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母は優しい笑みを浮かべて、そっと近付いてくる。
「オフェリア。いつでも屋敷に帰ってきて良いのよ。貴女の弟のソルヴィオも寂しがっているわ。」
こんなにも優しく声を掛けてもらっているのに、どうしても震えそうになる手をぎゅっと握る。そんな私の様子に気付いてか、エリオス殿下は母から私を隠すように立ち、母に声をかける。
「侯爵夫人。すまないが、今はあまり時間がない。オフェリアと話すのはまた後にしてもらえないか?」
エリオス殿下のその言葉は、母の癇に障ったようだ。
「お言葉ですが、いつになったら娘をお返しいただけるのでしょうか?記憶がなかったとしても大事な娘です!何故、家族から引き離すのですか!」
激昂した母は殿下に食って掛かり、私へと手を伸ばす。
「オフェリア。帰っていらっしゃい。ね?」
目を潤ませて優しく語り掛けてくる母の手を取ることが出来ない。エリオス殿下の陰で身をすくませることしか出来ない。そんな私の様子に焦れた様子で母は声を荒らげる。
「………っ!オフェリア!」
その声に反射的に肩が跳ね上がる。そんな私の気配を感じ取ったのか、エリオス殿下は私に向かって伸ばした母の手をはね除けるように母の前に立ちはだかる。
「離れてくれ!オフェリアは記憶がないのに貴女を見て怯えている!貴女は一体、幼いオフェリアに何をしたのだ!」
エリオス殿下に強く言われ、母は一瞬茫然とした表情を浮かべた。
「私…私は…」
彼女はそう呟くように言葉を発した後、絶叫した。
「…っ…私は…!私はただ、貴族の妻として必要なことを教えただけよ!王子の妻になるなら尚更だわ!オフェリアは男児が産まれなかったこの家から王子の妻になるのよ!オフェリアを侮るような者達をのさばらせるわけにはいかないでしょう!完璧な妻でなくてはオフェリアが悪意に晒されるのよ!」
顔を赤くしながら、悲鳴のように声をあげる母に私もエリオス殿下も唖然とするしかない。
「オフェリアに何の瑕疵もなくとも回りは好き勝手に悪意を囀ずるわ!少しでも弱みを見せれば足を掬われる!私の可愛いオフェリアをそんな目には合わせるものですか!……良い?オフェリア。貴族の妻は夫の幸せを第一に考えるの。夫の幸せを守ることが夫人の勤めよ。」
こちらへ柔らかな笑みを浮かべているように見えて、彼女の視点は定まっていない。虚空を見つめるような、過去に思いを馳せるような、そんな眼差し。
「そうよ。貴族の当主の勤めは次代に血を繋ぐこと。貴族の妻は男児を産んで血を残さなければならないの!そうでなければ捨てられてしまうわ!私のように!」
「タニア!」
そこへ、先ほどの絶叫を聞きつけたのだろう、リディウス侯爵が母の名を呼びながら駆け付ける。後ろからオルドと年配の侍女も部屋に入ってくる。
錯乱する母を落ち着かせようと宥める父の胸に母は子どものように拳を打ち付ける。
「はなして!また裏切るのでしょう!また私の前からいなくなるくせに!」
「私はタニアを裏切ったことなど一度もないよ。大丈夫だ。そばにいるから。」
父が母を抱き締めながら、ここにいる、傍にいる、と何度も言い聞かせる。嘘つきと父を責め暴れる母だったが、突然糸が切れるように意識を失った。
「奥様!」
年配の侍女が母に駆け寄る。
「急に興奮したせいだろう。オルド、医師の手配を。タニアは私が部屋へ連れて行く。」
父は意識のない母を横抱きにして、年配の侍女に告げる。
「ドーラはここでエリオス殿下とオフェリアに話を。彼らにはリディウス家の恥をさらしても構わない。どんなことでも質問に答えてやってくれ。」
ドーラと呼ばれた年配の侍女が頷くと、父は母を抱えたまま、エリオス殿下に会釈をしてから部屋を去っていった。残された侍女は私達に向き直り、頭を下げた。
「私はドーラと申します。奥様付きの侍女であり、オフェリアお嬢様の乳母を勤めさせていただきました。本日はどんなことでも私の知る限りお答えさせていただきます。」
私の乳母…戸惑う私より先にエリオス殿下が応える。
「ああ、ドーラとは幼い時に会ったな。オフェリアとの交流のためにこの家に来た時にオフェリアを連れ回して叱られた。」
先程までの緊張を解すためか、エリオス殿下はおどけて笑って見せる。緊張していたドーラも表情を緩め、懐かしそうに目を細める。
「畏れながら、虫や蛙を手掴みして持って来たり、ドレス姿のオフェリアお嬢様を木登りに誘うようないたずら小僧には不敬であっても黙っているわけには参りませんので。」
張り詰めていた空気が少し和らいだ所で、私たちは部屋にあるソファーに腰を落ち着けることにした。
二人掛けのソファーにエリオス殿下と私が座り、ドーラはお茶の用意をして、給仕が終わるとソファーの近くに立つ。
「ドーラ、長くなるだろうから座ってくれ。」
エリオス殿下にそう促され、ドーラは一人掛けの椅子に座った。
「奥様のご様子に驚かれたと思います。申し訳ございません。」
頭を下げるドーラにエリオス殿下は問う。
「侯爵夫人は……その…心の病か…?」
その問いにドーラは目を伏せる。先程の様子を見られてしまえば、肯定するしかないだろう。
ドーラは私達の問いに答えるため、静かに語り出した。




