ふわふわ、ゆらゆら
「……八幡朱里です! よろしくお願いします!」
元気よく、通る声でクラスメイトに自己紹介。
そのまま朱里は先生の指示に従って席に座ろうと通路を通って行き――僕に気が付いて、驚いたような顔をした。
「あれ? 小学生の時の……! 久しぶり!」
「……久しぶり」
小学生ぶりだ。当時はよく一緒に遊んだ記憶がある。中学に上がる頃、朱里は転校してしまったが。
――そして、その挨拶のときに僕は気付いた。朱里は僕の近くに寄っても体が拒絶を起こさない、唯一の友人だということに。
朱里は明るく優しい性格だから、転校してもすぐに周りと打ち解けていた。
「ほら! 隅でうじけてないでさ――」
クラスメイトと外に遊びに行こうとする中、朱里は僕も誘ってくれた。
僕も、朱里と一緒なら体が震えることがなく、少しずつ、ゆっくりとクラスメイトとの交流ができるようになった。
すぐに家に帰ることもなくなり、朱里となら、同級生とも話を交わすことができるようになったのだ。
「……詳しく言ったら嫌われるかもしんないからぼかすけどさ」
「んー?」
朱里と2人で学校から帰っていた日、なんとなしに朱里に話を切り出した。
「――僕の母親がやばいんだけどさ、なんか対処法とかってある?」
本当の異常者とは思われぬよう、笑いながら相談する。
――まるで、普通の家庭でよくある親への愚痴のような雰囲気で。
母親の異常性を伝えれば、父親のように朱里も離れていってしまうのが怖かった。
「えー……よくわかんないけど」
朱里は首を傾げて、真面目に考えてくれている。
そして、出た言葉が、
「1回家出でもしてみたらいいんじゃない? きっと親もわかってくれるよ」
という発言だった。
「……」
「……思ってた回答と違った?」
「いや、そうじゃなくて……」
――考えたことがなかった。確かに、家や親なんてしがらみ、出てしまえばどうということは無いのだ。
親といる時間は苦痛だが、高校生など大半の時間を外で過ごすし、これから先の未来が少し明るく見えたと、そう思った次の日だった。
「――朱里の父親、自殺だって」
「えー? なんでなんで」
「娘と母親からの暴言が原因らしいよ」
「えーこわぁ……朱里と付き合うのやめとこうよ」
きっと、前日に朱里が仲の良い女子と、ちょっとした言い合いをしていたのが拍車をかけたのだろう。
最初は朱里のいたグループから。次にクラス。そして学年と、情報は即座に伝達していった。
「朱里、言われてるあのこと、本当なのかよ」
「……嘘に決まってんじゃん」
朱里が言うには、父親はギャンブルで金を溶かして借金三昧をし、夜逃げに夜逃げを重ねてこの地までやってきて、果てには返しきれずに死を選んだというのだ。そして母親はただのヤニカス酒狂いの毒親。
だから、嘘も嘘。デマにも程があると思えるレベルの嘘っぱちなのだ。
――朱里も同じように、世界がモノトーンに見えているのだろうか。並んで歩いて帰る中、僕はそんなことを考えてしまった。
「あ、あの、あの、さ……朱里の話……あれ、う、嘘だって……お前ら信じて――」
「はぁ? 何言ってんのお前」
だが、そんなことを僕が話したところで誰も気にせず、朱里から事情を言っても誰も信じはしなかった。
広がって、拡散されて、朱里は異常者だと周りから噂される。
――その情報が嘘が本当かは、誰一人調べようとせず。
■■■
――朱里は不登校になってしまった。
高校でクラスメイトと仲良くできていたのは朱里の仲立ちあってのことだ。なのにその朱里が中傷の対象となってしまえば、元々誰とも話さなかった僕が1人になるのも当然だった。
どこまでいっても、僕は1人では何も出来ない人間なのだ。
朱里を助けることもできず、また隅にうずくまる日々。
――世界がまたモノトーンに逆戻りする。
親の機嫌を伺って、クラスメイトとは距離を取る。
そうやって、なにもせずに怠惰に日々を過ごして。
「……このまま通う意味あんのかな」
そう思わず溢れた言葉は、ある日の高校から帰っているときのことだった。
今まで2人で帰っていた道に、1人分の足音しか響かない。明日はどう笑わせてやろうかと考えることも、もうなくなった。
――何もせず、学ぶ意思もない人間に、高校を通うメリットや意味は果たしてあるのだろうか。
「……ないよなぁ」
何かをしようとも思わないが、だからと言って自分の人生を終わらす勇気も出ない。とことん臆病者の小心者、それが僕だった。
母親の異常性に気付けない愚図で、周りにそれを隠せない愚鈍な奴で、挙句の果てには幼なじみすら救い出せない、無能で怠惰で無力な人間。それが、僕なのだ。
「ご飯作ってくれないの? 私に死ねって思ってるの? ねえ、息子なら養うのが当然だよね?」
――うるさい。なら殴ってくるな。苛ついたときにわざと大きい音を出すな。自分で自分の世話をしろ。
暗い目で母親を見つめるが、母親は僕のことすら見ていない。酒に溺れて夢と現実の区別すらついていない。
「――いっつも暗くて何考えてるかわかんねえし、あいつ朱里と幼なじみだしな」
「あいつも関わっちゃダメな奴じゃん」
――うるさい。お前らだって情報の出処を調べたりしないじゃないか。反抗したらすぐにビビる癖に、そうやって寄せ集まって1人を責めるな。
脳内で、何度も言われた言葉が反射する。
母親には罵られ、周りの人間からはひそひそと暗い噂をされ、どうしようもできない状況がいつまでも纏わりついてくる。
ふわふわ、ゆらゆら、朦朧として。
グラグラ、ガラガラ、瓦解して。
ふらりふらりと放心状態で歩いて、聞こえる声すら遠く微かで曖昧で。
そして気付けば――目の前にあった景色はトラックのプレートナンバーだった。
――それが僕の、一生である。




