八幡朱里
物心ついたときから、よくよく引っ越しをする家だった。
「引っ越すぞ!」
「えーまたぁ?」
小学生となった朱里は、ポンポンと引っ越しをする父親に苦言を呈する態度をとるが、まるで相手にされずに次の日にはすぐに家を出た。
引っ越して、引っ越して、仲良くなれそうな予感のする子と出会ってもすぐ離れ離れになってしまって。
だから、
「八幡朱里って、言います。よろしくお願いします」
何回目かもわからない自己紹介。そして、いつから始めたのかわからない、『暗い子のフリ』
もう、朱里は誰とも仲良くなる気がなかった。暗い子を演じて、隅で小さくしていれば、誰とも仲良くならない。なれない。
――誰とも、離れ離れになった悲しみを味わわなくて良いのだ。
だが、
「朱里っていったっけ! よろしく!」
それを演技だと見抜かれたのは、初めてだった。
話しかけられたのは夕方頃で、もう学校も帰りの挨拶が終わったあとだった。
「なんで……私に話しかけたの?」
「だってお前今日ずーーーっと入りたそうにしてたじゃん」
「――!」
こうもアッサリ見破られ、こうも愚直に素直に言われて、朱里も隠す気がなくなってしまった。
だからだろうか。誰にも相談できなかった悩みを、朱里は初めて人に明かした。
「……友達と離れ離れになるって言われたらどうする?」
「えっ……いきなりだなぁ……はなればなれ……?」
「うん、もう会えないかもしれないー、みたいな」
「よくわからんが……大きくなって会ったらいいと思うぜ、俺は!」
「大人はどーそーかいとかいってたっけ」と、自身の言ったことに首を傾げるその様子を見て、先程まで頭の中に立ち込めていた悩みと暗雲は瞬く間に晴れてしまった。素直な彼に、朱里は救われたのだ。
■■■
救われた朱里は次の日から元気よく、周りと仲良くなれる小学生となり、別れるときも必ずいつか会おうと約束して、泣きながら笑って別れたのだ。
――そして、場面は高校生へと移り変わる。
「八幡朱里です! よろしくお願いします!」
引っ越しにも慣れた朱里は、いつも通り元気な挨拶をして、このクラスメイト達とも仲良くなろうと意気込んでいた矢先、目に飛び込んだのは、
「あれ……小学生のときの……!」
「……久しぶり」
幼い頃、朱里を救ってくれた少年が、今や青年となって席に座っていた。だがあの時の元気さと奔放さはなく、演技ではなく本当に隅で暗い顔をしていた。一人称すら変わっており、本当に何かあったのだとすぐにわかるほどだった。
――だから、助けてくれたから、今度はこちらが助ける番だと、そう思った。
「ほら、隅に座ってないで一緒に遊ぼうよ!」
かつて自分を助けてくれたときと同じように、朱里は声をかける。
暗い顔で俯いて、何もかもを終わりだと思っているような雰囲気が少し和らいだ彼を見て、朱里は嬉しく思うと同時に――彼を好きだということにも、朱里は気付いた。昔から人や自分の気持ちを察するのは得意なのだ。
一緒に帰り、一緒に話し、一緒に笑って。
明るくなっていく顔を見ていると、こちらまで楽しくなってきてしまう。
そんな、明るく楽しい日々は――、
「……おとう、さん……?」
唐突に、だが鮮やかに暗く救えないものへと変化する。
■■■
家に帰れば、目の前にあったのは倒れ伏した父親の姿だった。ゆすっても声をかけても返事は返ってこない。理解したくないと思うと同時に、無意識的に朱里の体はいずれ理解した時に来たる衝撃に備えていた。
「あ……うあ、なんで」
世界が、段々とぼやけていく。自身の眦から涙が流れていることを、朱里はわかっていなかった。
――父親は借金ばかりして、引っ越しばかりしていた人間だが、それでも娘である朱里と妹には優しくしてくれた。母親とは違い、確かに彼なりの愛を朱里たちに証明してくれていたのだ。
なのに、どうして。
「ふん。こんな男、死んでせいせいするわ」
金髪をカールさせ、キツイ目付きでそう呟くのは朱里の母親だ。
『こんな』とは言うが、そう息を吐く本人も酒とタバコに依存している中毒者だ。
――朱里が、朱里だけが、妹を守れる存在だ。
「……私が、ちゃんとしなきゃ」
頬を両手で叩き、朱里は決意を新たにして――
「……きた、父親を殺したやつだ」
「転校してきたばっかのやつにやめてやれよ」
馬鹿にするような笑いとともに、そいつらの中では朱里は父親殺しの屑野郎と位置づけされていた。
ひそひそと笑われ、指をさされて、まるで朱里だけが悪いかのように、話はねじ曲がって伝わっていた。
「あら、父親殺しの朱里さんじゃない」
「……あなたが広めたの?」
そうわざとらしく声を大にして朱里に話しかけるのは、先日軽い喧嘩をしてしまった同級生の女子だった。その、蔑むような目と哀れむような笑いは、捻じ曲げた原因は自分であると言っているも同義だ。
だが、これでムキになっても仕方がないと、朱里は重々承知していた。
我慢するのだ。妹のために、自分のために。
「……何も言わないのね。つまらないやつ」
その同級生は、何も言い返してこない朱里に興味をなくしたのか、その日からもう関わってこなかった。
――朱里は歯が割れる程噛み締めて、爪の跡が手のひらにつくほど拳を握りしめて、感情を抑えていたことに、周りの人間は気付かなかったようだ。
「……そうだ」
――思い出したのだ。自分は演技がうまかった。
たとえ何があっても、演じて嘘をついて虚勢をはって、1人で乗り切ってしまえば良いのだ。
それで誰も関わってこなくなるのなら、結果は万々歳ではないか。
「……はは」
乾いた笑い。今日は彼とも話していない。
彼と話すのは好きだ。他愛もない話で、馬鹿みたいな内容で、思うままに笑っていれば気付けば時間が過ぎている。――だから、楽しかった。
小学生のときから朱里の性格を知っている彼は変な噂は気にしないだろう。
「……はは」
もしかしたら、あの他愛もない話で生まれる笑いも、ただ演じているだけかもしれない。
彼はそれに気づいて付き合ってくれているのだろうか。
――朱里には、どちらの自分が演じたものか、どちらの自分が本当のものか、もうわからなかった。




