死と覚悟
ベル国内 奴隷市場付近の路地裏
「ぐ……がぼぁッ……」
吹きとばされる様にして壁に激突し、大量の液体を吐き出す音と共に、地面に身を預けるガレス。
倒れた彼の口や全身から血液が地面に広がり、口の中を鉄の味で洗われた様な感覚にガレスは顔を歪めたい気分になりながらも、その意識を手放さない事だけを一心に考えていた。
その身体についた傷は、おおよそ人体における致命となる位置を抉り、斬り、突いており、とうの昔に致死と呼ばれる領域に到達していたが、だがそれでいても尚、それを受けたガレスは未だにか細い息のまま立ち上がろうとしている。
何処から出血しているのか分からない程に、何処を見ても赤に染まった彼だったが、地に着いた右腕に力を込め、上体を起こす。
激痛と出血からか、細く震える彼の身体は、まるで壊れたロボットの様な滑稽な動きだったが、そんな事は関係ないと言わないばかりに、彼は再び立ち上がろうと体に力を込める
「……がっかりにゃよ。もう動けないにゃか」
「ぐゥ……っ」
だが、そんな彼の前から響いた冷徹な声と同時に、彼の頭上から降ってきた靴裏が再び無慈悲に彼を地に叩きつける。
小さく呻きを漏らす彼だったが、それ以上の行動を起こす猶予など、もはや彼の体に残されていないのだから、仮に立ち上がっていたとしても同じ結果であった事は明白だ。
ただ、それでも尚、片手から剣を離さないのは、彼の最後の抵抗と言えるだろう。
だが、そんな抵抗すらむなしく見えてしまうのは、対する女性の体があまりにも無傷だからだろう。
彼が、これだけ傷つくだけの斬り合いをしていながら、その女性は正しく無傷。
もはや、こんな状態の彼が剣を握った程度で埋まる差ではないのだ。
そんな彼の様子に、彼と対面していた女性は、再び冷徹な声を飛ばす。
「大丈夫にゃ。もう、剣を離していいにゃよ? 一瞬でも期待したネイカが悪いにゃから」
「が……ぅ……だ……まれ……」
そんな女性、もといネイカの言葉に反論する様に、言葉を飛ばすガレスだったが、そんな言葉は喉から溢れてきた血液によって聞き取れるか聞き取れないかと言うほどにまで弱々しいものだ。
意識を手放し掛けているガレスにとって、そんな事を気にして居られる余裕など無かったが、そんな彼の様子に、対面するネイカは酷く怒りを感じていた。
故に、つい数刻前まで浮かべていた魅惑的な笑みは顔には無く、ただただ、退屈と落胆に染まった顔でガレスを見下ろしていた。
「本当に、一緒にゃ。誰も彼も皆、結局こうなっちゃうのにゃ。ネイカを退屈にしちゃうのにゃ」
そして、怒りを露わにするように漏れた言葉と同時に、顔に浮かべた表情を強めながら、ネイカは剣を振り上げる。
正しく、それは止めを刺す為の剣。
紛れも無く、慈悲も無く、僅かのドラマすら産ませない程に単調でつまらない、確実に相手を絶命させる剣。
これまで振るっていた剣もまぎれも無く致命の剣ではあったが、これまでとの大きな違いは、相手の抵抗がないという事。
無抵抗の相手に、剣を振り降ろし、ただただ殺す。
処刑執行人の様に、意味など無く、理由も無く、ただただ振り降ろす剣。
そんな剣が、ネイカは最も嫌いだった。
だからこそ、彼女は怒りに燃える。
どうして私にこんな剣を振るわせる。
私がお前を気に入ったのだから立て、抵抗してみろ、屈するな、死ぬ程度で起き上がらないなど甘えている、そんな甘えは許さない。
お前が私に気に入られる所など、そこしか持ち合わせていないのだから、そこに答えないで私を退屈にするなど、可笑しいじゃないか。
壊れたレコードの様に、繰り返す言葉を頭に浮かべながら、足下に横たわるガレスを見つめ、大きくため息を吐く。
「……安心するにゃ、開戦したら皇女も一緒に、すぐに逝かせてやるにゃ」
「ッ……」
そして、一度だけ語りかける様にそう言ってから、ネイカは剣を振り降ろした。
そして、響いたのは、炸裂音。
