拒絶の黄金
――ドゴォォォォォォォッ!!
空間が悲鳴を上げるような轟音。
直前まで俺の全身を包んでいた、結衣の『完全均衡の祝福』による黄金色のオーラが、ガラスが砕けるような音と共に霧散した。
「な……っ!?」
右腕から脳髄へ伝わってくるのは、敵を粉砕した確かな手応えではない。
底なしの泥沼に全力で腕を突き込んだような、ぞっとするほどの「虚無感」。
バフによるステータス5倍の重圧が消失し、俺の肉体は突如としてとてつもない重力に縛られたかのように重く、鈍く沈んだ。
『ククッ……。スキルに愛された者が、スキルに拒絶される気分はどうだ?』
黄金の幻馬が、優雅に前足を鳴らす。
その瞬間、俺の視界の端で鮮やかに輝いていたステータスウインドウが、死人の肌のような暗いグレーへと変色し、鎖のような不気味なノイズが画面全体を覆い尽くした。
【状態異常:???】
「動け……っ、動けよッ!!」
血に濡れた指で、狂ったように画面をスワイプする。
だが、保留ポイントを割り振ることも、体力を削って俊敏に回すこともできない。ステータスは完全に「固定」され、結衣が必死に振りかざす杖から放たれる魔力も、俺の身体に触れる直前で弾き飛ばされていく。
『脆弱な。バフの鎧を剥がれれば、その程度か』
幻馬がその場でブレた、と思った瞬間、俺の視覚は奴の動きを見失った。
ドゴォォォンッ!!
「が、はッ……!」
防ぐ間もなく、黄金の蹄が俺の胸板を打ち抜いた。
肺の中の空気が一滴残らず叩き出され、俺の身体は第30階層の太い石柱を三本なぎ倒しながら、瓦礫の山へと深く突き刺さった。
「天谷さんッ!!」
「来る、な……っ!」
瓦礫を押しのけ、血反吐を吐きながら立ち上がる。
視界がチカチカと明滅し、肋骨がひしゃげる嫌な音が内側から響いた。
だが、休む暇などない。幻馬は流体の身体をうねらせ、全方位から黄金の槍を雨霰のように射出してきた。
「クソッ!!」
俺は地面を転がり、無様に攻撃を回避する。
だが、一歩踏み出すたびに左太ももを槍が掠め、右肩を鋭い飛礫が貫く。
痛い。熱い。
一つ一つの傷が致命的なカウントダウンとして刻まれていく。
(物理が通じない……バフも、書き換えも封じられた……。俺はまた、ただの荷物持ちの役立たずに逆戻りするのか!?)
「天谷さん、逃げて! 私が……私が盾になります!!」
結衣が叫び、俺の前に立ち塞がった。
湊から譲渡された魔力を振り絞り、展開された『光盾』。
だが、特異知性体である幻馬にとって、結衣の存在は羽虫にも等しかった。
『……邪魔だ、羽虫が』
無造作に振るわれた黄金の尾が、結衣の盾を紙細工のように粉砕した。
「きゃあぁぁぁっ!?」
結衣の小さな身体が弾き飛ばされ、冷たい壁に叩きつけられて動かなくなる。
「結衣ッ……!!」
俺は這いつくばったまま、土混じりの血を吐き出した。
ステータスウインドウのHPは、すでに半分以上削られている
動かない画面。通じない拳。倒れ伏す仲間。
(ふざけるな……ッ!)
俺の奥歯が、ギリリと嫌な音を立てて砕けた。
死への恐怖よりも、己の無力さに対する激しい怒りが、凍りついた思考を焼き切った。
(なにか…なにかないか考えろ!ステータスの数字じゃねえ、この圧倒的不利な状況を覆すなにかを!!)
俺は、震える右腕を強く握りしめた。
一瞬、以前に魔力の塊を放出してモンスターを倒したことが湊の脳内をよぎった。
その瞬間、僅かに自らの内側に眠る「魔力」の胎動が起こる
『ドクンッ』
(なんだ…今の感覚……?なんでもいい、俺に戦う力を!!!)
肉体を流れるエネルギーを強引に右拳へと集中させる。
カッ――!!
目を開いた瞬間、俺の右腕から、『赤い炎』が噴き出した。
(なんだこれ、、魔法……?)
