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自己嫌悪と、自暴自棄の果て




「そこまでだ、獅子神。……やりすぎだ」


意識を失った湊の頭上に、獅子神の『剛衝』が振り下ろされる直前。


突如として訓練場の空間が歪み、一人の男が獅子神と湊の間に割って入った。


黒いトレンチコートに身を包んだ、銀髪の壮年。その右目には深い傷跡があり、隻眼でありながらも獅子神の圧倒的な殺気を正面から受け止め、微動だにしない。


「……チッ。邪魔が入ったか」


獅子神は振り上げていた拳を下ろし、不愉快そうに舌打ちをした。


「わざわざこんな底辺の訓練場まで出張ってくるとはな。『天剣てんけん』の神代かみしろ


「ダンジョン管理庁から、お前が若い芽を摘もうと暴れていると急報が入ってな。お前のその力は、人間ではなくダンジョンの底に向けるべきだろう」


神代と呼ばれた男――この男こそ日本最高階層、新宿ダンジョン第52層到達の記録を持つ、七大ギルド『天照あまてらす』のギルドマスターであり、現役最強と名高い七星の筆頭だ。


二人の七星が放つマナの衝突で、訓練場内の空気がビリビリとひび割れるような音を立てる。


だが、獅子神はふん、と鼻を鳴らして真紅の毛皮を拾い上げた。


「興が削がれた。それに、そのガキが雪乃の隣に立つのが相応しい器かどうかのテストは、もう済んだ。……結果は不合格だ。所詮は運良くステータスを手に入れただけの、紛い物のSランクに過ぎねえよ」


獅子神は振り返ることなく、崩壊した結界を蹴り破って訓練場から姿を消した。


「湊ッ!!」


強化ガラスを突き破り、雪乃が血相を変えて飛び込んでくる。


彼女は倒れ伏した湊の元へ駆け寄り、即座に最高位の回復魔法と手持ちのポーションを次々と注ぎ込んだ。


「湊、しっかりして! 湊……っ!」


雪乃の必死の呼びかけと回復魔法の光に包まれ、湊はゆっくりと重い瞼を開けた。


「……ゆき、のさん……」

「良かった……! 本当に、無事で……」


雪乃は安堵のあまり、湊の胸に顔を埋めて震えた。


その温もりを感じながら、湊は自身のHPゲージがゆっくりと回復していくのを視界の隅で捉えていた。


だが、湊の心は、決して癒えない深い絶望の淵に沈み込んでいた。


(……負けた)


脳裏にフラッシュバックするのは、獅子神のあの理不尽なまでの暴力。


保留ポイントをすべて注ぎ込み、総ポイント約93万の現時点で自分が出せる『最強』のステータスを作り上げたはずだった。


絶対に当たるタイミングと急所を突いたはずだった。


それでも、獅子神には傷一つつけられず、たった一撃で、文字通り虫ケラのように叩き潰された。


(俺は……何もわかっていなかったんだ)


ステータスを自由に操れる手動割当マニュアル


そのチート能力を手に入れ、Aランクの『紅蓮の牙』へ復讐を果たし、下層の巨大モンスターたちも面白いように屠ってきた。


自分は特別だ。システムを超越した、最強の存在になれたのだと、心のどこかで慢心していた。


だが、あの獅子神の言葉が、鋭いナイフのように湊の心臓をえぐる。


『ただステータスを振り回してるだけだ。知能のねえモンスターどもと変わらねえ』


獅子神の圧倒的な強さは、単なる数値の暴力ではなかった。


数え切れないほどの死線を越え、人間の限界を捨て去り、他者の命すら養分にしてでも「力」を渇望した狂気。その想像を絶する『武の練度』と『執念』が、あの常識外れの一撃を生み出していたのだ。


自分には、それがない。


たまたまチートスキルを引き当てただけで、本物の死線など一度も越えたことのない、ただの紛い物だ。


「……雪乃さん」

湊は、掠れた声で雪乃を呼んだ。


「湊、喋らないで。まだ内臓の修復が完全に――」

「俺と……パーティを、解消してください」


その言葉に、雪乃の動きがピタリと止まった。

彼女の美しい顔が、信じられないものを見るように歪む。


「……何を、言っているんですか?」


「俺じゃダメなんです。俺のこのスキルは、確かに便利かもしれない。でも、俺自身の『中身』が、七星のバケモノたちには絶対に届かない。……あのまま深層に行ってたら、俺は必ず、雪乃さんを死なせてた」


