広場での遭遇
ベル国内 奴隷市地上
「はぁっ……はぁっ……」
薄暗い路地を、右へ左へ曲がりながら、皇女メリーは駆けていた。
だが、これは断じて逃げている訳では無い。
むしろ、敵の懐に向けて一直線に駆けているとも言える状況だった。
既に、先程の女が追ってきていない事から、ガレスが危険を期して囮になってくれたことは明白だった。
だが、その理由が自分のこの行動を承諾し、自分を信じての事だと知っていたからこそ、彼女の足は止まらない。
本来ならば、守られるべき立場であり、単身敵地に赴いたとされれば、それ相応の責任があちらこちらに伴うだけで済む訳はない事も知っていたが、その条件に背く事こそが、彼女の皇女としての覚悟であり、本心だったのだから、最早誰も止めようがない。
彼女自身、今回の事で死を覚悟していた部分もあった、だがこんなあまりに唐突過ぎる襲撃で自身が命を落とす結果になるとは、想定できてはいなかったのだ。
「っ……」
近づいてきた広場の目前の曲がり角。
その曲がり角を、視界に収めて皇女の足は速さを増した。
そして、飛び込む様にして広場に駆け込もうとした皇女の足は、無意識の内に止まった。
すぐ目の前に広がる広場、そこに有った光景を、皇女は理解しきれないでいた。
広場のあちこちで、何人かの人間達が、倒れたり、壁に背を預ける様にして停止している。
そんな光景から、寝ている? なんて都合のいい考えは生まれなかった。
なぜなら、その人間達の付近に限らず、広場その物が赤く染まりきるほどに、その場所は赤で染まっていたのだから……。
自然に呼吸が速くなり、体の奥から何かがせり上がってくるような感覚にぶるっと体を震わせる。
自分の周りに漂ってきた鉄の匂いに、思わず口と鼻を覆い、一歩後ずさる。
その時、後ろに出した足にコツンと何かがぶつかった。
「―――」
その足にぶつかった物に目を向けて、皇女は思わず息を呑む。
それは、白と赤のラインの入った見慣れたヘルメット。
本来、自身を守る為に機能するはずだった人物達が身に着けて居るべきモノ。
それがこんな場所に落ちていると言う事実が示すのは、とても簡単な事実だった。
「血を見るのは初めてか? 皇女さんよォ」
「ッ……」
そんな広場の中心から響いた声に、視界を広場へと戻す皇女。
そして、先程まで倒れた人間以外は誰もいなかった広場の中央に、空を見上げる様にして赤髪の男が立っていた。
「ベルにしては、ずいぶん勇気のある皇女なんだなァ……」
そう言って、こちらに近付いてくる男。
そんな男を前に、皇女の足は動かない。
頭では逃げなければならないと分かっているにも関わらず、その足は固まってしまったかのように動くことは無い。
「だが、ネイカを撒いたのは失敗だ。アイツは甘ちゃんだからなァ。すぐにあちこちペラ回して蝙蝠になりたがる」
「ッ……」
男からの言葉に、言葉を返そうとしても、震えた唇はピクリとも動かなかった。
男の掛けたサングラスから覗く赤い瞳に睨まれた皇女の脳裏に浮かんだのは、たった一言。
私はこの男に殺される、という言葉だった。
それは、このまま動かなくても、ここから今すぐ駆け出して、城まで逃げたとしても、最早変わらない物だと確信できるほどに確たるイメージ。
だからこそ、皇女の体は動かない。
目の前で、薄く笑いながら口を開く、死を纏っているとも言える程に圧倒的なその男に。
「ただ、別にそこは気にしねェ、アイツが蝙蝠やってんならそれだけだ。前の時だって、そう言う奴もいたんだろうしなァ……。ただな……」
そう言って、皇女の身長より頭一つ分高い男は、視線の高さを皇女に合せ、息がかかるほどの声で口を開く。
「残念、アンタの行動は、勇敢ってより無謀だ」
「ぁ……ぇ……」
そんな一言と同時に、男の腕が後方に構えられる。
その手には、剣や斧と言った武器の類を全く持っていない。
だが、鉤爪状に曲げられた指が、血に染まっているのを目にして、その行動の意味を皇女は悟る。
この男の武器は、この腕その物なのだと……。
「アンタ達は、前の事なんざ覚えてねえんだろうが、惜しいなァおい。前の時だって、アンタが皇女だったら少しは違っただろうに」
男が、腕を構えたまま何かを口にするが、何のことなのかは全く理解できない。
この男は、何を言っているのか……本当に分からない。
だが、その疑問を問う事は、皇女の震えた唇では到底不可能なことだった。
「ただ、俺の気を変えるにはアンタじゃダメだ。惜しかったな、後悔は死んでからやってくれ」
そう、軽口の様に言ってから、男の腕は振るわれる。
その腕が風を切る音を聞くだけで、どれほどの威力があるのかは火を見るより明らかだった。
「ッ――」
無慈悲に振るわれる腕に、思わず皇女は目を瞑る。
自らに振るわれる暴力からの痛みを覚悟する様に……。
「気が早いですよ、カーク」
だが、どこからか飛んできた一言で、男の腕は止まる。
いいや違う、止まったのではない、止められたのだ。
何が起きたのか理解が出来ず、皇女が目を開けると、そこには男の腕を掴む様にして黒髪の女が立っていた。
カークと呼ばれた男は、その女を睨む様にしながらも、反論をする事無く、腕から力を抜いた。
あの一撃を掴んだだけでも最早計り知れないと言うのに、この男がこれ程までに素直に従うと言う所から、相当の強さの人間だという事は皇女にも理解できた。
「……何しに来たんだよ、ゲッベルスさんよォ」
「簡単な事です。今回の作戦、ネイカと貴様では足りぬと判断されたのですよ」
「……総統閣下がそう言ったのかよ」
「いいえ、妹様の方が……国王の居ない今、総統閣下の指揮権すら妹様が握っているのはご存じでしょう?」
そう男と女は、すこし苦い顔で言葉を交わす。
その意味は、皇女には分からなかったが、彼らがレッドの兵だという事だけは理解できた。
そんな事を考えていると、女は皇女の顔を見ながら手のひらを向けて、口を開く。
その行動に、一瞬警戒したが、それ以上の行動を起こすことは、これまでの恐怖を耐え抜いてきた皇女の体には無理な話だった。
「眠っていなさい。貴方は、行動に起こすタイミングが悪すぎた……スリープ」
「ぁ……ぅ……」
そして、女の唱えた魔法によって、その場に崩れる様にして眠り始める皇女。
そんな皇女を見下ろしながら、女は満足そうに奴隷市の方に歩き出す。
「カーク、ネイカと共にもう帰って良いですよ。今日私達は、戦争をしに来た訳では無いのですから」
「……チッ……へいへい」
背中を向けたまま、男に女がそう言葉を飛ばす。
その言葉に、つまらなそうに返事をしながら、男は路地の闇の中に消えて行った。




