望まれた朝
ベル国内 奴隷市場地下VIPルーム
「主殿!」
「ぇ……あ、ああ……どうした?」
「どうしたは主殿だ。一瞬前まで、アタシが話し掛けても上の空だった」
突然掛けられた正彦の言葉で、俺は我を取り戻す。
本当に、どれくらい立ち尽くしていたのか覚えていないが、きっと数分間は経過していたんだろう。
俺に言葉を飛ばす正彦の顔は、それだけ心配そうだった。
「主殿、とにかく地上に出よう。きっと、先程までの事で疲れているんだ」
「……ああ……」
正彦の言葉に、そう返答を返すも、どうしてか俺の中に沈殿したもやもやとした何かは消えて行かない。
疲れているとか突然のあんなことにショックだとか、そう言うのがあるのは事実だろう。
だが、それだけでないのも事実だ。
その原因として、大きく割合を占めるのが、あの青年の言葉。
これから起きる事が全て俺の責任であると言う意味を含めた言葉だった。
確かに、その言葉自体はただの喧嘩の売り文句と考えたっていいだろう。
どうして、俺の責任になるのか、知った事じゃないと笑い飛ばしたっていいはずだ。
だが、あの青年の言葉は、笑い飛ばすには何か裏に含んだ意味が重いように感じたのだ。
ただの敵意だけではない、まるで、子供にやってはいけない事とやるべき事を教える教師の様な……。
「……本当に、大丈夫か?」
「あ……いや、すまん。どうにも、もやもやが止まらないんだ」
先導する正彦が振り返り、再び心配そうな顔を向けてくる。
どうやら、また俺は立ち止まってしまったようだ。
「主殿、少し休むか? この場で休むのは、あまり休憩にならないかもしれないが」
「いや、それは大丈夫だ。俺もこの場所には長く居たくはない」
地下の惨状を振り返らない様にしながらも、俺はそう言葉を返す。
実際、今も鼻をつく鉄分の匂いがむせ返るほど充満するこんな場所に、長居はしたくない。
少しだけ、考えるのは止めた方が良いかもしれないな……。
「ありがとうな、正彦。本当に、心配をかけてごめん」
「……いいや、主殿はもっとアタシに心配を掛けるべきだ」
俺がそう謝ると、正彦は少しだけ沈黙してから、そう口を開き俺に歩み寄ってきた。
その表情は、今まで見たことが無いくらい優しい顔をしていて、俺は少しだけ驚く。
「ははは、女の子にそう言われちゃ、俺もお終い……えっ」
そんな表情の正彦に、俺が冗談を返そうとした途端、正彦の腕が俺の背中に回った。
同時に、その腕で軽く抱き寄せられ、俺は前のめりになりながら正彦の腕に身を任せる。
そして、正彦の体の一部が腕に抱いたサチコを挟むような形で俺に密着した。
「な……ぁ……え……っと……」
突然の事に、俺が混乱していると、耳元で正彦が囁く様に口を開く。
「アタシは、主殿の家族だ。主殿の味方だ。これは、天地が裂けようと変わらない」
「……」
耳元から聞こえた、優しくも頼もしく、同時に可愛らしく力強い声に思わず俺は口を閉ざす。
サラサラの髪の毛が、くすぐる様に俺の首筋を撫でるのと、頬から伝わる柔らかく温かい感触で、かなり照れくさくなりながらも、俺はその声に耳を傾ける。
「アタシには、剣しかない。だが、剣がある。主殿の前にどのような壁が現れても、アタシの剣は折れないし曲がらないし迷わない。それは、アタシの実力なんかじゃなく、主殿が居るから出来る事だ。つまりアタシは、この時点で主殿を頼らせて貰っているわけだ」
「…………」
そう言ってから、正彦は一度抱き寄せた腕から力を抜いて、俺の正面に顔を持ってくる。
真っ直ぐに、こちらを見つめられるのは照れくさかったが、不思議と目を逸らす気にはなれなかった。
澄んだ黒い瞳でこちらを見ながら、正彦は再び口を開いた。
「だから、主殿もアタシを頼ってくれ。アタシに出来る事なら可能な限り善処させてもらいたい」
「……」
そして、優しくそう言ってから、正彦は一度優しく微笑んだ。
その顔は、とても魅力的で、確かに年端もいかない幼い少女の可愛らしさを孕みながらも、それでいて力強い何かを纏っていて、俺は思わずそんな表情に熱い何かを感じ
「は……はわわわわわ」
「……ん?」
突然下から聞こえてきたそんな声に、俺と正彦は視線を下に向ける。
すると、そこには俺に抱かれながら赤面するサチコの姿があった。
「あ、えっと……」
「い、いえ……わ、私……私、何も見てませんから!」
「いやいやいや、ありがたいけどそれは無理があるから!」
俺と正彦から見下ろされる様に視線を合わせたサチコは、顔を真っ赤にしながら手で顔を覆う様にしてそう口にする。
そんな言葉に、俺も思わず赤面し、上ずった声で突っ込みを返してしまう。
どこかのラブコメで見た様な光景だが、実際こんなやり取りをする日が来るとは思ってなかった……。
「だ、大丈夫です! さ、さあ、続きをどうぞ!」
「いやいやサチコ落ち着け! 続きなんかない!」
「なんだ主殿、続きは無いのか?」
「無いよ! むしろあそこで俺はお前にどう言葉を続けるのか分からないよ!」
「わ、私の事はお気になさらず! さ、さあどうぞ!」
「待てサチコ! もうお前を気にしないのは無理だ! というか最初から気にしてなかったのがおかしかったんだ!」
「主殿、サチコからの了承が出たところで主殿の返答を聞きたいのだが」
「いやいや、返答とか用意してないから! 無理だから! これ以上俺はお前にこの場で掛けられる言葉はないから!」
「ふむ……主殿は照れ屋だな。家族同士なのだから、そんなに照れる必要はないだろう」
「か……家族」
「お前もうちょっと黙っててくれ! サチコも誤解するな! ここで言う家族ってのは、深い意味も浅い意味も無いから!」
「ああ、アタシと主殿の中で言う家族は、そんな言葉で語れるようなものではなく、もっとこう概念的な意味のものでな」
「が、概念レベル……きゅ~」
「だからお前喋るなって……え、サチコ!? おいサチコ!? 起きろサチコ! 勘違いしたまま眠らないでくれぇえええええええええええええええっ」
正彦とゲッベルスの破った地下の天井の一部から、優しい朝日が照らされる頃、俺のそんな声が町はずれの広場に木霊した。




