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過去話。三人称語りです。
タニアは伯爵家の令嬢だった。
学園で才媛と謳われ、侯爵家の第二子であるセヴェルス•リディウス侯爵令息と恋に落ちた。
セヴェルスは物腰が柔らかく、話し上手で、嫡男である兄の助けとなるよう多くの人脈を築いていた。そのため、女性にも大いに好かれたが、タニア以外には見向きもしなかった。
学園を卒業後、セヴェルスは王宮に勤め、その人脈を活かして折衝役を担うようになり、父より侯爵の座を引き継いだ兄の婚姻を待ってタニアと結婚し、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、そんな日常は崩れる。
セヴェルスとタニアの婚姻から1年後、国で病が流行した。王都より少し離れた場所での流行が顕著だったため、王宮に情報が入るのが遅くなり、対応は後手に回った。
当時は特効薬がまだ見つからず、リディウス侯爵家の領地でも深刻な被害を出し、領地で対応に当たっていた前リディウス侯爵である父や現リディウス侯爵である兄夫妻までもが罹患し、他界した。
その後、特効薬が出来たことで病は終息したが、兄夫妻には子がまだおらず、王宮勤めで難を逃れたセヴェルスはリディウス侯爵を継ぐことになった。
嫡男ではなかったセヴェルスにとっては伯爵令嬢であるタニアとの婚姻は問題ないものであったが、侯爵を継ぐとなれば、話が変わる。婚姻を結んでいても、未だ子はいない。その上、有能であると評判のセヴェルスをタニアから奪おうと画策する者が、リディウス侯爵家の親族からも出始めた。
兄夫婦が子を授かるまで待つつもりでいたセヴェルスとタニアは意図的に妊娠をしないようにしていたのだが、そんな思惑等、周りの人間達の知ったことではない。
侯爵の位を継いで間もなくタニアについての悪い噂を吹聴するような者たちが現れた。セヴェルスはすぐに気付き対策をしたが、直接タニアに向かって御高説を垂れる親族と名乗る輩までは完全には排除しきれなかった。それでも、学園で才媛と謳われたタニアである。卒なく受け流しながら、侯爵夫人としての役目を果たしていた。
そして、待望の子を授かる。タニア付きの侍女ドーラも少し前に出産しており、産まれてくるタニアの子の乳母となることが決まった。
「ドーラ、私、この子のためならなんだって頑張れるわ。」
大きくなった腹を擦りながら、幸せそうに微笑むタニアをドーラは今でも覚えている。
無事に産まれた娘はオフェリアと名付けられた。
同じ年に王家にも王子が産まれたが、王妃が産後の肥立ちが悪く亡くなった。
国はまだ流行り病の影響が残っており、同じ病が流行った隣国と相互に助力し合う提携を結ぶ予定であった。王妃の座が空いたことにより、隣国の姫との政略による婚姻話が持ち上がる。一年の喪に服した後、隣国の姫が王妃となり、すぐに子を授かり、第二王子が生まれた。
二人の王子は問題なく成長したが、隣国との関係性から第二王子を王太子に望む声が多く、第一王子を臣籍降下させる方針が決まった。
数年の審議の後、リディウス侯爵令嬢であるオフェリアと第一王子との婚約が結ばれた。
その頃、天候不良による農地の不作が続いていた。
数年に渡り不作が続いたことで、国内の税収も下がり、足りない作物の流通のため、他国との貿易に頼る状況が続き、更には流行り病も重なり、セヴェルスは各所の折衝役として多忙を極め、なかなか帰宅出来ない日が続いた。
未だタニアへの親族からの執拗な嫌がらせは続き、男児を産めない侯爵夫人と言われ続け、第一王子とオフェリアの婚約話が公になると、御祝いと称して屋敷に押しかけてくる。