同時に、何かが飛び散る音が聞こえ、この場における殺し合いは、幕を閉じた――に見えた。
「これは……ちょっと驚いたにゃ」
先程まで、圧倒的優位に立っていたネイカの声がその場に響くまでは。
見れば、ネイカは先程まで立っていた位置から少し後ずさった位置に立っている。
「くぁ……ハァ……ハァ……僕としたことが……どうやら、寝ぼけていたらしい」
そして、遅れて響いたのはガレスの声。
ネイカの前で立ち、剣を構えるその身体は、一瞬前までの状態とは大きく異なり、ほぼ半身は抉れるように吹き飛び、残った半身も黒々と焼け焦げ、先程までの負傷など生ぬるいと言うほどにまで傷ついている。
どうしてそんな状態で生き、立っていられるのか、そんな事は彼にも分かっていない。
焦げた方の足は、既に感覚など残っていないし、抉れた足に至っては肉棒の様な状態だ。
地面に着いた位置から、ペースト状のトマトの様に潰れていく。
だが、それていて紛れも無く彼は立っていたのだ。
同時に、その状態を作った現象でネイカを一歩下がらせたと言う事実は彼にも分かっていた。
「エコー魔法で自身を爆発って、馬鹿なのかにゃ? 死ぬのが怖くないのかにゃ?」
「言った……だろう……目が……覚めたと……死を恐れて……人が……守れる訳がないッ!」
売り言葉に買い言葉を返す様に、言葉を飛ばし合うが、流石のネイカもこんな状態の人間にそんな言葉を返され、言葉を失う。
もはや、人間を半分に切りとった様な外見をしながら、それでも剣を交えようとする姿はネイカですら圧倒する程の迫力と異常性があった。
イカれている、そんな言葉は本当に生ぬるい。
本当に、恐怖と言う感情を絵にしたような光景だった。
だが、同時にネイカの中にそんな思いと真逆の想いも産まれていた。
この男を、気に入ってよかった。
もっと、気に入りたい。
もっと、この男と殺し合いたい。
それは、正しくネイカにとって愛と言えるものだった。
愛と恐怖、その二つが同時に現れ、言葉を失うネイカにガレスは剣を構えたまま続けざまに口を開く。
そして、奏でる様にその文字列を口にした。
「ああ、願いを聞いてくれるのなら、死神よ鎌を下げてくれ。どうして、彼が行かなければならないのか、彼にも時間があったはずだ。その時間を無に帰すなど、私は認めない。ああ、時間が平等と言うのなら、癒しの風よ吹いてくれ。誰にだって生きる時間はあったはずだろう」
流れる様に唱えられた文字列。
それは、上位魔法に位置する長さの詠唱。
そんな文字列に込められた思いは、癒し。
どれ程の負傷や苦痛であっても、一瞬で元に戻すと言う破格の想い。
故に、その魔法を発動させるには、当然それだけの想いを込めて唱える必要がある。
ここで癒しをくれなければ自分の人生に意味は無いと断言する程の、破格の想いを前にのみ、この魔法は発動する。
「上位魔法・マスター・キュアー」
そして、その魔法を発動させる為の最後の引き金として、ガレスの口からその魔法の名が紡がれる。
同時に、ガレスの体が緑色の光に包まれ、一瞬の眩さを纏う。
一瞬して、四散する様にして消えた耀きの中に立っていたのは、無傷のガレスであった。
「……待たせたな、これで続行可能だ」
「それはよかったにゃ。と言っても、今日はここまででお預けみたいにゃけど」
「何……? っ……」
突然のネイカの言葉に、顔をしかめるも、突然の突風に一瞬だけネイカから目を離す。
すぐに視界を戻し、辺りを見渡すが、どこにもネイカの姿は無かった。
「……逃がした……いや、逃がされた……か」
先程まで、瀕死を越えた重症だった自身の体を見ながら、小さく呟くガレス。
全身の傷は治っているものの、体に圧し掛かる疲労と脱力感に少しだけ表情を歪ませる。
「やはり、上位魔法は消耗も激しい、回復しているのに消耗しているとは笑えないな……」
そして、そう小さく呟いてからガレスは広場に向けて路地を駆けだした。




