黒鎌の死神と不揃いな刃(前編)
結衣の【完全均衡の祝福】により全ステータスが5倍に跳ね上がった瞬間、視界は『超速』の世界へと切り替わった。
筋力90万、俊敏98万9千。
それに加えて、魔力は【100万】というとてつもない次元に達している。
右腕の『崩星の籠手』に圧縮された火属性Lv.2の魔力は、かつてないほどの赤黒い輝きを放ち、発動者である俺の皮膚すらチリチリと焦がしていた。
(この速さと火力なら、いけるッ!)
俺は、一気に距離を詰めた。
俊敏98万9千の爆発的な踏み込みは、物理法則すらも置き去りにする。
特異知性体・深淵の守護者の巨大な黒鎌が振り下ろされるより早く、俺はその懐の完全な死角へと潜り込んだ。
「――オラァァァッ!!」
魔力100万を極限まで圧縮した『炎』と、筋力90万の『打撃』。
西東京のダンジョンで血反吐を吐きながら完成させた、俺の現在の最大火力。
その一撃が、守護者の黒い装甲に覆われた腹部へと、完璧なタイミングで突き刺さった。
――ドゴォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
空間そのものがひび割れるような爆音。
紅蓮の爆炎がホーム跡地をなめ尽くし、周囲の肉壁を炭化させる。
強烈な爆風が結衣を吹き飛ばしかけ、俺は咄嗟に身を翻して彼女を庇った。
「やった……ッ!?」
結衣が歓喜の声を上げる。
俺も、右拳の骨が軋むほどの確かな手応えに、勝利を確信しかけた。
これほどの火力をゼロ距離で内部に叩き込まれて、立っていられるモンスターなど存在するはずが――。
『――浅イナ』
「なっ……!?」
背筋が凍った。
もうもうと立ち込める灼熱の爆煙を音もなく切り裂き、死神の黒い大鎌が、俺の首元へと迫っていた。
反射的に上体を反らし、間一髪で斬撃を回避する。
数本切り飛ばされた前髪が、空中でパラパラと散った。
煙が晴れた先。
そこに立つ守護者の腹部装甲には、確かにひびが入り、ドロドロに焼け焦げた痕が残っていた。
だが、致命傷には程遠い。あれだけのエネルギーを叩き込んだというのに、奴は一歩も後ろへ下がってすらいなかったのだ。
『数理ヲ弄リ、一時的ニ器ヲ広ゲタカ。ダガ、所詮ハ泥縄。我ガ漆黒ノ重鎧ヲ穿ツニハ、密度ガ足リヌ』
「冗談だろ……ッ!」
俺は戦慄した。
魔力100万の炎を圧縮しても、あの異常な装甲を「貫通」できないというのか。
驚愕に俺の足が止まった、その致命的な0.1秒の隙を、守護者は見逃さなかった。
巨体に似合わぬ滑らかな挙動で大鎌を返し、そのまま横薙ぎの黒い閃光となって俺の胴体を両断しにくる。
(躱せない……ッ!)
「退けェ、モヤシ野郎ォォォッ!!」
横合いから凄まじい怒声が響き、赤い流星のような影が、俺と大鎌の間に強引に割り込んだ。
ガキィィィィィィィィィィィンッ!!!
鼓膜が破れそうな金属音と火花。強烈な衝撃波が俺の身体を吹き飛ばす。
床を転がりながら顔を上げると、そこには、両腕の籠手を交差させて大鎌の直撃を完璧に受け止めている、獅子神咆牙の巨大な背中があった。
「獅子神、さん……!」
「テメェ! 俺の獲物に横入りしてんじゃねえぞ!!」
獅子神は血走った猛獣の眼で守護者を睨みつけながら、そのまま筋力任せに大鎌を弾き返した。
「バフがねえと戦えねえようなヒヨッコが、でかい顔して前に出てんじゃねえ! すっこんでろ!」
ダンッ! と、獅子神の足元のコンクリートがクレーターのように陥没する。
バフなど一切受けていない純粋で暴力的な素のステータスだけで、その絶大な破壊力は生み出されていた。
「オラァァァッ!!」
獅子神の右ストレートが、空気を圧縮しながら守護者の顔面装甲を捉える。
ガンッ! と鈍い音が響き、絶対の防御を誇っていた守護者の巨体が、初めて「半歩」だけ後ろへ揺らいだ。
だが、守護者も即座に体勢を立て直し、大鎌の柄で獅子神の脇腹を強かに打ち据える。
「ガハッ……!」
「獅子神さん!」
「構うなッ! 俺に指図すんじゃねえ!!」
獅子神は口から血を吐きながらも一歩も後退せず、逆にその痛みを怒りの燃料に変えるかのように、凄まじい連撃を守護者へと叩き込み始めた。
ズガァッ! バキィッ! ドゴンッ!