当主の不在で領地の細かな仕事はタニアと執事であるオルドと領地の代官の間で行われていたが、その執務を婚約の御祝いと称して押しかける親族の女達に邪魔され、嫌味を言われ続ける。その分、遅れた執務は睡眠時間を削ってこなしていく。
聡明なタニアと言えども、疲れの残る身体で親族の女達の執拗な悪意に足をすくわれぬよう気を張り続けることは難しい。屋敷の中にも親族の息のかかった使用人が紛れていることにも気付いているが、対処する暇もなく、オフェリアに悪意が向かないようにするだけで精一杯だった。
そこへ、タニアが精神的にも頼りにしていたオフェリアの乳母でもあるドーラが懐妊し、酷いつわりで静養を余儀なくされる。
タニアはドーラを笑顔で静養へ送り出したが、親族の女達へ相対する時の味方を失ったも同然だった。
セヴェルスは月に三度程しか帰宅出来ず、帰宅したとしても領地への対処についての話し合いにほとんどの時間を費やす。
セヴェルスの帰宅した日はしっかりと睡眠時間を取れるタニアだが、不安な胸の内を夫に吐露する時間はなかなか持てない。それをわかっているセヴェルスもオルドに妻の様子を聞き、親族達へ何度も抗議したが、一部の女達の暴走は止まらない。セヴェルスが不在であることを見計らって押しかける。
その内、セヴェルスが帰ってこないのは他の女の元へ通っているのだと、そんな噂があるのだとタニアに囁き始める。
『オフェリア嬢への教育は順調かしら?第一王子の婚約者だもの。当然よねぇ?後継が望めないから婚約者に選ばれたのだもの。王子に相応しい教育をしているに決まっているわね。』
『その割にはこの場にお呼びにはならないのねぇ。恥ずかしくて隠れていらっしゃるのかしら?』
『そういえば、侯爵は彼のご令嬢と睦まじくしていたそうよ。まぁ、噂ですけれどね。』
『彼のご令嬢の家は男児が多い家系なのですって。羨ましいわねぇ。』
『男児を生み育てることこそ、一族繁栄のために必要なこと。当主の威信にも関わることだものね。』
『血の繋がった男児に血を繋いでもらってこそ、当主の幸せと言うものよねぇ。』
こんな低俗な者達に大事なオフェリアを晒すわけがない。勿論、そんな噂など信じたりはしない。
しかし、誰が敵かわからない屋敷の中で気を張り続け娘を守らねばならない疲弊したこの状況で折れずにいることは難しかった。
セヴェルスのことは信じている。しかし、人の心は移ろうものでもある。もし、噂が事実だったら…?
一度芽生えた疑念は一人でいる時間が増えるほど肥大していく。
精神的に追い詰められ、疑心暗鬼になったタニアに王宮から派遣されたというオフェリアの教師が、オフェリアの不出来を囁く。
その頃にはもうタニアの精神は限界を迎えていた。
足をすくわれぬよう、悪評などたてる隙のないよう、オフェリアを叱責する。
侮られてはいけない。弱みを見せてはいけない。
第一王子の妻となり、この家を継ぐ貴女は夫となる王子の幸せのために出来ることをしなければならない。
そうでなければ、捨てられてしまうかもしれない。
………自分のように。
足元が崩れていくようだった。
それからは靄の中にいるようだったが、ある日、靄が晴れた。
「奥様!おやめ下さい!」
静養していたはずのドーラの声だった。
自分の手には血のついた物差し。目の前にはオフェリアをかばうように抱き締め、必死に自分に呼びかけるドーラ。
オフェリアを傷付けたのは…タニア自身だ。
そのことにタニアは愕然とする。
大事なオフェリア。最愛の娘。傷などつかぬよう大切に育てたかった。
それなのに…
我に返った頃には、オフェリアの身体には跡が残る程の傷が出来ていた。傷が塞がりきる前に何度も叩いていたからだ。それほどの間、タニアは正気を失っていた。
泣きながらオフェリアを抱きしめ謝り続けるが、何もかもが遅かった。
オフェリアの笑顔からは子どもらしさが消えていた。完璧な淑女の笑みだった。




