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未曾有の災厄(3)




『コォォォ……』


ステータス撹乱の雷を浴びせ、湊のバフを剥ぎ取った白面の九尾は、余裕の足取りでゆっくりと距離を詰めてくる。


バフが切れた今の湊のステータス――筋力15万、俊敏22万では、このバケモノの動きに反応することすらできない。


(くそっ……数値が戻らない!)


湊は必死にウインドウを操作し、狂わされたステータスの一の位を再び『0』に揃えようとする。


だが、九尾の雷がもたらした「マナの狂化状態」は、システムに強力なノイズを発生させており、数値を変更しても数秒後にはまた勝手にランダムな数字へとシャッフルされてしまう。


「結衣! バフの再展開はできるか!?」


「だ、ダメです! 条件が揃った瞬間に魔法をかけようとしても、発動のコンマ一秒の間に数字がズレちゃって……弾かれてしまいます!」


「……なら、こいつの相手は私が……っ」


満身創痍の雪乃が、ボロボロの双剣を構えて前へ出ようとする。


しかし、その細い脚は激しく震え、立っているのがやっとの状態だ。


「柊さんは下がっていてください! 今のあなたが戦えば、死にますよ!」


「あなたこそ……っ。ただの後方支援が、Sランククラスの戦場に出しゃばらないで!」


「私は天谷さんの相棒です! 天谷さんを置いて逃げるわけにはいきません!」


絶体絶命の窮地にあっても、二人の少女は互いに一歩も引かず、火花を散らしている。


だが、九尾の狐はそんな小競り合いを待ってはくれない。


『キアァァァァァァッ!!』

九尾が、雷の閃光となって跳躍した。


狙いは、最も厄介な支援魔法を持つ結衣――ではなく。


「雪乃さんッ!!」

九尾の本当の狙いは、手負いで動きの鈍い雪乃だった。


鋭い黄金の爪が、無慈悲に雪乃の首筋へと迫る。雪乃は咄嗟に双剣を交差させるが、今の彼女の筋力では、紙切れのように両断される結末しか見えない。


(……やらせるかよッ!!)

湊はウインドウを乱暴にスワイプし、すべての数値をかなぐり捨てた。


【保留ポイント】1,000,000 → 0

【体力】50,000 → 1,050,000


「おおおおおおッ!!」


湊は雪乃を強引に抱き寄せ、自らの背中を九尾の爪へと差し出した。


体力105万。

生命力の絶対的な防壁だ。


ガギィィィィィィンッ!!!


雷を纏った九尾の爪が、湊の背中を深々と抉る。


体力105万の肉体すらも切り裂く、理不尽な破壊力。鮮血が宙を舞い、湊は雪乃を抱え込んだまま地面を派手に転がった。


「湊ッ! なんで……私を庇って……!」

雪乃が悲痛な声を上げる。


「ぐはっ……、この程度………また雪乃さんを見捨てるわけにはいかないだろうが……」


湊は血を吐きながら立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。


背中の傷は深く骨にまで達しており、視界が赤く明滅し始めていた。HPゲージは一瞬でレッドゾーンに突入し、生命活動の停止が秒読みに入っている。


「天谷さん、回復します!」


結衣が杖を掲げるが、湊はそれを制止した。


「ダメだ。結衣の魔法の発動スピードじゃ、回復する前に次が来る……っ」


その時だった。


血に染まった湊のステータスウインドウのど真ん中に、今まで見たこともない真っ赤な【警告】の文字がポップアップした。


『WARNING:致命的なダメージを検知。生命活動がまもなく停止します』


『現在、保留ポイントがあります』

『緊急プロトコルを作動:保留ポイントを「燃料(生命力)」として直接消費し、肉体の強制修復および限界突破を行いますか?』


【 YES 】 / 【 NO 】

(ポイントを、燃料にして消費する……?)


湊は目を見開いた。


本来、ステータスを上げるためのポイントを直接燃やして、命を繋ぐ。そんな使い方が・・・?


『※警告:本プロトコルを実行した場合、肉体への過度な負荷により自壊の危険性があります』


警告文の赤文字が点滅する。


だが、迷う理由などなかった。バフが使えない以上、この圧倒的な暴力に対抗するには、自分の命を削ってでも規格外の力を捻り出すしかない。


湊は血塗れの指で、力強く【 YES 】をタップした。


『YESを受理しました。保留ポイントの燃焼を開始します』


直後、湊の体内に爆発的なエネルギーが迸った。


失われた血肉が、ポイントを消費することで猛烈な勢いで再生していく。だが、その代償として湊の全身の毛細血管が悲鳴を上げ、皮膚の表面から異常な高熱を持った赤い蒸気が噴き出した。


「ハァッ……ハァッ……!」


ウインドウに表示されていた「100万」という数字が、ものすごい勢いで「90万」「80万」と目減りしていく。


(ポイントが燃えていく……。時間がねえ。一撃で決める!)