『……何?』
幻馬が初めて足を止め、黄金の瞳を細めた。
「.......……なんだかよくわからないが!!」
俺は炎を纏った右腕を振りかぶり、石畳を蹴り砕いて突進した。
「オラァァァァァァァッ!!」
放たれた炎の拳が、幻馬の顔面を捉える。
物理の衝撃はすり抜けたが、そこに纏わせた『炎』は、黄金の流体を確実に焼き、ジュゥゥゥッ! と肉を焦がすような音と共に蒸発させた。
『ギシャァァァァッ!!』
幻馬が悲鳴を上げ、後退する。
効いている。だが、幻馬はすぐに周囲の瘴気を吸い込み、溶けた身体を瞬時に再生させてしまった。
『付け焼き刃の魔法など……その程度の火力では、我が核を蒸発させるには至らぬ!』
幻馬が激怒と共に、全身を鋭い黄金の棘へと変異させ、ハリネズミのような全方位攻撃を仕掛けてくる。
俺は炎でそれを弾くが、あまりにも火力が足りない。
魔法を放つだけでは再生を上回れず、打撃だけでは流体を貫けない。
(……なら、混ぜるだけだ。理屈じゃねえ、根性で混ぜろッ!!)
俺は、自らの右腕で燃え盛る炎を強引に『崩星の籠手』の中へと「圧縮」し始めた。
炎を外に放つのではない。拳の内部に、その熱量と爆発力を無理やり封じ込めるのだ。
右腕の筋肉がミシミシと悲鳴を上げ、皮膚が内側から炭化していく激痛。
視界が白く飛び、意識が遠のきそうになる。
(打撃と炎を……一つの拳にぶち込むッ!!)
『狂人めが……何をする気だ』
「ここでお前を殺せるなら、腕の一本くらいくれてやるよ!!」
俺は、自らの命を燃やすようにして最後の一歩を踏み込んだ。
幻馬が迎撃のために、最大級の太さを持った黄金の杭を射出する。
俺はそれを、回避しなかった。
ズドォォォッ!!
「が、ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
黄金の杭が俺の左胸を貫通し、背中から血飛沫が噴き出す。
だが、その一撃を「肉」で受け止めたことで、俺の右拳は、幻馬の胸元――マナの核が存在する一点に、完全に届いていた。
「これで、終わりだァァァァァァッ!!」
――ドゴォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
筋力30万の物理的衝撃波が流体の身体を激しく揺さぶり、その直後、限界まで圧縮された炎が幻馬の体内深部で「爆発」した。
『ギァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?』
断末魔の絶叫。
物理と魔法が完全に溶け合った一撃は、幻馬の黄金の身体を半ばから完全に吹き飛ばし、核の一部を蒸発させた。
ボタ、ボタボタッ……。
俺の右腕から炎が消え、同時に、左胸を貫いていた黄金の杭が泥のように溶けて崩れ落ちた。
だが、システムによる討伐のアナウンスは――鳴らない。
『オのレ……! 人間風情ガ……この屈辱、必ずヤ……ッ!!』
上半身を消し飛ばされた幻馬は、残った下半身の黄金の液体を床の石畳の隙間へと滑り込ませ、猛烈な速度でダンジョンの奥深くへと逃亡していった。
「……逃げやがった、か……」
空中に固定されていたステータスウインドウから、ノイズがパリンと割れて消え去る。
俺はそのまま力が抜け、その場に仰向けに倒れ込んだ。
視界の端で、消え入りそうに明滅する自分のHPゲージ。
【HP:200】
あと一秒、いやコンマ一秒でも攻撃が遅れていれば、俺は今頃HPが0になり死んでいただろう。
極限の、文字通り死の淵だった。
「天谷さんッ……天谷さん!!」
意識を取り戻した結衣が、ボロボロの身体を引きずりながら駆け寄ってくる。彼女の手から溢れる、温かい回復魔法の光が、俺の胸の風穴をゆっくりと塞ぎ始めた。
「悪い、結衣……。倒しきれなかった」
「そんなことありません! 天谷さん、凄かったです! 私……本当にダメかと思って……っ」
「泣くなよ。……おかげで、一つ賢くなった」
俺は、炭化してボロボロになった自分の右腕を見つめた。
スキルに依存しきっていた脆さを痛感したと同時に、自分の内側に眠る「魔法の発現」という新たな可能性を、命を削る死闘の果てに掴み取ったのだ。
だが、逃げた幻馬が残した黄金の痕跡を見つめる俺の目は、決して安堵してはいなかった。
知性を持つモンスターが、死を恐れて「撤退」を選んだ。
それは奴らが、明確な目的を持って動く高度な生命体であるという、何よりの証拠だったからだ。
【ステータス】
【名前】天谷 湊
【HP】200 / 10,000
【MP】196,160 / 196,160
【筋力】100,000
【俊敏】132,800
【体力】50,000
【知力】53,040
【魔力】200,000(火属性魔法Lv.2)
【保留ポイント】189,000




