幻影教師の目覚め
魔法学校 地下部屋
「シィラ先生! シィラ先生!」
「……全然起きないな」
シィラの体をゆすりながら、リーンは名前を呼ぶが、その相手は全く起きる気配がない。
かれこれ、十分以上は続けているのだが……。
「なぁ、大丈夫か? というか、本当に生きてるか?」
「いや、むしろ平常だ。お嬢様がここにいたとしても、変わりはない」
「……マレスだと、普通にブチギレそうだが」
「否定はできんが……それでも、苦労して起こす程に彼女は必要とされているんだ」
「必要とされている、ねぇ……」
そう言って、彼女の顔を覗き込むが、やはりすやすやと寝息を立てている。
むしろ、ここまで起きないとか逆に凄いと思うが……。
「ほら、黙って見ていないで貴様も手伝え」
「え!? 俺!? いや、さすがに女性の体に触るのは気が引けるって言うか……」
「そんな事を言っていたら、起こすのに数日は掛かるぞ」
「……わかったよ」
リーンの言葉に、仕方なしにリーンと交代する形でシィラの体に触る。
だが、どうしても、遠慮がちに触ってしまうのは男の性という事で見逃してほしい。
「お~い、起きろ~」
「そんな気の抜けた言葉で起きるか」
「と言ってもだなぁ……」
少しだけゆすったり、軽く叩いたりして見るが、全く目覚める気配はない。
ある意味、本当に人形でも触ってる気分だ。
「はぁ……ほら~、起きろよ~……ん?」
そして、再び声を出して体をゆすっていると、手に何かむにっとした柔らかい物が当たる。
見た目が細く、小さな体であった為、軽く手の甲に当たっただけでも、その感覚はとても目立った。
同時に、その感覚が何に触れたものなのかを確かめようと、俺は少しだけ腕を彼女の体の上に持っていく。
再び、掌に収まる様な形でむにっとした感覚。
大きな球体で、吸い付く様に膨らんでいて、とても柔らかい。
一体これは……。
そこまで考えたところで、俺は自分の手がシィラの胸に来ている事を自覚した。
シィラがダボダボのパジャマの様な服を着ているせいで、全く自覚していなかったが、間違いなく俺の腕がある位置は右胸の真上。
パジャマの様な服の向こうから伝わる温かさと彼女の呼吸の膨らみを感じながら、俺は停止しかけた頭をフル稼働させる。
そして、俺の掌の中にある物の正体を察するのには、然程時間は要らなかった。
「でけぇ……」
同時に、ある言葉は俺の中から湧き出る様に口から溢れ出ていた。
「言い残すことはそれだけか?」
「ひっ」
突然、真後ろから突き刺さる様にして浴びせられた殺気に、思わず俺は振り返る。
もちろん、そこには殺意の波動とも言える黒いオーラを纏ったリーンが剣を抜く一瞬前の構えで立っていた。
「いや、これは」
「言い訳無用だ!」
必死でリーンに言葉を返すも、それと同時にリーンは剣を抜く。
咄嗟に目を閉じる俺だが、俺のすぐ横を何かが通り過ぎる風を感じてすぐに目を開ける。
そして、目の前の光景に思わず目を見開いた。
「っ……」
「な……影?」
まさに、鞘から剣が抜かれるその瞬間、いや、わずかに鞘から抜かれた剣がチラリとその剣身を覗かせた所でリーンは動きを止めていた。
いいや、正確に言うなれば止められていた。
リーンの剣を掴む片手を覆う様に掴み、剣を鞘に押し込むような形でリーンを押さえつける謎の黒い影の様な手によって。
「な、なんだそれ……」
リーンを押さえつける黒い手は、人の手の様には見えるが、まるで靄の様にハッキリとした輪郭は無く、そこに有るのか、透けているのかはっきりと断定できない様な物だ。
そんな腕の出所を目で追うと、それは未だ眠ったシィラの体の背後から生える様にして出ている事が分かった。
「止めてもらえないかな。シィラが寝ているんだ」
「な……」
そして、突然響いた聞き覚えのない男の声に、思わず寝ている女性の方を向いて身構える。
「はぁ……ああ、済まなかったな。ヴァル」
「ああ、いいんだ。君が来たってことは、そろそろお勤めの時間なんだろう?」
だが、一瞬して響いたリーンの溜息と、チンッと言う剣を収める音の後、リーンは謎の声とそんなやり取りをし始め、俺の中の緊張が緩む。
「……こいつは、なんなんだ?」
思わず、俺がそんな事を呟くと、シィラの背後から何か黒い塊が姿を現す。
ただ、別にベッドと彼女の体の間に隙間などがある訳では無く、本当に、影がベッドに映っている様にその黒い塊は現れ、そして煙が空中に浮き出る様にしながら俺の前に浮遊する。
その形は、あまりにも歪だったが、伸びた腕と、ゆらりと揺れる黒い塊の形から人型を模している事だけは分かった。
「こちらは、初めましてかな? 安心してほしい、私は別に君達に敵意がある訳じゃないんだ。ただ、彼女の寝ている場所でそう言う事を止めて欲しかっただけで」
「あ、いや……」
あまりにも突然のこと過ぎて、そんな言葉しか声に出なかったが、そんな対応には慣れているのか、影はそのまま言葉を続ける。
