第10話
10話
「チルノ…なの?」
麻耶が恐る恐る声をかけたのも無理は無い。何せ見た目はチルノでも明らかに別の存在に見えたのだ。どう表現すれば正しいのだろう。そう、まるでチルノに禍々しいものが憑依したような――とそこまで考え、ある仮定が浮かぶ。
「もしかして…ミリアなの?」
そう、よくよく考えてみると先ほどからミリアの存在を感じ取れないのだ。先ほどまでは確かにいたのに、今はいない。そしてもしチルノに何者かが憑依したと仮定すると、ミリアが憑依したと考えるのが一番可能性が高いだろう。だが…。
「どうしてあんな黒々としたものが出ているの…? あれじゃもはや怨霊じゃない…」
確かにミリアは怨霊になるという可能性を話していた。しかしあくまでそれは最後の手段であり、最初は説得すると言っていたではないか。一体何故こんな事になったのだろうか。
「もしかして…既に怨霊になっていたの…?」
そんな考えがふと麻耶の頭の中をよぎるが直ぐに否定する。そんなはずはない、何故ならミリアはしっかりと先ほどまで自我を保っていたではないか。しっかりと自分の考えを話し、感情もあった。あんな恨みの塊のような存在ではなかったはずだ。では一体何故?
「ふふふふふふ…ありがとう、お姉さん」
「!? ミリア?」
麻耶が必死に頭を回転させていると、チルノの口から声が発せられた。その声を聞いて麻耶は唖然とする。まるでチルノとミリアの声を足したような声だったからだ。だが、その事で麻耶はミリアが憑依している事を確信する。
「ミリア! これはどういうことなの? あなたそれは最後の手段って言っていたじゃない!」
麻耶はボロボロの体を必死に奮い立たせ、ミリアに語りかける。
「ふふふ…そうですね…そんな事も言ってましたかね…」
「そんな事って…」
「でも勘違いしないでください、お姉さん」
「勘違い…ですって?」
「ええ。私はミリアではない。まあ正しくはミリアでは無くなったと言った方が正しいのですけどね」
「何ですって…」
「今私の中にあるのはこの男を殺すことしかありません。つまりもはや『ミリア』という霊体ではなく『殺意』が体を為しているだけなんですよ」
「そ、そんな…」
「もっとも、ミリアは特別強い心の持ち主だったから中々この形にはなりませんでしたがね…。まあその分、きっかけを持ってからは早かったですが」
「一体…どうして…」
「最初のきっかけはあの折の怪物を見たときです。ミリアの心の支えであった少女の成れの果てを見たとき、何かミリアの中で壊れたんでしょうね。そして最後の止めがこの少女ですね」
「まさか…チルノ?」
「ええ、自分がこんな形であっても友と言ってくれた友人の死…。あれで全てが変わったんですよ。ホントお姉さんには感謝していますよ」
「感謝ですって…?」
「はい♪ 私は元々ミリアと共存していた存在でしてね。ミリアが普通のときは一切表に出る事も、干渉も一切出来なかったんですよ。でもこうしてミリアという存在が消える事で『私』という存在が表に出て来れました。まさに感謝してもしきれませんよ」
何と言う事だろう。と言う事はもし自分たちが現れなかったら、ミリアはこんな形になら無かったんではないだろうか。仮にアークライトを止められなくても、怨霊という形にならない方が少女にとって幸せだったんじゃないだろうか。そんな事が麻耶の頭を巡って思わず倒れこんでしまう。
「私は一体何をしてるのかしら…」
結局何も出来なかった。ミリアの願いを叶える事も。チルノを助ける事も。何一つ出来なかった。知らず知らず麻耶の頬に涙が伝う。そして、そんな様子に構うことなくミリアを纏いしチルノはアークライトに向かって歩いていく。
「ふむ…貴様一体…」
アークライトは興味深そうにチルノの顔を覗きこむ。その瞬間
「はっ!」
「ぐふっ!」
チルノの拳がアークライトの腹部に叩き込まれた。まさかここまでの威力があったのは予想外なのかアークライトはまともに衝撃を受け、大きく後退させられた。
「ふふふふふふ…遊ぼうよ、ねえ遊ぼうよ…」
チルノはフラフラした足取りから一瞬にして飛び出し、気が付けばアークライトの眼前にいた。慌ててアークライトは防御の姿勢に入るが時既に遅く、再びアークライトは腹部を殴打され、その衝撃で壁に叩きつけられた。
「ぐっ…」
初めてアークライトが表情を変える。それは余裕が消え、脅威を感じ取った顔だった。しかしアークライトも負けてはいない。すぐさま飛び出すとチルノめがけて走りメスを振りかざす。
「ふふふ…」
しかしチルノはすぐさま手をかざすとアークライトの持つメスを氷漬けにする事で動きを止める。まさかそのような事をされるとは思わなかったのか戸惑うアークライトに今度は顔めがけてチルノが再び拳をふるう。
「ぐはっ!」
アークライトの顔から鮮血が散る。まるで相手になっていない。倒れ込むアークライトに馬乗りになり、ひたすら殴り続ける。もはや受身すら取れないのか殴られるだけになっているアークライトからは呻き声と血しぶきが飛ぶだけとなり、一方的な虐殺と化していた。
「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
チルノの口から不気味な笑い声が部屋に木霊する。それはまるで子供がおもちゃを使って遊ぶかのようだった。相手の気遣いや、痛みを感じる事は無い純粋な歓喜そのものだ。その事が一層チルノの笑い声の不気味さを増長していた。
「チルノ…ミリア…」
麻耶は必死に立ち上がり、チルノに語りかける。しかしチルノの暴挙は止まる事は無い。相手を殴りすぎたらしく、チルノの小さな手からは血が滲んでいる。それほどまでに相手を殴っているのだ。
「私には…何にも出来ないの…」
麻耶は自分の役立たずさが悔しくて口をかみ締めた。自分はこんな光景を見るだけしか出来ないのか。あんな小さな少女にあんな事をさせ、ほんの小さな願いを叶えてあげる事さえできず、ただこのまま立ち尽くす事しかできないのか。
「力が欲しい…」
心に強く願う。先ほどは怒りの一心だったが今は違う。ただ救いたい。チルノとミリアを。その為に力が欲しかった。
「お願い…奇跡でも何でもいい…。私に力を頂戴!」
麻耶は天上桜を握り締め、強く願う。するとまるでその思いに呼応するかのように手に持つ天上桜が脈打ち始めた。
「えっ?」
戸惑う麻耶に何処からとも無く声が聞こえる。
(力が欲しいかい?)
