ダンジョンの洗礼と、暴走する力
アビス・ベヒーモスの亡骸が光の粒子となってダンジョンに還元されていくのを眺めながら、湊は自身のステータスボードと睨み合っていた。
「……筋力15万。さすがに破壊力は申し分ないですが、ちょっとバランスが悪すぎるような」
湊の呟きに、周囲の警戒を続けていた雪乃が振り返る。
「バランス、ですか?」
「ええ。先ほどの戦闘で雪乃さんの動きを見て痛感しました。俊敏3万ぽっちじゃ、雪乃さんの超高速戦闘のカバーに入るには遅すぎる。それに……」
湊はステータス画面の【体力6,000】という数値に視線を落とした。
「ダンジョンに出現する魔物は、人間とは違って生まれながらに膨大な生命力を持っています。もし俺が敵の攻撃を避け損ねて、体力6,000の生身にその一撃を食らえば、いくら幻影の黒布を着ていても内臓が破裂して即死します。雪乃さんの速度についていきつつ、前衛として壁になるには、もっと大胆にステータスを引き上げる必要があります」
「……おっしゃる通りです。だからこそ、通常のSランクパーティは、私のような回避特化のアタッカー、防御に徹する重戦士と、役割を細分化して『個人の弱点』を補い合っているのです」
雪乃は少し目を伏せた。
「ですが、私の俊敏15万という速度に連携できる重戦士はいません。それが、私がソロにならざるを得なかった理由でもありますから」
「なら、話は簡単ですよ」
湊はニヤリと笑い、空中のウインドウを操作した。
「俺が、雪乃さんの速度についていける『絶対に死なない超高速の重戦車』になればいいだけです。手元にまだ14万5千の保留ポイントが余っていますし、出し惜しみせずに全部使い切りますよ」
湊は思考を加速させ、手動割当のスキルをフル稼働させた。
残るすべての保留ポイントを一気に引き出し、俊敏、体力、HP、そして脳の処理速度を上げるための知力へと極端に注ぎ込む。
【HP】6,000 → 30,000 (+24,000)
【体力】6,000 → 30,000 (+24,000)
【俊敏】30,000 → 120,000 (+90,000)
【知力】6,000 → 13,035 (+7,035)
【保留ポイント】145,035 → 0
直後、湊の肉体の内側から、マグマのような熱いマナが爆発的に膨れ上がった。
細胞の一つ一つが超高密度に圧縮され、強靭な鋼のように変質していく感覚。そして何より、視界に映るすべての風景が、泥水の中にいるように極端なスローモーションへと変わった。
「……なるほど。これが俊敏12万の世界ですか。すべてが止まって見え――」
湊が拳を握りしめようとした、その時だった。
「――上、来ますよ!」
雪乃の鋭い警告。
遺跡の暗がり、高い石柱の上方から、天井に張り付いていた石像のような影が突如として動き出した。
コウモリのような巨大な翼と、鋭い石の爪を持つ悪魔。第十八階層の群れを成す厄介な奇襲型魔獣、『アビス・ガーゴイル』の群れだ。五体が一切の音を立てずに急降下し、二人めがけて殺到してくる。
「私が三体を落とします!」
雪乃の姿が紫電と共に消えた。俊敏15万の彼女にとって、ガーゴイルの速度は止まっているも同然だ。空中で交差する三回の閃光と共に、三体のアビス・ガーゴイルが一瞬にして細切れの石塊と化す。
「残りの二体は俺が……!」
湊は残るガーゴイルを迎え撃とうと、右足で床を蹴って前方へ踏み込んだ。
頭の中のイメージでは、軽く数メートル跳躍して敵の顎にアッパーを叩き込むはずだった。
――ズドォォォォォンッ!!