俺は、獅子神咆牙のあの言葉を思い出していた。


『ただステータスを振り回してるだけだ。知能のねえモンスターどもと変わらねえ』


(……ああ。数字の暴力に頼ってちゃ、こいつには勝てない)


湊は『崩星の籠手』を構え直し、深く、静かに息を吸い込んだ。


ステータスの乱高下に振り回されず、自身の肉体を完璧に制御する。雪乃との地獄の特訓で身体に染み込ませた「武の歩法」。そして、獅子神の圧倒的な一撃を直接受けたことで脳裏に焼き付いている「力の流れ」。


湊はただ、眼の前のモンスターだけに全神経を集中させた。


『コォォォォ……ッ』

九尾が再び、雷の残像となって消える。

(……速い。でも、見えないわけじゃない)


雷のマナの揺らぎと、微かな筋肉の収縮音から、九尾の次の軌道を予測する。

右だ。


「そこだッ!!」


湊は最小限の体重移動で、九尾の爪を紙一重で躱す。


そして、そのカウンターのタイミングに合わせて、すかさずステータスを操作した。


ただ、純粋な威力を乗せるためだけに。


激減していく【保留ポイント】の残りと、【体力】から引き剥がしたポイントを、すべて【筋力】へと叩き込む。


【筋力】150,000 → 1,000,000オーバー

「オォォォォォォッ!!」

筋力に全振り。


ただし、バフのような「全身の安定した強化」ではない。右腕の筋肉だけに数万トン分の質量を強引に圧縮した、自壊覚悟のいびつな暴力。

湊の右腕の筋肉がミシミシと悲鳴を上げ、皮膚が弾けて血が噴き出す。


「『崩星ほうせい』――ッ!!」

九尾の顔面のど真ん中へ。


――ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!


空間が、白く染まった。


文字通り自らの命とポイントを燃焼させて放たれた破壊エネルギーは、九尾の雷の防壁を粉々に粉砕し、その神々しい巨体を「消し飛ばした」。


凄まじい衝撃波がこの階層を吹き荒れ、崩落を免れていた遺跡の壁すらも完全に崩れ去る。


『対象の生命活動停止を確認』

『原因個体の討伐により、周辺エリアの異常マナが霧散しました』


システムのアナウンスが響き渡った直後。

湊の右腕から力が抜け、そのまま崩れ落ちるように膝をついた。


「湊ッ!」

「天谷さん!」


雪乃と結衣が、同時に駆け寄ってくる。

右腕はボロボロに崩壊し、熱を持った蒸気を上げている。ウインドウに表示されていた「100万」という膨大な保留ポイントは、肉体の修復と最後の一撃の代償として、ほぼ「0」に等しい数値まで燃え尽きていた。


だが、その顔には、かつてないほどの晴れやかな笑みが浮かんでいた。


「……ははっ。どうやら、俺の勝ちみたいだな」

「馬鹿っ……こんな無茶をして……!」

雪乃が涙ぐみながら湊の身体を支える。


結衣もまた、ボロボロ泣きながら回復魔法を必死にかけ続けていた。


「ごめん、雪乃さん……。遅くなって。でも、これで……」


湊が言葉を紡ごうとした、その時。

階層の奥から、けたたましい足音と怒声が響いてきた。


「見つけたぞ! この階層だ!」

「銀閃の反応がある! ……おい、なんだこの惨状は!?」


現れたのは、ダンジョン管理庁の救助部隊と、数名のSランク探索者たちだった。


彼らは吹き飛んだ階層の惨状と、光の粒子となって消えゆく九尾の痕跡を見て、絶句している。


「あ、あれを見ろ! モンスターの群れが……崩れ落ちていく!」


「パレードが……収束した!? まさか、原因のボスが討伐されたのか!?」


救助部隊の騒ぎを背に聞きながら、湊はホッと息をつき、そのまま二人の少女に支えられながら意識を手放した。


未曾有の災厄を引き起こしたパレードは、一人の青年の文字通りの「身を削る」死闘によって、終わりを告げたのだった。


――だが。


この時の彼らはまだ知らなかった。


ダンジョン内の異常は収束したものの。

すでに外へ溢れ出し、完全に独自の生態系を築き上げてしまった「渋谷」という隔離エリアの奪還作戦が、彼らを更なる地獄へと誘うことになるということを。


【ステータス(天谷 湊)】

【HP】5,000 / 100,000 (重傷・右腕崩壊)

【MP】0 / 6,000

【筋力】150,000

【俊敏】220,000

【体力】50,000

【知力】53,043

【魔力】6,005

【保留ポイント】850


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