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深層の転送陣と、這い寄る最強の一角



ボス部屋の奥の壁が崩落した先には、微弱なマナを放つ巨大な魔法陣が青白く発光していた。


その魔法陣を見つめた瞬間、雪乃はハッとして、気まずそうに視線を泳がせた。


そして、コホンと一つ咳払いをしてから、湊に向かって深々と頭を下げる。


「……湊。本当に、ごめんなさい」


「えっ? どうしたんですか、急に改まって」


「すっかり失念していました。深層の入り口には、必ず強力なフロアボスが配置されているというダンジョンの基本法則を……。私、ソロでの異常な狩りに慣れすぎていて、こういった正規の攻略ルートのセオリーが頭から抜け落ちていたんです。私のミスで、あなたを死なせるところでした」


普段の冷徹な彼女からは想像もつかないほど、シュンと肩を落として反省する雪乃。


その珍しい姿に、湊は思わず吹き出してしまった。


「ははっ、なんだ、そんなことですか。結果的に俺のスキルの新しい使い道に気づけたんだから、万々歳じゃないですか」


「湊……。あなたは本当に、器が大きいというか、図太いというか……」


「褒め言葉として受け取っておきます。それで、あの魔法陣は…?」


湊が奥で光る陣を指差すと、雪乃は気を取り直したように説明を始めた。


「あれは『帰還の陣』です。各ダンジョンの特定階層に出現するボス部屋の奥に出現する特別な魔法陣で、あれを踏めば地上(1階)のエントランスまで一瞬で転移できます」


「へえ! じゃあ、帰りはあの長くて面倒な階段を登らなくていいんですね」


「ええ。それだけではありません。一度あの陣を起動させれば、次回からは地上のエントランスからこの第31階層まで、直接ワープして来ることができるようになります。つまり、ここが深層攻略の『セーブポイント』になるんです」


「なるほど、それは便利だ」

「ステータスの共有という予想外の収穫もありましたし、今回は一旦地上へ戻りましょう。ここまでのドロップアイテムやボスの素材を換金して、ダンジョン管理庁へ下層踏破の報告も兼ねて」


雪乃の提案に湊も頷いた。


二人で青白い魔法陣の上に立つと、視界が光に包まれ、次の瞬間には見慣れた地上のダンジョン管理庁・中央エントランスへと転送されていた。


   * * *


ダンジョン管理庁のロビーは、相変わらず多くの探索者や職員たちでごった返していた。


その喧騒の中、VIP専用の買取カウンターに向かった二人が『深淵の騎士アビス・ロード』の砕けた大剣の破片などをカウンターに並べると、ベテランの査定職員が目を剥いてひっくり返りそうになった。


「こ、これは……深層入口のフロアボスの素材!? ひ、柊様、まさかたったお二人で下層を完全踏破されたのですか!?」


「ええ。討伐記録は私のギルドカードに記録されています。査定と、私たちの口座への振り込みをお願いします」


周囲の探索者たちがざわめき始める。


「おい嘘だろ、あの中層のソロ狂いだった柊雪乃が、たった二人で下層をぶち抜いたのか!?」


「あの横にいる男は誰だ? 見ない顔だが……」


周囲の好奇と驚愕の視線を集めながら、湊は少し気恥ずかしそうに頬をかいた。


「すごい注目ですね。まあ、深層ボスの素材なんて滅多に出回らないでしょうし」


「火力が規格外すぎたせいで、素材はほとんど消し飛んでしまいましたけどね。それでも、今回の換金額は軽く数億円にはなるはずです」


「す、数億……」


昨日まで日給数千円の荷物持ちだった湊にとって、全く実感が湧かない数字だ。


手続きを待つ間、ロビーのソファで休息を取ろうとした――その時だった。


ザワッ……と。


ロビーの空気が、一瞬にして『凍りついた』。

いや、違う。空気が「重く」なったのだ。


ただの威圧感ではない。物理的な質量を持った濃密すぎるマナが、入り口から押し寄せてきている。息をするだけで肺が焼けるような、生物としての本能が警鐘を鳴らす圧倒的な『死の気配』。