湊は、ゆっくりと雪乃から身体を離し、ふらつく足で立ち上がった。


折れた肋骨が軋むが、それ以上の痛みが胸の奥を締め付けている。


「俺は、自分が強くなれたと勘違いしていただけの、ただのバカです。雪乃さんの背中を預かる資格なんて……ない」


「湊! 待ってください、そんなこと……!」

「ごめんなさい。……今まで、ありがとうございました」


雪乃が手を伸ばすよりも早く、湊は訓練場の出口へと背を向けた。


『幻影の黒布』のコートを血に染め、肩を落として歩き去るその背中は、つい数十分前までの自信に満ち溢れていた青年のものではなかった。


   * * *


数日後。

『黒淵の顎』第18階層。下層の入り口。


重く澱んだ瘴気の中を、一人の青年がふらふらと歩いていた。


湊だ。


「……あぁ、ステータスのHPは完全に回復したっていうのに。心が、ちっとも動かねえ」


湊は自嘲するように笑い、両腕の『崩星の籠手』を見下ろした。


圧倒的な敗北から数日。湊は雪乃との連絡を絶ち、半ば自暴自棄になって、一人でダンジョンへと潜っていた。


(ポイントを稼げば…もっと、もっとステータスを上げれば……あいつに、勝てるはずだ……)


だが心の奥底ではわかっていた。

ステータスを100万、200万と引き上げたところで、湊自身の『経験』と『覚悟』が伴っていなければ、再び獅子神の『剛衝』の前に為す術なく粉砕される。


それを理解していながらも、湊は他にすがるものがなかった。


この圧倒的なステータスを失えば、自分はまた日給数千円の底辺の荷物持ちに戻ってしまう。それが恐ろしくて、ただ無心にモンスターを殺し、ポイントを貪ることでしか自我を保てなかったのだ。


『ギョロォォォォォォォッ!!』


遺跡の影から、体長七メートルを超える巨大な一つ目の化け物『アビス・サイクロプス』が二体、巨大な棍棒を振り上げて襲いかかってきた。


下層のB級モンスターである。


「……来いよ。全部、俺が叩き潰してやる」


湊は自暴自棄な声で叫び、ステータスの数値に身をまかし無防備に突進した。


回避などしない。

精密な狙いもつけない。ただ力任せに、獅子神への恐怖と己への不甲斐なさを振り払うように、籠手を振り回す。


ドゴォォォンッ!!


一体のサイクロプスが頭部を粉砕されて消滅する。


だが、そのデタラメな大振りの隙を突き、もう一体のサイクロプスの棍棒が湊の脇腹に直撃した。


「ぐはっ……!」


体力10万の肉体でも、数トンの棍棒の直撃は重いダメージとなる。


湊は石畳の上を無様に転がり、血を吐きながら立ち上がった。


かつて雪乃に「ただステータスを振り回しているだけの石ころ」と評された以上の最悪の戦い方に逆戻りしていた。


「……痛えな、クソッ……」


湊はフラフラと立ち上がり、再びサイクロプスへと向かっていく。


死の恐怖はない。むしろ、このままモンスターに殺されてしまえば、あの獅子神の絶望的な背中を追うプレッシャーから解放されるのではないか。


そんな破滅的な思考が、湊の心を黒く塗り潰していく。


狂気と慢心の果てに、己の無力さを知った青年。


最強の相棒を自ら手放し、絶対的な強者の影に怯えながら、湊はただ一人、薄暗い下層の遺跡で血に塗れた自傷行為のような狩りを続けるのだった。


【ステータス(天谷 湊)】

【HP】25,000 / 100,000 (低下中)

【MP】6,000 / 6,000

【筋力】350,000

【俊敏】315,000

【体力】100,000

【知力】53,035

【魔力】6,000

【保留ポイント】50,000


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