「私はヴァルと言う。君の名前は?」
「あ、っと……甘粕、誠だ」
「甘粕か、うん、君も良い人みたいだね。よろしく」
「あ、そりゃどうも……」
そう言って、軽く影に頭を下げる。
何と言うか……未だ理解が追いついていないのは、きっと仕方のない話だから大目に見てほしい。
「それじゃあ、彼女に起きる様言ってくるから、少し待っててね。すぐに起こすから」
そして、俺に挨拶を終えた影、もといヴァルは静かに彼女の背中とベッドの間にするりと戻っていく。
その光景を見ていても、一瞬現実かどうかは判別できなかった。
「……なぁ、あれって」
「ああ、言いたい事なら分かる。あれはヴァルと言ってな、彼女の魔法が作り出した幻影の様な物だ。いや、幻影の様な物だったと言うのが正しいか」
「……いや、説明聞いても意味わからん」
「詳しい話は僕もあまり知らない。ただ、ペイン魔法の中には、ああ言う物もあるらしいと言う事しか」
ペイン魔法、その言葉に、俺は以前図書館で呼んだ本を思い出す。
確か、そこにはペイン魔法は、単一、複数、または範囲に直接的以外かつ治癒、修復以外の効果をもたらす魔法、と定義されていた。
簡単に言えば、相手に幻を見せたり、相手を洗脳したりという意味らしい。
つまり、今のも幻だったのだろうか。
だが、本に紹介されていた魔法で、あのような魔法はあまり見なかった様な気もする。
いや、というか幻だったのなら、出来が良すぎるだろう。
まぁ、同時に魔法と言うものは、とても定義の難しい物だとも書かれていたし、それ以上に括りが難しい物だとも言われていた。
結局はどうあれ、ペイン魔法の部類に当たるのなら、今はそれ以上に考察する意味は無いだろう。
「ぅ……ぅん……」
「あ、目が覚めましたか? シィラ先生」
小さく呻きながら、目を擦るシィラにそう言ってリーンが歩み寄る。
俺に対する言葉遣いとの差とか扱いの差については、もはや無視するとして、目を擦りながら毛布の山から体を起こすその女性が、必要とされており、時間をかけても起こす必要のある存在だと言うのは、とても理解できた。
それから、前にマレスに言われた、魔法教師は誰でもできる仕事じゃないと言う言葉の意味も。
あれだけの魔法が出来るのだから、きっと彼女が凄い人なのは火を見るより明らかだ。
そんな魔法教師の中に、どうして俺がいるのか分からない位に……。
「ぅぅ……正直、もうちょっと寝たかった」
「シィラ先生、すみません。甘やかすなと言われていますので……」
「……ぅぅ……ヴァル使わないで、自分で歩かないと、だめ?」
「学校長の命令ですので」
「……わかった」
少しだけ申し訳なさそうに言うリーンの言葉に納得したシィラは、ゆっくりと毛布の山から立ち上がり、歩き出すシィラ。
ヴァル使わないで、というのはこの人はいつもあの陰で歩いているのだろうか……。
そんな疑問を浮かべながらも、歩いていく二人を追う様に、俺は二人に付いて行った。
「……あ」
地下部屋からの出入り口の僅かに手前で、突然シィラがそう言って足を止め、くるりと振り返る。
何かあったのか? と疑問を浮かべながら同じように足を止める俺とリーンだったが、シィラは俺の方をまっすぐ見て、口を開いた。
「貴方が、甘粕誠先生、だよね?」
「あ、ああ……」
突然、名前を呼ばれ、戸惑いながらもそう返すと、シィラは少しだけ頭を下げながら口を開いた。
「初めまして、シィラ・ストレージです。それから……」
そして、そう自己紹介をしてから、シィラは言葉を区切る。
何かをするのか? とも思い黙って見ていると、突然、シィラの背後から黒い影が湧き出てきた。
その影は、先程よりもはっきりとした人型を形どり、ユラユラとカゲロウの様に揺れながら、右手に当たるをひょいと上げる。
「どうも、先程ぶりです。貴方の事は、軽く紹介しておきました。シィラと仲良くしてやってください」
同時に、そんな言葉を飛ばされ、俺はその影がヴァルである事を理解する。
右手を上げたのは、つまり挨拶だった様だ。
確かに、あの姿だと、お辞儀されても分からんだろうしな……。
ただ、そんな特殊な自己紹介だと言うのに、俺はあまり驚きはなかった。
というより、こちらの方が既視感と言うか、むしろ慣れていたとも言える。
まぁ、もちろん、現実で見るのは初めてだが、先程の影だけの状態と比べたら、俺の知るある物ととても似ていたからだ。
という訳で、俺はその既視感を交えた洒落を返してやることにした。
これだけのインパクトのある自己紹介をしてくれたんだ、俺もそれなりの返しをするのが礼儀だろう。
「ああ、よろしくな。ジョジョって呼べばいいか?」
「…………え?」
俺の決め顔と渾身の洒落を込めた返しだったが、跳ね返ってきたのは、真顔の疑問符と何とも言えない沈黙だけだった。