「……ッ!」


湊は即座に立ち上がり、雪乃の前に出るように身構えた。


周囲の探索者たちが、青ざめた顔で蜘蛛の子を散らすように道を開ける。


そのモーゼの海割りのような空間の中央を、一人の男が悠然と歩いてきた。


豪奢な真紅の毛皮を羽織り、身長は二メートルに迫る巨漢。


顔には歴戦を物語る無数の傷跡があり、その瞳は、獲物を前にした飢えた肉食獣のように爛々と輝いている。


「――おやおや。うちの可愛い氷姫が、どこの馬の骨とも知れぬガキとつるんでいると聞いて来てみれば。下層を踏破しただと? なかなか面白い冗談をかましてくれるじゃねえか」


その男の顔を見た瞬間、雪乃の顔から血の気が引いた。


「……獅子神ししがみ……!」


「雪乃さん、こいつは……」


「下がって、湊……! 彼は、七大ギルドのうちの一つ、『紅蓮の百獣』のギルドマスター。日本の頂点に君臨する『七星』が一人……獅子神ししがみ 咆牙ほうがです!」


七星


その言葉を聞き、湊の全身の筋肉が反射的にこわばった。


(こいつが……数百万のポイントを持つ、探索者の頂点に立つ7人のうちの1人……!)


獅子神は湊を一瞥だにせず、雪乃の前に立ち止まった。


「雪乃ォ。俺は前からお前が気に入っていた。俺のギルドの副官として、その高速の剣技で俺の片腕としての役目を与えてやろうと、何度もスカウトしてやったはずだが?」


「……お断りしたはずです。私はあなたのものになるつもりはありません」


雪乃が毅然と睨み返すが、獅子神は愉悦に顔を歪めた。


「クハハッ! お前が俺の誘いを断ってまで選んだのが、このヒョロっちいガキだって言うんなら……話は簡単だ」


獅子神の視線が、初めて湊に向けられた。


「そこのガキ。俺の女になる予定だった雪乃に手を出した落とし前、きっちり払ってもらおうか」


「……誰が、お前の女ですか」


湊は雪乃を庇うように一歩前に出た。


知力に5万超えのポイントを振った演算能力が、目の前の男の『底知れない力』を警告し続けている。だが、逃げるわけにはいかない。深層へ挑むということは、いずれこのバケモノたちを越えなければならないということなのだから。


「俺は天谷湊。雪乃さんの、パーティメンバーだ」


「ほう? パーティメンバーねえ」

獅子神が首をボキボキと鳴らす。


「いい度胸だ。よぉし、ならちょうどいい。そこにある管理庁の訓練場で、少し『手合わせ』をしてやろうじゃねえか。お前が雪乃の隣に立つに相応しいかどうか、この俺が直々にテストしてやるよ」


一触即発の空気。


周囲の職員たちも、七星の暴走を止める権限など持っておらず、ただ震えているだけだ。


「……いいでしょう。受けて立ちますよ」

「湊! ダメです、彼は――!」

「大丈夫です、雪乃さん」


湊は雪乃に向かって、力強く頷いた。


(俺の筋力は15万、俊敏は12万。それに知力が5万ある。雪乃さんにポイントを渡したとはいえ、まだまだSランクの中でも上位のステータスのはずだ。七星が相手でも、完全に手も足も出ないなんてことはないはずだ)


湊は己の力を信じ、獅子神と共に管理庁に併設された対人戦用の巨大訓練場へと足を踏み入れた。


だが、この時の湊はまだ、「数百万」という数字が持つ真の絶望を――七星という存在の『狂気』を、何一つ理解していなかった。


【ステータス(天谷 湊)】

【HP】30,000 / 30,000

【MP】6,000 / 6,000

【筋力】150,000

【俊敏】120,000

【体力】30,000

【知力】53,035

【魔力】6,000

【保留ポイント】535,000


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