獅子神の拳と、守護者の大鎌が、目にも留まらぬ速度で交錯する。
俺はその光景を見て、奥歯を噛み締めた。
獅子神の攻撃は、確かに重い。バフを受けていないはずなのに、彼の一撃一撃には、俺の筋力に匹敵するか、あるいはそれ以上の「何か」が乗っている。
だが、守護者の極厚の装甲を削り切るには至っていないのだ。
(俺の魔法打撃なら、装甲の内部にダメージを通せる。だが、俺の一撃の『重さ』では、装甲そのものを貫通できない……!)
俺の攻撃は「鋭い」が「軽い」。
獅子神の攻撃は「重い」が「浅い」。
「……結衣」
俺は、背後で震えている結衣に声をかけた。
「天谷さん、ダメです! 獅子神さんにはバフはかけられません。それに、天谷さんのステータスも、これ以上数値を書き換えたら、保留ポイントが……!」
「分かってる。だから、このままでいい」
俺は、右腕に再び赤黒い炎を灯した。
「結衣、お前は獅子神さんのHPゲージの管理にだけ集中してくれ。あいつ、絶対に攻撃を避けないから、どんどん削られてる。……俺が、隙を作る」
「……はいっ!」
俺は地を蹴った。
獅子神と守護者が激しく打ち合っているその死角へ回り込む。
『邪魔ダ』
守護者が俺の気配に気づき、大鎌を翻して牽制の斬撃を放つ。
「邪魔なのはそっちだろ!」
俺はその斬撃をミリ単位で躱し、大鎌の「柄」の部分に、炎を纏った右拳を叩き込んだ。
装甲を貫けないなら、武器を弾く。
ドォンッ! という小規模な爆発が起き、守護者の腕の軌道が僅かにズレた。
「チッ! 余計なことしやがってモヤシ!」
獅子神が文句を怒鳴り散らしながらも、その一瞬の隙を絶対に見逃さず、守護者の無防備な胸板に強烈な膝蹴りを突き刺す。
「あんたの攻撃じゃ、あいつの鎧は割れない! 意地張ってないで合わせろ!」
「うるせェ! 俺の拳で砕けねえモンはねえんだよ!!」
俺たちは互いに悪態をつきながら、一切の連携などない、ただの「同時攻撃」を仕掛け続けた。
獅子神が正面から剛拳で装甲全体を力任せに殴りつけ、俺が死角から炎の打撃で関節や装甲の隙間を狙い撃つ。
不協和音。
息など全く合っていない。
俺が獅子神の射線に入って怒鳴られ、獅子神の理不尽な攻撃の余波で俺が吹き飛ばされそうになる。
だが。
『……鬱陶シイ、羽虫共ガ』
絶対的だった守護者の動きが、明らかに鈍り始めていた。
獅子神の規格外の「重い打撃」が、守護者の装甲全体に強烈な金属疲労を蓄積させている。そこに、俺の魔法を織り交ぜた打撃がピンポイントで極大の熱を流し込み、急激な温度変化が装甲の劣化を急速に早めているのだ。
「……見えたぞ」
俺の『超速』の視界が、守護者の胸元――先ほど俺の最大火力と、獅子神の膝蹴りが集中した箇所に、微小な「亀裂」が走っているのを捉えた。
装甲の最も厚い部分。だが、あそこなら、極限まで劣化した今の状態なら貫けるかもしれない。
だが、そのためには、守護者の動きを完全に止める必要がある。
「獅子神さん! あいつの大鎌を抑えてくれ! 三秒……いや、二秒でいい!!」
「あァ!? 誰に命令してやがる!!」
獅子神は吠えながらも、その血走った眼で守護者の挙動を完全に捉えていた。
『消シ飛ベ』
守護者が、これまでで最大のマナを大鎌に込め、薙ぎ払いの構えをとる。
その軌道は、俺と獅子神、二人を同時に両断する漆黒の円月。
「――ナメんじゃねえェェェッ!!」
獅子神が、あろうことか防御の姿勢を解き、その大鎌の軌道へ向けて自ら跳躍した。
そして、胴体を両断される寸前の大鎌の「刃」を、両手で直接掴み止めたのだ。
ギギギギギギギギッ!!!
悲鳴のような摩擦音と、大量の火花。
獅子神の分厚い手のひらから鮮血が噴き出し、彼のHPゲージが恐ろしい速度で削り取られていく。
だが、獅子神は血まみれの歯を食いしばり、その場から一歩も退かずに致死の刃を固定し続けた。
「今だ結衣ッ!!」
「はいッ! ――【ヒール・オーラ】!!」
結衣の全開の回復魔法が獅子神を黄金の光で包み込み、HPの致命的な減少をギリギリのラインで引き留める。
俺はその数秒の間に、限界のその先まで炎を圧縮した右拳を振りかぶり、守護者の胸元に刻まれた「亀裂」へと向けて、トップスピードで突撃した。
(俺の全部を、この一撃に……ッ!!)
「ぶっ壊れろォォォォッ!!」
俺の拳が、守護者の装甲の亀裂に、完璧な角度で突き刺さった。