「誰? どこにいるの?」
突然聞こえた声の主に話しかけるが、その相手は麻耶の言葉に答えず
(力が欲しいかい?)
と同じように問いてきた。麻耶は声の主がいないことに不安を覚えるが、はっきりとした意思を持って答える。
「ええ、力が欲しい!」
そう、今は声の主が誰なのかはどうでもいい。今必要なのは力。チルノとミリアを救う力なのだ。それが得られるならば後の事はどうでもいい!
(了解したよ。まあといってもこれは行使の代行なのだけれどね。まあまだ目覚めて間もないから仕方ないか)
声の主は何やら不思議な事を言うが、麻耶には理解する事など出来ない。
(それでは力を贈ろう。幸あらん事を…)
そう言うと声が一切聞こえてこなくなった。そして聞こえなくなった瞬間天井桜から暖かい光が麻耶を包んだ。それはまるで癒しのようであり、光が消えた瞬間麻耶の体から言いようの無い力が溢れかえるのを実感する。
「これが…力…」
誰かに教えられるわけでもなくこれが『ギフト』という力であると理解できた。そして確かにこの力があれば全てを変える事を。
「それにしても最後の言葉…」
麻耶は光が消える瞬間に最後にお言葉を聞いた。
(また会おう、マスター)
その言葉の意味は麻耶には分からない。だがそんな事は後回しだ。今すべき事をやる方が先決である。
「さて…行くわよ」
いつの間にか麻耶の傷は癒えていた。体調は万全。いける!
「やってくれたな小娘!」
あまりに無防備で攻撃を受けていたため油断していたのか、アークライトの振り払いが直撃しチルノが吹っ飛んだ。麻耶は慌ててチルノの方に向かう。
「大丈夫!?」
慌ててチルノの体を確認すると、先ほどまでは分からなかったが、チルノの皮膚が黒々とした色に変化している。以前と同じ色の箇所は殆ど無い。
「…さん。…姉さん!」
「ん?」
何処からとも無く声が聞こえる。先ほどの声ではない。ということは…。
「ミリア? ミリアなのね!?」
「はい、やっと通じました」
間違いなく先ほどまでのミリアである。にしても疑問が残る。チルノに憑依しているミリアは先ほど言った筈だ。ミリアという霊体は消えてしまったと。では一体何故?
「確かに私という存在は消えかかってはいます。ですが、完全には消えてはいないんです」
「…どういう事?」
「たしかに今の私は限りなく怨霊に近い形です。ですが、チルノさんに憑依している状態こそが、私はまだ消えていない証明になるんです」
「え? ごめん、よく理解できないわ」
「いいですか、怨霊となるということは相手に憑依し、相手ごと呪い殺す事で終わりを迎えます。そして誰かとリンクできるのは正常な霊体じゃないとできません」
「そうか! じゃあまだ可能性はあるのね?」
「ええ、ですが時間の問題です。もしチルノさんの皮膚が全て黒々としたものになってしまった時、私は消えてしまうでしょう。そうなればもう手遅れになります」
チルノは殆ど黒々となっている。だとしたらもう時間が無い。
「どうすればいい?」
「チルノさんを目覚めさせるんです」
「目覚めさせるって…どうやって?」
「私が力を使います。もしかしたら上手くいくかもしれません」
「そんな馬鹿な…ってそれしか方法はないのよね? だったら任せるしかなさそうね」
そもそもこの状況を最高の形で打開するのはそれしかないのだ。だったらミリアを信じるしかない。
「力の行使まで時間がかかります。お姉さんには彼の足止めをお願いします」
「わかったわ、任せて」
先ほどの一撃の影響か、ミリアの影響かは分からないが、先ほどと打って変わってチルノは大人しくなっている。これならば集中して相手ができるだろう。
「はぁ…はぁ…。いい気になりやがって…お前らみたいな屑は、大人しく私の実験素材になっていればいいんだよ!」
アークライトは先ほどのチルノの攻撃を受けて着ている衣服はボロボロになり、息もあがっていた。しかし目から発せられる力は一切衰えていない。
「あなたが純粋な思いでいたことは分かったわ。そのやり方は歪んでいて間違っていてもね。だけど…」
「この屑が~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」
いつの間にか氷漬けになった片手を元通りにし、もう一つの手でもメスをもって襲い掛かってくる。だがもはや麻耶に躊躇いも、恐れも無い。
「あたしの友達を傷つけて、許されると思うな!!!!!!!!!!!!!!!!」
天上桜を握り締め疾走する麻耶。最後の戦いが幕を開ける。




