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焦燥の果て




「……ハァッ!」


薄暗い洞窟の中に、鋭い呼気と肉を焦がす音が響き渡る。


俺は踏み込みと同時に、右拳に『火属性Lv.2』の魔法を強引に圧縮し、目の前に立ち塞がるオーク・ウォーリアーの分厚い胸板へと叩き込んだ。


――ドゴォォォンッ!!

くぐもった爆発音が鳴り響き、モンスターの巨体が内側から弾け飛ぶ。


光の粒子となって消えていくモンスターの残骸を見届けることもなく、俺はすぐさま次の獲物へと視線を向けた。


長野の『深緑の迷宮』での死闘から数日。


俺は地元である西東京市に位置する、普段は低ランクの探索者が利用する中規模ダンジョンに一人で潜り続けていた。


目的はただ一つ。新たに発現した『魔法』を、実戦レベルで己の戦い方に組み込むことだ。


(……ダメだ。まだロスが多い。拳に乗せるタイミングがコンマ一秒遅い)


ステータスの【魔力】にポイントを振れば、確かに破壊力は上がる。だが、それだけでは黄金の幻馬アウルム・ナイトメアのような、格上のバケモノたちには通用しないと痛感していた。


物理の衝撃が伝わる瞬間に、内部で魔法を爆発させる。


その極めて繊細なマナの操作を身体に覚え込ませるため、俺は昼夜を問わず、不眠不休でダンジョン内のモンスターを狩り続けていた。


「次……っ!」


ウインドウの端で、MPゲージと体力の数値が危険信号を示す赤色で点滅している。


だが、焦燥感が俺の足を止めさせなかった。


これから先、雪乃や結衣を巻き込む戦いはさらに過酷になる。先日の戦いでステータスの数字バフが封じられた時の己の無力感を嫌というほど痛感させられた。何があっても二人を守り抜ける「絶対的な切り札」を完成させなければならない。


「オラァッ!!」

最後の一体であるゴブリンを炎の拳で粉砕した瞬間。


「……あ」


唐突に、視界がグラリと傾いた。

足から力が抜け、天地が逆転する。


『警告:極度の疲労と魔力枯渇により、生命活動に支障をきたしています』


無機質なシステムアナウンスが遠くで聞こえた直後、冷たい岩肌に顔を打ちつけ、俺の意識は深い泥の底へと沈んでいった。


   * * *


「……ここは」

出汁と醤油の入り混じった、酷く暴力的に食欲をそそる匂いで目を覚ました。


見慣れた見すぼらしい天井。俺の自宅アパートのベッドの上だった。


「……目が覚めたかしら、この大馬鹿者」


横から、地を這うような絶対零度の声が降ってきた。


ギクリとして首を回すと、腕を組んでベッドを見下ろす雪乃の姿があった。


関西への遠征を終えたばかりなのか、まだ戦闘衣を着たままの彼女の美貌は、夜叉のように険しい。


「雪乃、さん……?どうして、西東京に……?」


「長野から帰還報告があったのに、いつまで経っても連絡がつかないからよ。結衣さんと一緒にあなたのライセンスのGPSを辿ったら……地元のダンジョンの安全地帯でもない通路で、魔力切れを起こしてぶっ倒れてる大馬鹿を見つけたってわけ」


雪乃の氷のような瞳が、俺を真っ直ぐに射抜く。


「私が長野に向かう前、なんて言ったか覚えてる? 『絶対に死ぬな』って言ったわよね」


「……はい」


「イレギュラーな相手に無事帰ってきたのは百歩譲って褒めてあげる。でもね、その後で地元の安全なダンジョンで不眠不休で特訓して過労死しかけるなんて、七星の肩書きが泣くわよ! 自分の身体をなんだと思ってるの!!」


「す、すいません……」


雪乃の容赦ない、けれど芯に深い安堵と心配を滲ませた説教に、俺はただ縮こまって謝ることしかできなかった。


「……本当に、バカなんだから」


ひとしきり怒鳴り散らした後、雪乃は小さくため息をつき、ベッドの端に腰を下ろして俺の額にそっと手を当てた。


彼女の手は冷たくて、ひどく心地よかった。


「あ、天谷さん! 目が覚めたんですね!!」

そこへ、エプロン姿の結衣がキッチンから慌ただしく駆け込んできた。


お盆の上には、湯気を立てる土鍋と、山盛りの食事が乗っている。


「もう、柊さんから連絡をもらった時は心臓が止まるかと思いましたよ! はい、これ食べてください!」

「これは……」


「疲労回復と魔力生成には、豚肉とカプサイシンが一番です! というわけで、特製キムチ鍋を作りました!」


結衣はドンッと土鍋を机に置くと、さらに隣に大きな丼と皿を並べた。


「激しい特訓で枯渇したグリコーゲンを補うために、ご飯はきっちり200グラム量ってあります! それと、消化吸収に優れた良質な炭水化物として、450グラムの焼き芋も用意しました! これ全部食べて、しっかり身体を休めてくださいね!」


「……お、おう。ありがとう」


異常なまでにグラム数にこだわった完璧な栄養管理メニューに圧倒されつつも、俺はベッドから身を起こした。


一口食べたキムチ鍋の熱と辛さが、空っぽだった胃袋に染み渡り、強張っていた全身の細胞が歓喜の声を上げるのを感じる。美味い。


「……ゆっくり食べなさい。喉に詰まらせるわ」

雪乃が呆れたように言いながら、お茶を差し出してくれた。


食事を進めながら、俺たちは互いの現状を共有し合った。


「そうか。京都のダンジョンも、統率の取れた軍隊みたいだったんだな」


「ええ。オーガが前衛を張り、ゴブリンが魔法で援護するなんて、本来のモンスターの生態じゃあり得ない。長野の『特異知性体』と同じで、裏で明確な意思を持った何者かが指揮を執っているのは間違いないわ」


雪乃の言葉に、俺は焼き芋を頬張りながら深く頷いた。


長野で逃がした、あの黄金の幻馬の捨て台詞。

『この屈辱、必ずや』。


あれは間違いなく、組織に属する者の言葉だった。


「イギリスのダンジョン陥落を皮切りに、世界中で異常が起きている。神代さんが言っていた通り、モンスターたちが『戦争』を仕掛けてきているんだ」


俺は空になった茶碗を置き、二人の顔を真っ直ぐに見つめた。


結衣の圧倒的なバフと、雪乃の超絶な速度。そして、俺が未完成ながらも掴みかけた、魔法と打撃の融合。


「この先、今の俺じゃ通用しない敵が現れるんじゃないかって不安だったんだ。だから俺は、焦ってたんだと思う」


「湊……」


「でも、悪かった。俺にはお前たちがいるのにな。一人で抱え込んで、自滅しかけるなんて馬鹿だったよ」


俺が頭を下げると、雪乃はふっと表情を和らげ、結衣は嬉しそうにえへへと笑った。


「分かればよろしい。次からは、特訓でもなんでも私たちを巻き込みなさい。あなたの無茶な戦い方に付き合えるのは、世界中探しても私たちくらいなんだから」


「そうですよ! 天谷さんの魔力管理は、付与術師エンチャンターである私の仕事なんですからね!」


狭いアパートの一室。


外の世界では未曾有の危機が静かに進行しているというのに、この場所だけは不思議なほど温かく、穏やかな空気が流れていた。


(……この日常ばしょだけは、絶対に守り抜く)


俺は決意を新たに、結衣の淹れてくれた食後の茶を飲み干した。


休足の時間は、そう長くは続かない。


日本、そして世界を覆う巨大な暗雲が、すぐそこまで迫っていた。


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