破ることができた。
俺が息を整えていると、不意に、視界の上から大きな影が落ちた。
見上げると、獅子神が俺を見下ろしている。
「……足は引っ張らなかっただろ?」
俺が皮肉げに笑うと、獅子神は鼻でフンと笑い飛ばした。
「バフが切れた途端にへばって地べた這いずり回ってるヤツが、でかい口叩いてんじゃねえ。……だが、まぁ」
獅子神は背を向け、瓦礫の山を歩き出しながら、ポツリと言った。
「その『火遊び』は、前よりは少しだけマシになったんじゃねえか」
決してこちらを振り向かないその背中に、俺は思わず苦笑をこぼした。
あれが、あの男なりの最大の賛辞なのだろう。
「天谷さん! お疲れ様です!」
結衣が駆け寄り、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「サンキュ、結衣」
「えへへ……。私も、少しはお役に立てたみたいで良かったです」
俺はゆっくりと上体を起こし、崩れ去った巨大な繭の残骸を見つめた。
渋谷のハブは破壊した。だが、繭が最期にマナを転送した先――その『行き先』がどこなのかは分からない。
京都の雪乃。九州の東。東北の御琴。
各地の七星たちは、今この瞬間も、それぞれの死地で未知の脅威と戦っているはずだ。
俺は自身のステータスウインドウを開き、静かに戦果を確認した。
【ステータス】
【名前】天谷 湊
【HP】55,360 / 100,000
【MP】1,282 / 196,160
【筋力】180,000
【俊敏】197,800
【体力】50,000
【知力】53,040
【魔力】200,000 (魔法:火属性Lv.2)
【保留ポイント】44,000
MPはほぼ底を突いた。
見上げる東京の地下の天井は、まだ暗く、重い。