「えっ!?」
湊の身体は、自身が想定していたベクトルとは全く違う方向へ、まるで発射されたミサイルのような超絶速度でカッ飛んだ。
俊敏12万という非常識な脚力に、知力1万3千程度では脳の処理が全く追いついていないのだ。
敵を完全に通り越し、湊は遺跡の巨大な石柱に顔面から激突した。
轟音と共に石柱がへし折れ、瓦礫が降り注ぐ。
「いっっっっっっだぁぁぁ!?」
強烈な痛みに湊が顔をしかめた瞬間、大きな隙を見せた湊の背後から、残っていたガーゴイルがその鋭い石の爪を振り下ろした。
Aランクの重戦士の盾すらも紙のように引き裂く、死の一撃。
ガギィィィッ!!
鈍い金属音が響く。
だが、ガーゴイルの爪は湊の肉体を両断することはできなかった。『幻影の黒布』が斬撃を滑らせ、その下にある湊の【体力30,000】の強靭な肉体が、致命傷を完全にシャットアウトしたのだ。
「ぐっ……! 痛えけど、斬られてはいない……!」
バットで思い切り殴られたような衝撃はあったが、背中の骨は無事だ。
湊は瓦礫の中から無様に立ち上がると、体勢を立て直す余裕もないまま、再び襲いかかってくるガーゴイルに向けて、ヤケクソ気味に『崩星の籠手』を振り回した。
狙いを定めることも、繊細な足運びもない。
ただ、筋力15万と俊敏12万に振り回されるだけの、デタラメな腕の振り。
だが、それだけで十分だった。
――ドゴォッ!!
空気が圧縮され、爆発的な衝撃波が発生する。
籠手が掠りもしなかったにも関わらず、ただ腕を振った際に生じた暴風と真空刃だけで、空中にいた二体のガーゴイルは木っ端微塵に粉砕された。
『対象の生命活動停止を確認』
『保留ポイントに【50,000】が追加されました。
「はぁ、はぁ……」
舞い散る石の粉塵の中で、湊は息を切らしながら両手を膝についた。
戦闘を終えた雪乃が、音もなく湊の傍へ舞い降りる。
彼女の氷のような瞳は、呆れと驚きで丸くなっていた。
「……天谷さん、大丈夫ですか? 最初の一歩の踏み込みは私の最高速度に迫るほどでしたが……そのあとの動き、完全に自滅行為でしたよ。壁に激突していましたが…」
「いや、面目ない……」
湊は赤く腫れた額をさすりながら、苦笑いした。
「保留ポイントを全部突っ込んで俊敏を12万まで引き上げたんですが、脳の処理速度が肉体のスピードに全然追いついてなくて。自分の体が、まるで暴れ馬みたいに制御できませんでした。これ、慣れるまでかなり時間かかりそうです」
それを聞いた雪乃は、小さくため息をついた後、ふっと微かに微笑んだ。
「……ステータスはただの数字ではありません。あなたの言う通り、肉体の機能が跳ね上がれば、それを制御するための空間認識能力や神経の適応が必要です。いくら自在に数値を操れても、それを使いこなす『経験値』まではポンと手に入るわけではないということですね」
「まさにその通りです。ただ、体力とHPに3万振っておいたおかげで、一発食らっても死なずに済みました。雪乃さんの速度に合わせるには、このまま俊敏12万で体を慣らしていくしかなさそうです」
「ええ。私がサポートしますから、少しずつその規格外の体に慣れていってください。……それにしても、直撃を受けて打撲で済むなんて、本当に理不尽な硬さですね」
雪乃は呆れたように言いながらも、その目には頼もしい相棒への確かな信頼が宿っていた。
圧倒的なステータスを手に入れたものの、それを完璧に制御するには至らない湊。
だが、彼には足りない経験を埋めてくれる最強の剣士が隣にいる。
二人は互いの存在に改めて安心感を抱きながら、未踏の遺跡のさらに奥へと歩みを進めた。
【ステータス】
【名前】天谷 湊
【年齢】20
【HP】30,000 / 30,000
【MP】6,000 / 6,000
【筋力】150,000
【俊敏】120,000
【体力】30,000
【知力】13,035
【魔力】6,000
【保留ポイント】50,000




